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国葬の悪しき前例【森島 賢・正義派の農政論】2022年9月26日

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村八分という農村共同体での風習があった。村八分にされた人は、村民とは一切の付き合いを絶たれる。道ですれ違っても挨拶されない。まことに過酷な刑罰である。これは、まぎれもなく悪しき風習である。
しかし、弁護するわけではないが、葬儀と火事の二分は残した。つまり、村民の全ての葬儀は村民の全員が協力して執り行った。それは、集落総会で以前から決めていたことで、悪しき風習も多かったが、そのなかで古き良き風習だった。全ての葬儀が村葬だったのである。
そのなかで育ってきた人たちは、こんどの安倍晋三元首相の国葬を、どう思っているだろうか。

国葬の悪しき前例

かつての農村では、村全体にかかわる重要な行事は、村民の全員が一堂に集まって決める。信心深い北陸地方では、この会合はお寺の広間で行っていた。

村といっても、その範囲は明治以降の広い行政村ではなく、昔ながらの集落の範囲である。だから、40戸程度の小規模な会合だった。

こうした、地域の意志決定のための会合は、いまでも続いている。いまは、お寺の広間ではなく、公民館などで行われることが多いが、こうした小規模な会合は、いまでも続けている。

北陸地方では、この会合のための会費を「万雑(まんぞう)」というが、会合そのものを「万雑」ということもある。

こうして、集落の意志を決めるのだから、そうして小規模な会合だから、議論は徹底して行われる。お隣さんどうしの議論だから、もちろん口汚く罵りあうことはない。そうして、全員の意見が一致するまで議論は続けられる。

全員の意見が一致しないばあい、多数決で決めるのではなく、結論を先送りにする。そうして、世話役の人が、反対する人の意見をよく聞き、妥協案を作って、翌日に、また議論を続ける。

これが、共同体の民主主義であり、真の民主主義である。

これと比べて、こんどの国葬問題はどうか。内閣が勝手に決めてしまった。反民主主義というしかない。

民主主義と言われたいのなら、世話役であるべき内閣が勝手に決めるのではなく、「万雑」に相当する国会で、徹底した議論を行うべきだった。もちろん、各政党の主張が国民に分かるように公開すべきだった。

議論の論点は、安倍元首相が日本国のために何を行ったか、である。そして、日本国をどこへ向かわせようとしたか、である。そうして、国葬に値するか。

こうすれば、国民にとって、各政党の主張が分かり、10か月後に迫っている統一地方選挙のときの重要な参考にできた。だが、それをしなかった。これを前例にしてはならない。

「万雑」に戻るが。以前に見聞したことがある。

北陸地方の農村へ進出した企業は、万雑を負担して万雑の一員になっていた。そうして農繁期には、従業員が農作業をできるように休業していた。葬儀だけでなく、農繁期の農作業も、いわば村営だったのである。

農村だけではない。東京都内で以前に見聞したことだが、町内会のお祭りに、政府の出先機関が、お酒を寄進していた。

こうしたことを、いまの資本主義は、株主に不利という理由で、また、いまの政治は、行政の目的に合わないという理由で、否定的な評価をするのだろうか。

最後に1つ。今週土曜日から高齢者の医療費の自己負担額が2倍になる。だが、野党の反応はない。いまの日本は、身体も心も病んでいる。その上、回復の見通しがない。

(2022.09.26)

(前回   世界の潮流の変わり目に立って

(前々回  国葬問題にみる米欧型民主主義

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