(280)「真珠の首飾り」とスリランカ【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】2022年4月29日
大昔の学生時代、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ、コパカバーナの浜辺で友人と一息ついていた時、前から褐色の肌をした女性2人が来て浜辺に座る私に時間を尋ねた。何気なく時計をしている腕を前に差し出し、一言二言話し、彼女達が去った後、ふと気が付くと脇に置いたはずの友人のバッグが消えていた…、という苦い思い出がある。実に見事な連携プレーであった。
似たようなことは日常生活でもよく目にする。夏の花火は綺麗だが、花火に見とれている観客は足元や背中に注意が行かない。そのスキを見て様々な事が行われるようだ。最近の国際情勢の中では、多くの人々の眼がロシアとウクライナに注がれている。
それはそれで当然だが、世界的に注目される事件や変化が起こっているときは要注意である。注意がそこに集中する結果、思わぬところに「穴」が開く、あるいは思ってもみないところで次の懸念が生じるからだ。
太平洋と大西洋だけでなく世界中に艦隊を派遣している米国、そして大航海時代の様々な歴史をもつ欧州の人々はイメージがしやすいが、国土の半分が太平洋に面した日本でインド洋を想起する事は意外と難しいかもしれない。筆者などは北米からの穀物を輸入する仕事に長年携わってきたため、意識しないとどうしても思考が太平洋に向いてしまう。
しかし、エネルギー源としての石油の大半がアラビア半島からインド洋、そしてマラッカ海峡を経て日本に来るという現実を理解しておけば、インド洋の戦略的重要性は明らかである。この石油輸送ルートは一般には「シーレーン」と呼ばれ、安全保障分野では良く知られている。
「シーレーン」の各所には有名な海峡、つまり輸送上の難所がいくつも存在する。バブ・エル・マンデル海峡、ホルムズ海峡、マラッカ海峡、ロンボク海峡などである。海に突き出たインド半島はアラビア海とベンガル湾を両肩としてスリットが入った女性の衣装の胸元に例えられることがある。これらの海峡を意識した上で、インダス川とガンジス川を起点にインド半島を取り囲む線でつなぐと、あたかもインド半島の外側にネックレスを装着したように見えるため、これを「真珠の首飾り」と呼ぶ。表現は美しいが、生々しい国際政治の分野では中国の海上交通路戦略として知られている。その「真珠の首飾り」戦略の一番目立つところ、南のポイントがセイロン島、スリランカである。
2022年4月1日、スリランカのラジャパクサ大統領は「公共に関する非常事態宣言」を発令した。これは5日に解除されたが、状況はまだ安定しているとは言い難い。少しニュースを検索すればわかるが、スリランカでは新型コロナウイルス感染症の影響により経済状態が悪化しただけでなく、生活必需品の価格が高騰、国内でも停電やデモ隊などによる暴動の様子が複数報道されている。
これだけなら一時的かもしれないが、問題はどうも根が深い。近年の同国政府は国内の巨額のインフラ投資で中国への接近を図る、つまり融資を受けることで実施してきたため、経済状況の悪化に伴い、外貨不足、そして債務不履行(デフォルト)の懸念が出始めているようだ。スリランカとしてはIMF(国際通貨基金)に支援を求めているが、現時点ではその後の道筋が明確に見えている訳ではない。
「つなぎ融資」のような形でとりあえず乗り切るのか、一部の債務の返済を一時的に停止するのか、いくつかの可能性はあるが、いずれにせよ資金の貸し手と借り手の関係というのは厳しいものだ。仮に、スリランカが対中債務を支払うことが難しくなれば、資金の代わりに「真珠の首飾り」の中でもひと際大きな真珠を実質的な勢力圏に置くことが可能な中国には都合が良いし、インドには極めて都合が悪い。インド洋は、その名のとおり、自分達の勢力圏下に置いておきたいからだ。
この話、中東からの石油に依存している日本にも他人事ではないことは明らかであろう。大陸中央の花火に気を取られているうちに、足元が揺らがないようにしておきたいものである。
* *
世の中、「真珠の首飾り」に限らず、綺麗な表現には現実的な「裏」があるということですね。
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