(257)お蚕様と生糸の輸出【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】2021年11月12日
平たいお菓子の箱に蚕を入れ桑の葉を食べさせ繭を作らせる。その繭を用いて工作をし、夏休みの宿題として提出したことがありました。今でも実家へ行く途中の空き地に大きな桑の木が茂っていますが、それが桑だと気が付く子供はどのくらいいるのか、などと少し考えた次第です。
珍しく、最近の日曜日の夜は「大河ドラマ」を見ている。渋沢栄一が主人公だが、興味は彼自身よりも、新政府の主要メンバーたちとのやりとりである。どちらかというと、従来、徳川の幕臣は旧体制の守旧派・悪者であり、倒幕から明治新政府を担う者たちは斬新かつ、新時代のヒーローとして描かれていたが、久しぶりに明治新政府の中の面倒な人間関係をストレートに演じているところが興味深い。
東京都下、多摩地区で子供時代を過ごした筆者としては、渋沢栄一の出身が旧武蔵国であるのも少しは影響しているのかもしれないが、時に出てくる地方の農家の状況などが遥か昔の記憶と一部つながる年になったこともある。
冒頭で述べた蚕に繭を吐かせる方法などは、亡父が教えてくれたものだ。1960年代の東京で育った小学校低学年の子供には、何故、両親が蚕の話をあれほど懐かしがるか不明であり、最初は蚕と青虫は色の違いくらいしか区別できなかった。両親に言われるまま部屋の片隅で数匹の蚕を育てた思い出だけが今でも鮮明に残っている。
ところで、蚕といえば絹だが、中学高校の日本史では、明治期から始まった絹の輸出が綿糸やお茶とともに当時の日本では貴重な外貨を稼ぐ手段となり、今で言う「農産物輸出」の花形であったとしている。このような話を学んだが、どうも単なる知識としてしか身についていなかったようだ。
大河ドラマの中で、何度か「お蚕様」というセリフが登場した。手元にある最近の高校の日本史教科書を見ると「幕末以来、生糸は最大の輸出品であり、製糸業は欧米向けの輸出産業として急速に発達した。当初は簡単な手動装置による座繰製糸が普及したが、ついで輸入機械に学んで在来技術を改良した器械製糸の工場が長野県・山梨県などの農村地帯に続々と生まれ、原料の繭を生産する養蚕農家も増加した」(『詳説 日本史B』山川出版社、2020年、p.302.)という記述がある。恐らく筆者の高校時代もこんな感じであったのだろう。
これは項目としては「近代産業の発展」という箇所であり、中項目「産業革命」に次ぐ小項目「紡績・製糸・鉄道」で述べられている。時代的には19世紀の終わりから20世紀初頭である。どうも筆者の記憶も長い間そこで停滞していたようだ。
少し気になったので、古い統計資料を引っ張り出して明治初年以来の生糸の輸出を追ってみた。確かにこの時期、生糸の輸出は増加しているが、年間1,000トンから5,000トン程度のレベルである。
だが、本当に増えるのは1920年代である。この時期になると年間輸出量は1万トン水準から始まり、ピークは1929(昭和4)年の34,491トンである。文字通り桁が違う。その後、1936年までは3万トン水準を維持していたが、それ以降は激減し、1941年には1万トンを割り、戦後しばらくは4~5千トン水準である。
ちなみに、ウォーレス・カロザースという米国デュポンの科学者がナイロンを発明したのは1935年のようだ。そこから先の逆転劇はご存じのとおりである。
1926年生まれの父が物心ついた頃から10代半ばまではまさに日本の生糸輸出が最盛期である。なるほど、だから蚕と生糸に対する感覚が違っていたのか...と、この年にして初めて理解した気がする。
教科書の中で生糸の生産が盛んとされていた時代は筆者には祖父母の時代であり、父母は生まれてすらいない。それなのに筆者の表面的な知識は教科書の記述に引きずられていた訳だ。数十年抱えてきたこの微妙な違和感が、過去のデータを徹底的に検証したことでようやく少し拭えた気がする。恐らくこういうことは他にもあると思う。
* * *
天然繊維の代表でもある絹糸と綿糸、高分子化学の結晶ともいえるナイロン、ポリエステル...、これらの興亡は日本の農業とビジネスの生の歴史です。「農産物輸出」を議論する際には是非ともしっかり過去の教訓を学んでほしいと思います。
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三石誠司・宮城大学教授のコラム【グローバルとローカル:世界は今】
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