「耕やさずして林野天に至る」【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第204回2022年7月7日
1960年代以降、棚田の労働生産性の低さを解決するために。区画を広げる等の土地基盤整備が各地で進められた。
前回述べた中国山地を横断する列車の窓からもこうして整備された水田が見られるようになった。
段々になっている小区画の棚田をならして大きな区画の一枚の田んぼにしている。だからその田んぼの畦畔はかなりの高さとなる。しかもそれは土でできている(その方が安上がり、簡単にできるからだろう)。それで畦畔に傾斜をつけざるを得なくなる。その結果、畦畔の法面(のりめん)はかなり広くなる。
それを見て思った。広くなったしかも傾斜のある法面の草刈りは大変だろうなと。平坦地の低くて狭い畦畔でさえ大変なのだ。夏の暑いときの草刈りが規模拡大のネックになると農家が口説くほどなのである。田んぼの区画が広ければ労働生産性があがる、だから広げる、ということなのだろうが。
ふと気が付いた。整備された水田のいくつかの法面がところどころ青いビニールシートで覆われている。その近くには法面が崩れ、赤茶けた土がむきだしになっているところがある。その赤土に水の流れた跡がついていることからすると大雨などで崩れたのではなかろうか。それでそこをビニールシートで覆ったのであろう。もうすぐ崩れるかもしれないと思われる法面もあちこち見られた。
それを見たとき、石垣畦畔は傾斜地の農民の知恵だったことに気が付いた。
石垣であればいくら畦畔が高くとも雨で崩れたり流されたりすることはない(大水害、大地震でもない限りだが)。また、草も生えないので畦畔除草の手間は省ける。さらに田んぼの地表と直角に畦畔がつくられているので、斜めにした畦畔のように多くの土地が必要とされず、限られた土地を減らさずに田んぼとして利用できる。
こうした知恵をそのまま生かした方がいいのではなかろうか。膨大な公的資金をかけて基盤整備をして区画を若干大きくするよりも、またカネをかけてその後の地崩れを修復するよりも、棚田と石垣をそのまま残し、その稲作を維持するために金を出した方がいいという考え方もあるのではなかろうか。
農家の石垣積みの技術も残しておきたい。まさに無形文化財だ。この農民の技術が基礎になってお城の石垣の技術もできたとも推測できる。
棚田・段々畑と石垣、稲・麦・野菜、山林、そして散在する住居が織り成す心暖まる景観=人と自然の共同作品も残しておきたいものだ。だから、景観という面から整備をしないということもあっていいのではなかろうか。
しかしそうはならなかった。このような景観は徐々に見られなくなってきた。1960年代から始まった農産物の価格低迷、太平洋ベルト工業地帯の労働力吸収、機械化の進展などに対応できなくなった棚田や段々畑(基盤整備されたところも含めて)の耕作放棄や植林が進み、家がなくなってきたのである。もう完全に林野化して、ここがかつての棚田地帯だ、段々畑があった、家があったと言われてももうわからず、田畑の石垣畦畔や昔の曲がりくねった細い道路、井戸の跡等が草木の中に埋もれてちらっと見えることでその話が嘘ではないことがわかったりする。それを見るたびに、寂しく、悲しく、苦しくなったものだった。
前に述べた「裸の島」の段々畑、これもとっくになくなっていることだろう、島の農地は耕されることもなく放置、日本の豊かな風土からしてあの島はきっと緑の林野に覆われていることだろう。
「耕やさずして 林野天に至る」、
大昔に戻った。それところか平坦部の条件のいい田畑のなかにさえ耕さないところ=林野化するところが出てきた。
その後にこう続くのだろうか。
「これ富なるか、怠なるか」、
日本人は金持ちになったからなのだろうか、それとも怠け者になったからなのだろうか。もしも李鴻章にこう聞かれたらどう答えたらいいのだろう、困るところである。
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