戦前・戦後の野菜の生産と販売【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第193回2022年4月21日
戦後の農地改革や食糧増産政策の展開のなかで、水田作ばかりでなく畑作の生産力も発展した。農家は、食料不足下で重視された麦・大豆・ジャガイモ、食用油脂の需要増加に対応するナタネ等々の畑作物の生産に力を入れ、化学肥料や農薬を導入するなどしてその生産力を高めたのである。青森県南部や薩摩半島の畑作地帯などは春になると一面の菜の花で埋め尽くされ、その壮大な景観は後々まで語りぐさになったものだった。
その生産物のかなりの部分が商品として販売された。戦前の畑作物は基本的に自給用であり、余ったものを売る程度だったが、戦後は小作料がなくなって米が自給できるようになったので米不足を補うための自給用の麦などの生産をする必要がなくなり、販売用の作物を栽培することが可能になったからである。ところがそこにアメリカから麦、大豆などが輸入されてきた、それで引き合わなくなり、つくれなくなってきた。
一方、戦後の混乱がおさまり、大都市の人口が復活し始めた1950年ころから都市の青果物、畜産物の需要が拡大してきた。また、交通事情もよくなり、とくに当時の重要な輸送手段だった鉄道の列車の本数も増えてきた。さらに政府は1960年から青果物、畜産物を成長農産物と位置づけてその産地拡大を推奨するようになった。
そこで農家は地域に適した野菜を栽培し、地域の市場、大都市の市場に供給するようになってきた。
私の生家のあった旧山形市近郊の農家は、相対的に貯蔵性のある野菜、たとえばトマト、キュウリ、白菜、玉菜(キャベツ)などを東京や仙台に出荷するようになった。
出荷した後の残りとその他の野菜(ナス、ネギ、エンドウ、ホウレンソウ、カブ、ダイコン、青菜(せいさい)等々数え切れない)は街の中の八百屋が毎日買いに来た。前の日に品物や量を注文していくが、売れ行きによってその日の朝に来て注文を増やす。
それでも売れ残るものは、次の朝、駅前の市場に自転車かリヤカーで運ぶ。ときどき私も朝早く起きて市場に運んだ。休みの日などはセリを見てから帰る。自分の家で出したものがいくらになるか、はらはらして見たものだった。金の支払いはその次の日からである。中学校からの帰り道に立ち寄り、伝票を市場の窓口に出してその金を受け取ってくるのも仕事だった。
秋の漬け物シーズンには直接消費者からダイコン何貫目、白菜何貫目と注文が来る。それを牛車に積んで各戸をまわり、おいていく。それが何日か続く。
山形最大の花街、「花小路」にある料亭からの注文も多かった。その近くで祖母の妹が一銭店屋(いっせんみせや、あのころ山形では駄菓子屋をこう呼んでいた)を開いていたので、その伝手からお得意さんになったようである。
私の生まれる前(昭和戦前期)は、その花小路で祖母は一種の振り売り(行商)をやっていたという。
祖母の妹から紹介されて料亭から野菜などの注文を受け、それに応じてリヤカーで運んで売っているうち、近くの家からも頼まれるようになり、それからほぼ毎日のように野菜を売りに行くようになった、つまり「振り売り」をするようになったのである。かなり小金が入ったらしい。祖母はそのうちのいくらかを「ほんまづ」(ほまちがね=「へそくり」のこと)にし、銀行に預けていた。ところが昭和恐慌で銀行が倒産し、まるまる損をしたらしい。隠れて貯金をしていたものだから誰にもそれを言うわけにはいかず、相当頭に来ていたらしいと、戦後のことだが、叔父が私に笑いながら話してくれた。
私が生まれてから、野良仕事に出ている母に代わって日中私や弟妹の子守りをするために振り売りをやめたが、漬物用の野菜などは注文を受けて季節になると祖父や父が牛車で運んでいた(私も中学のころは一緒についていってそれを手伝ったものだった)。その代金の徴収などは祖母の役割だった。料亭のおかみなどと友だちづきあいになっていたことからなのだろう。
戦前、祖母がその徴収などの用事やお茶飲みなどで料亭にいくとき、幼い私をよく一緒に連れて行ってくれたものだった。大きな長火鉢の前に座ったおかみがお茶を出してくれたり、長いきせるでたばこを吸ったりする姿が忘れられない。また私にはお菓子を出してくれたり、お小遣いをくれたりしてくれたものだった。それがうれしかった。今でもなつかしく思い出す。この話を後輩研究者にすると、三つ子の魂百まで、私の飲み屋好きはその頃から始まったのかなどと冷やかされるが。
よけいな雑談をしてしまったが、東京・仙台の市場への販売については次回述べさせていただく。
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酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】
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