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1960年代の米増産意欲の高まり【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第161回2021年9月2日

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「銀シャリ」、この言葉を若い方はご存じだろうが。そうである、白米のことを言う。

そもそもシャリとは舎利=釈迦の遺骨のこと、それをなぜか寿司屋職人が白米=白いご飯の符牒として使うようになり、さらにそれが太平洋戦争から戦後にかけての食糧不足の時代に銀シャリとも呼ばれるようになり、やがて一般人も麦飯や代用食に対しての白米=白いご飯を冗談で呼ぶようになったのである。世の中は食糧難、米不足、一般庶民はなかなか食べられず、それどころか飢えており、まさに白米は貴重な銀シャリ、ぴったりの言葉だったのだろう。

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銀シャリ、戦前も貧乏人はなかなか喰えなかったのだが、戦後は朝鮮や台湾からの米移入もなくなったためにますます食えなくなった。だからといってアメリカやアジア諸国から輸入するわけにはいかない。当時はインディカ米しか生産できなかったからである。白米はまさに貴重品、だから消費者は白いご飯を貴重なシャリとたとえたのだろう。

そして国民はみんな銀シャリを腹一杯食べられるようになりたかった。だから米の増産を強く望んでいた。

戦後の労働者の権利の拡大、労働力需要の拡大、国民の間の所得格差の相対的縮小、そして食管制度による消費者米価の低位安定のなかで、やがて国民のほとんどが米の飯を食べられるようになってきた。

それで当時、米の需要が急激に増大していった。しかし生産量はそれに追いつかない。それでは政財界は困る。腹が減ってはイクサにいや国際競争に勝てぬ=高度経済成長ができないからである。

そこで政府は1960年から生産者米価の算定に「生産費及び所得補償方式」を導入して生産者米価を毎年引き上げるようになった。そして60年の1俵4000円が68年には8000円となった。8年間で2倍にも引き上げられたのである。もちろんこれは高度経済成長にともなうインフレ(賃金・物価の激しい上昇傾向)を生産者米価に反映させざるを得なかったこと、また50年代後半から米価が押さえつけられ過ぎてきたことの反動からくるものでもあった。そしてそれは、食糧管理法のいう「米穀ノ再生産ヲ確保スルコトヲ旨トシテ」生産者米価を定めるとしていることからも、また農業基本法の言う所得格差是正の面からしても当然のことであった。だから異常なものではなかったことは言うまでもない。異常と言えば、米以外の農畜産物価格がそれほど上がらなかったのが異常だったのである。

そして政府は、農基法で大型機械化を推奨する(これは増収と矛盾するものだったのだが)と同時に、米の増産を強く奨励した。国公立の農業試験研究・普及機関を動員して米の多收技術の確立と普及に努めた。

同時に水田面積の拡大=畑や林野の水田化=開田を推奨し、国県営事業でも開田を進めた。

農家はそれに敏感に反応した。ましてや米以外の農畜産物の価格の低位不安定、麦豆などはもちろん成長農産物と言われる畜産や園芸作物などもやっていられない、もう米しかないと稲作面積の拡大=開田(林野ゃ畑を水田に造成すること)と反収の向上=増収技術の導入で生きていけるようにしよう、こう考えるのも当然のことだった。

ちょっとここで話を変えて現時点の話をさせていただくが、先月末の仙台の地元紙にわが国の食料自給率が37%に落ちたという記事が掲載されていた。6面の上真ん中、それほど目立たない載せ方だった。それを見たときにまず思ったのは、20世紀の時代にはこうした記事は農業地ある地元紙として一面とか二面で大きく取り上げていたのに何という変わりようだろうということだった。でも、よくよく考えてみれば当然のことかもしれなかった。農村部では戸数、人口が減り、それに比例して購読者数も減り、仙台に人口は集中、農業に関心をもたない読者が大多数となり、スーパーにいけば米はもちろん何でも豊かに並び、輸入農産物が大きな顔をして並んでいる時代、食料自給とか農業とかにはまったく関心を持たなくなっている。

それを反映してのことなのだろう、これも時代の流れ、やむをえないことなのかもしれない。

でも、本当にそれでいいのだろうか、今度のコロナ騒ぎでも工業製品ですら行き過ぎた国際分業の危険性がいわれているときに、社会の木鐸たるべき新聞がこのありさまではどうしようもない、20世紀と大違い、困ったものだ。などというのは年寄りの何とやらなのだろうが。

なぜこんなことになってしまったのだろうか、それを振り返ってみることでこれからどうすればいいのかを考えてみたい、そんなことで食糧増産時代の古い話まで今させてもらっている次第、もう少しの間続けさせていただきたい。

本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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