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今も残っている焼き畑の思い出【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第196回2022年5月12日

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ちょっと脇道にそれるが、次のことをご存じの方はおられるだろうか、その昔(1970年前後)、「東京12チャンネル」(=現・「テレビ東京」)から、農協・農協観光・クミアイ化学工業提供で「家の光協会」が企画する「あすの大地に」という農業番組が週一回放送されていたことがあるのを。

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県によっては12チャンネル系列のテレビ局がないところがあるし、「あすの大地に」の放送も80年代にはなくなっているとのことなので、ご存じない方もあろうが。実は宮城県も放送されていなかった。だから私も最初は知らなかった。

ところが1971~72年にその番組への出演依頼が数回あり、その存在を知ったのだが、そのうちの一回に「冬を迎えた出稼ぎの村」というテーマの番組があった。当時は出稼ぎ真っ盛りのころ、その実態を見ながら、また出稼ぎ農家の話を聞きながら今後の方向を考えようというものだった。そして私には実際に現地に行き、記者・カメラマンとともにその取材をして放送してくれとの依頼である。私の関心のある問題でもあるし、お引き受けさせていただいた。

現地は何と、私の故郷の山形県、といっても日本海側に面し、新潟県との境にある温海(あつみ)町(町村合併で現在は鶴岡市)だった。ここは温海温泉という名湯で有名なところなのだが、山また山の山村であり、冬場は豪雪で農業は困難、山林を利用した冬場の薪炭生産は70年代からのエネルギー革命=石油依存への転換でだめになるということで、出稼ぎ地帯に転化した地域だった。

11月中旬のみぞれの降るある日、町役場や農協からの聞き取り調査が終わり、役場の案内で取材対象農家に向かう途中のことである。

葉がすっかり落ちた枯れ木ばかりの灰色の山に囲まれたかなりの急傾斜地に、鮮やかな豊かな緑色に彩られてた豊かな開けた場所が見えてきた。

何でこの時期に緑が、と目をこらして見てみると、そこで3、4人の人が何か作業をしている。何をしているのだろうと役場の方に聞くと、焼畑に栽培した温海カブの収穫をしているのだという。

温海カブ、今は普通の畑でも栽培され、各地で販売されるようになったので、あるいは食べたことのある方もおられるかもしれないが、二十日大根(ラディッシュ)を3~4倍くらい大きくした中型の蕪で、二十日大根のように表面は赤紫〜紫色をしているが内部は白く、漬物(甘酢漬け)にして食べるものである(不正確な説明かもしれないが、これはうまい、私の行く生協ストアでも販売するようになったので時々買って食べている)。これは昔焼き畑で栽培していたものだと聞いたことはあったが、もう焼き畑はなくなり普通畑でだけ栽培されるようになったものだとばかり思っていた。

その焼き畑があったのである。

それを聞いて、お願いをした、時間をとって申し訳ないが、車を止めてその山に登り、焼き畑を直接見せてもらいたいと。快く引き受けてくれ、ディレクターやカメラマンの方もいっしょに山に登った。ちょうどみぞれが止んで陽も射してきた。

かなりの急傾斜地だった。焼け焦げたような大きな杉の木の切り株があちこちあり、土は炭のように黒く、ふかふかと柔らかかった。だから生育もよいのだろう、そこにびっしりと緑の葉が茂っている。そしてまた収穫もしやすいのだろう、若い娘さん=庄内美人もそこで収穫していたが、軽々とひっこ抜いていた。そこでお話をいろいろと聞かせていただいたのだが、カブは柔らかくておいしいので高く売れるという。その他、山を焼くときには下の方からではなく。上の方からゆっくりじっくり焼いていくのだとかいろいろと話を農家の方から教えてもらったが、本当に勉強になった。

ただし、聞き落としたことが多々あった。焼き畑を見られたことでただただ舞い上がっていたこと、次の予定があって十分な聞き取りの時間がとれなかったことからもあるのだが。

岩手は雑木林からの焼き畑だった、だから十数年過ぎるとまた戻ってきて焼き畑にするのだが、温海では杉林(植林したのはないかと思われる)を伐採した跡地が焼き畑だった、とすると杉の成長からして数十年は焼き畑はできないということになるが、そういうことなのかどうか、これを確かめなかった。

また、杉林ばかりでなく、岩手のように雑木林も焼き畑にして赤カブを植えるということはないのか、赤カブ以外の作物を焼き畑に植えることはなかったのか、焼き畑の目的は杉の植林のための除草・整地にもあったのか等々も聞けなかった。

ともかく、この温海の焼き畑はちょっと特殊だと私は思うのだが、全国各地にそれぞれ地域に対応した特色ある方式の焼き畑が存在していたのではなかろうか。

岩手では焼き畑がなくなった。秣(まぐさ)場(ば)の野焼きもなくなった。代わりに山火事が世界各地で多発し、自然破壊、地球環境悪化をもたらしている。困った世の中になったものだ。

できたら温海の焼き畑にもう一度おじやまし、いろいろと勉強させてもらいたかったのだが、忙しさにまぎれて時間がとれないでいるうちこの年になってしまった。後悔先に立たずである。

それはそれとして、温海の焼き畑、何とかして子々孫々に伝えていってもらいたいものだ。東北地方以外にも残っている焼き畑があるという話を以前聞いたことがあるのだが、今はどうなっているのだろうか、何とか残っていてもらいたいし、これからも公金を使ってでも末永く遺してもらいたいものだ。

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