第一次生産調整とニクソンショック【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第183回2022年2月10日
昔話、思い出話をさせてもらっているが、たまにこういう年寄りの話を聞くのもいいのではなかろうか、もう少し付き合っていただきたい。
減反初年の1970(昭45)年の夏、土地基盤整備の通年施工で休耕している地域に行ってみた。田んぼには一面草が生えていた。何百年とこの土地を草一本も生やさずに維持してきた先祖はこの情景をどう見るだろうか。何か悲しかった。それでもここは来年は美田となって帰ってくる。これが救いだった。
この地域に行く途中、単純休耕で目標を達成した地域の田んぼを列車の窓から見ると、緑の稲の中にぽつりぽつりと穴が空いたように何も植えられずに黒い土を見せている田んぼが見えた。単純休耕田である。田んぼの端に白い紙を挟んだ細い棒が立てられている。普及員と役場の職員が立てた減反確認の立て札である。何と不毛の仕事をさせられるのだろうと普及員たちはよく嘆いていたが。
農家は休耕田に草を生やさなかった。山間部の一部の町村では休耕田の耕作放棄が始まりつつあったが、ほとんどの農家はいつでも米づくりに戻れるようにしていた。
しかも農家は増収の努力をやめなかった。70年には「一割減反、二割増収」というかけ声すら村々で聞かれた。一割の減反分=減収分を二割の増収で補おうというのである。ある地域では例年にない密植を行なって増収を図ろうとし、また東北の米どころのある村では減反さなかの70年から各集落の農事研究会が750キロへの挑戦ということで試験田を設置し、先進地視察を継続する等増収に取り組んだのである。
まだまだ米づくりの、営農継続の意欲は強かった。
だから70年の米生産量は、減反で減少はしたものの、かつての平年作に戻っただけ、過剰問題は解決されなかった。
1971(昭46)年、この年から4年間にわたる本格的な生産調整が始まり、二割減反と目標が大幅に引き上げられた。この減反面積は、東北地方でいえば1965年以降開田した面積と匹敵するほどのものだった。そしてそれを4年継続するものとした。これが後に「第一次生産調整」と呼ばれることになるのだが、これもほとんど単純休耕=不毛の耕作放棄で目標を達成させられた。何の進歩も生まなかった。まさに停滞の四年だった。
それは米価も同様、停滞だった。
進展したのは農村からの労働力の流出だった。減反で全面積単純休耕した開田地帯などでは通年出稼ぎで盆と正月に帰って来るだけ、若者のなかには安定した就業機会を得て家庭を持ち、大都市に定着してしまうものも出てきた。
そうこうしているうちに過剰在庫米は減ってきた。それに対応して1974(昭49)年から減反目標面積が減らされるようになった。
ちょうどその減反の時期の1971~73年、それに続く74年の4年間は、世界経済の大激動の時期と重なっていた。
1971年は私個人にとっても大変な年だった。その夏のお盆の真っ最中、大学病院で開腹手術を受けた。当時の医療技術の水準はいまだ低く、手術は大変だった。全身麻酔から覚めた後の三日間苦しみに苦しんだ。こんなに苦しいのならタバコや酒は飲まなければ良かった、規則正しい生活をすればよかったなどと本当に後悔したものだった(喉元過ぎれば熱さ忘れるで、結局はもとに戻ったのだが)。
三日目の朝、少し苦しさが和らいだのと苦しさを忘れられるかもしれないと思ったことから、枕元の携帯ラジオをつけた。今と違って性能の悪い本当にちゃちなものだったが、当時はけっこうな値段がした。ちょうど株式情報が流れていた。ダイヤルを変える元気もないので、黙って聞いていた。そのうち、何かおかしいと感じた。どの株も何百円(今の物価水準で言えば何千円)安なのである。値上がりしているものがない。下げ幅だけがすさまじい。昭和恐慌(世界大恐慌・1929年)のときの株の大暴落の話は聞いたことがあるが、それと同じようなことがなぜ今起きているのだろうか。手術で自分の頭がおかしくなったのではないか、麻酔薬のせいなのか。ますます具合が悪くなる。ともかくラジオを消して眠ろう。こうしてその日を何とか過ごした。
手術四日目の朝、具合はかなりよくなり、新聞が読めるようになった。それで初めてわかった。ちょうど私の手術日の8月16日にアメリカのニクソン大統領がドルと金の交換を一時停止するという声明を出し、それで世界の経済が大混乱となり、株が大暴落したのである。頭が狂ったわけでも何でもなかったのだ。
これは後に「ニクソンショック」と呼ばれることになるのだが、これを契機に戦後の世界経済の仕組みは大きく変わることになった。そしてそれはわが国の農業にも大きな影響を及ぼした。
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