武蔵野の平地林と風雪、田畑【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第200回2022年6月9日
森や林は山にあるもの、したがって森林とは山林である、と子どものころ(1940年代)の私は思っていた。私の育った山形では森林は山にしかなく、平地には神社や寺、河川敷にほんとに小さい林があるだけ、耕せるところはすべて田畑にしていたからである。
しかしそうではなかった。平地にも林があった。それを実感したのは1950年代後半、東京に行く機会が増えてからだった。
東北本線で関東平野に入ると雑木林が多くなる。中央線や小田急線などに乗るとさらにそれを感じる。まだそのころは都市化が進んでおらず、広々と畑が広がっていたのだが、そのところどころに林があるのである。
そういえばこのへんは武蔵野、私たちの中学の国語の教科書に載っていた国木田独歩(明治期の作家)の随筆『武蔵野』に雑木林の風情が書いてあった。
それにしてももったいない。どうして田んぼにしないのか。こんな平らな土地をどうして林のまま放っておくのか。水がなければ畑にすればいい。林になっているなだらかな丘だって畑にしようと思えばできる。なぜそうしないのか。関東の農家は怠け者なのか。それとも人口の割に土地がたくさんあり過ぎて全部耕地にできないからなのか。こんな疑問をもったものだった。それが解けたのは大学に入ってからだった。
東京の西部に田無という町(現・西東京市)がある。この地名は田んぼが無いことからつけられたと言われているが、実際に田んぼは少なかった。これは田無ばかりではない。関東平野のかなりの部分がそうである。漏水しやすい関東ローム層に覆われ、しかも灌漑の困難な台地が広がる関東平野は水田にしにくく、川の近くの沖積土壌の堆積するところにしか田んぼはつくれなかったのである。
それで畑作を中心にせざるを得なかった。ところが畑は水田よりも多くの養分補給を必要とする。この養分は、水田からの稲わらと山林からとってくる山野草・落ち葉を堆肥にして投与することで補給するのが一般的なのだが、何しろ田んぼは少なく、山林は遠い。そこで土地のすべてを畑とせず、条件の悪い土地などは開墾せずに雑木林(=平地林)とし、台地や傾斜地の一部は開墾可能であっても里山として残す。そこから草葉、落ち葉、若木をとって肥料とする。そればかりでなく、薪炭等の燃料を得るためにもこうした雑木林を利用する。何しろ山は遠く、薪炭を買うのも大変だからだ。それから農具や生活用具の原材料としての木々もそこから手に入れる。
したがってどこの農家も雑木林を必ず持っていた。
そしてそこにはたくさんの人の手がかけられていた。だからとてもきれいだった。
明治の代表的な日本画家菱田春草が描いた『落ち葉』という絵がある。当時はまだ郊外だった代々木近辺の雑木林を描いたとのことだが、林のなかの土地は掃除されたようにきれいで、そこに紅葉がひっそりと何葉か落ちており、本当にきれいである。最初見たとき、これは春草が想像で書いたのだろうと思った。現実はこんなにきれいなわけがないからだ。茶色の落ち葉が山のように積み重なって下土がよく見えず、歩くとがさごそと音がし、落ち葉の一部は黒く腐っているというのが普通の林である。しかし、この絵は頭で考えてつくった風景ではなかった。堆肥にするために農家が本当にていねいに落ち葉拾いをしたらしく、下土は本当にきれいだったとのことである。しかも春草の絵は写実を基本にしていると言われているよう。それでこのようなすばらしい絵になったのではなかろうか。
このように雑木林は堆肥確保対策から必要だったのだが、もう一つ、空っ風対策からも必要不可欠だった。
葉っぱの落ちた冬の桑畑の中を浪人姿の三船敏郎が歩いてくる。空っ風が彼の髪の毛を着物を揺らす。近くの宿場町でも空っ風がすさまじい土ぼこりをまきあげている。黒沢明監督の映画『用心棒』(注)の一場面だ。冬の関東平野の情景をよく映している。乾燥する冬、粒子の細かい関東ローム層の土は北西から山を越えて吹いてくる季節風で舞い上がるのである。
これではせっかく肥やした畑の土が飛ばされてしまう。また、家の中がほこりだらけになってしまうなど、生活にも困る。これを防ぐためにも防風林・堆肥供給林としての雑木林が、また屋敷林が必要だったのである。
しかし、高度成長以降の東京の膨張で農地ばかりでなく雑木林、屋敷林もなくなってきた。これを保護緑地として認定し、遺して行こうとしている地域もあるが、ぜひそうしてもらいたいものだ。
(注)監督:黒澤明、脚本:菊島隆三・黒澤明、東宝スコープ、1961(昭36)年。古い映画の話をしてしまったが、これが関東ローム層と農業の話をするときにもっともいいし、何よりも面白い、もしもレンタルがあれば借りてぜひ見てもらいたいものである。
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