近況、ハイコンセン・機械開墾【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第219回2022年12月15日
本題に入る前に、約2ヶ月間にわたって休載させていただいたこと、一言お詫びをさせていただきたい。実は10月初旬に「慢性硬膜下血腫出血」なるもので倒れて入院手術、その時に肺癌の存在がわかってまた別の病院に入院・放射線治療等々を受けていたことで原稿が書けなくなり、失礼してしまった。これも老化・経年劣化のため(加えて言えば生意気盛りの若い頃から始めた喫煙のせい、その言い訳に当時は葉タバコ作農家の発展のための喫煙だなどと言ってきたのだが、20年前にやめたにもかかわらず、時すでに遅しだったようだ)、お許し願いたい。もう年齢だし、このまま掲載をやめさせていただこうとも思ったのだが、書き残しておきたいこともあり、続けさせていただくことにした。ということで今後ともよろしくお願いしたい。

もう一つ、前に書かせていただいた小麦の話にちょっと戻らせてもらうが、ウクライナ危機に加えての世界的な不作のなかでわが国への輸入小麦の安定調達がさらに困難になっていることが今大きな問題になっている。
こうしたなかで、前に述べた国産小麦に対する期待が高まっており、うどんやパンへの国産小麦の採用が高まっているとのことだ。これに応えて生産者や農業技術者は品種改良や生産技術の向上、品質や反収の向上、栽培面積の拡大にさらに力を入れており、それとともに小売業者の国産小麦の採用も加速化しつつあるとも聞いている。
これは本当にうれしい。こうした動きが他の農畜産物にも起き、落ちに落ち込んだわが国の食糧自給率を向上させていってもらいたいものだ。
とりわれ7割以上を輸入に依存している飼料の自給率の向上だ。コロナ禍による輸送費の値上がり、ロシアのウクライナ侵攻による穀物輸出の混乱、そして急激な円安の影響を受け、その価格は徐々に上がり、配合飼料と乾牧草は、20年ほど前と比べておよそ2倍に値上がりしたというのだからなおのことだ。
なぜこんな外国依存になってしまったのか、そしてそこから何を学び、これからどうすればいいのか、それを考えるためにも、戦後本格的に展開された酪農の歴史の一端をこれから書かせていただきたい。
さて、本論に入ろう、1966(昭41)年(まだ私も若く、30歳になったばかりの頃だった)の夏、上北機械開墾事業の調査で青森県六ヶ所村に行ったときのことである。
1956年から60年にかけてこの事業で開墾された広大な草地を前にしていろいろと説明をしてくれた県庁の職員がときどき「ハイコンセン」という言葉を使う。初めて聞く言葉である。聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥というが、そんな言葉も知らないで調査しに来たのか、それで農学の研究者かと言われそうで何となく聞きにくい。しかたがないので話を聞きながら、また眼前の景色を見ながらいろいろ推測してみた。
ある瞬間、はっと気が付いた。そうか、これは「排根線」と書くのではないか。開墾のさいに機械で引っこ抜かれたものと思われる木の根っこや枝が灰色の線のように何筋も延々と草地の傾斜の中腹に連なっている。また職員の方が「ハイコンセンが開墾面積の一割にもなって入植農家への配分面積が計画より減ってしまった」という。この二つを合わせ、また発音と意味を考えるとそうなる。実際にそれで間違いなかった。
六ヶ所村、ご存知だろう、そうである、 原子燃料サイクル施設などの原子力施設、国家石油備蓄基地で有名なところである。
しかし、そもそもは漁業をいとなむ人々が沿岸部にわずかに住んでいるだけのまさに僻地だった。この村のある上北・下北の山間部には傾斜の緩い起伏地がかなり広くひろがっているが、気象条件がきわめて厳しいので作物の生産が難しく、かつては林野として放置されてきたのである。
でも、山間寒冷地といえども草ならつくれる。酪農をいとなむことができるはずである。他方で、都会には失業者があふれ、農村部では次三男の就業機会がなくて困っている(という時代だったのである、今の若い方には信じられないかもしれないが)。
そこで政府は、1950年代、この緩傾斜地へのそういう人たちの開拓と入植を考えた。
しかし、これまでの開拓(戦後の緊急入植)の経緯から考えるとそれは容易ではない。そもそも資金力がない入植者が、自力でしかも手労働中心で、林野を開墾して耕地を造成したり、住宅を始めとする生活基盤を整備したりするのには、何年もかかる。酪農の場合にはなおのことである。生活ができるだけの乳牛の頭数をそろえるのにはさらに相当の年数と資金を要する。そこにいたるまでの生活費も大変だ。一挙に導入すればいいが、いくら開拓資金等の長期低利の融資があったとしても、できるわけはない。実際にそれで離農していく農家がこれまで多かったのだ。
そこで考えたのがこうした問題点を解決する新しい開拓方式、「機械開墾」だった。
機械開墾とは、政府が林野の抜根から荒起こし、整地、播種まですべて機械で行って草地を造成し、また住宅・畜舎を建設してやり、さらに乳牛等の家畜や畜力大農具などもそろえてやって、入植農家に引き渡すというものである。
問題はそれにはお金がかかるということだ。いつかは入植農家から返済してもらうにしてもかなりの時間が必要となる。しかし当時の日本にはそれだけの資金力がない。
そこで政府は世界銀行(途上国政府に対し融資、技術協力、政策助言を提供する国際開発金融機関)から借金してこの機械開墾事業を行うこととした。
それを今述べた上北と北海道の根釧(注1)で1956年から10年計画で実施することにした。
「世銀借款」(世界銀行からの借り入れ)による「機械開墾」(これまでと違って開墾をすべて機械でやるということからこう呼ばれた)、当時は有名になったものだった。
上北ではこの機械開墾を2町2村にまたがる約6万haで実施し、350戸入植させることにした。そして、入植農家に開墾した耕地を一戸当たり5ha、付帯地(注2)2haを配分する、さらに住宅兼畜舎を建ててやり、乳牛(ジャージー種)4頭と耕馬1頭、豚4頭、鶏20羽(当時としてはすなり大規模だった)を準備してやる、こうして入植してすぐに畑作+畜産の「混同農業」(注3)ができるように、そして生活が成り立つようにするとしたのである。
このこと自体はこれまでの開拓行政の誤りを正すものとして高く評価できるものだった。しかし、問題も多々あった。
(注)
1.根釧とは北海道の根室・釧路地域を言い、そのなかの別海町で実施されたものだったが、事業は根釧パイロットファーム事業と呼ばれた。
2.開拓入植するさい、農地以外に、生産と生活に必要とされる林野などが農地に付帯する土地=「付帯地」として、開拓農家に配分されるのが普通だった。
3.「混同農業」とは欧米のmixed farmingを訳した言葉で、畑作と酪農等の畜産を結合した農業のことである。北海道の開拓地では明治初期からずっとその確立がさけばれ、東北の戦後開拓地でもこうした農業の確立が言われた。
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