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手仕事だった乳搾り【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第232回2023年3月23日

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1990年代のいつごろだったろうか、前に述べた東北地方の北上山系開発で入植した酪農家が借金で苦しんでいることを取材しているNHKのディレクターが私のところに取材に来た。そして私に「北上山系開発は誤りだったのではないか」と聞いた。そういうことを言う学者もいたからである。

私は即座に答えた、「間違いだったとは思っていない」と。飼料自給率の向上、山間地帯の過疎からの脱却ということからして北上山系開発のような未利用牧野や山林の草地造成、そして酪農振興はどうしても必要だと思うからである。

間違っているのはその後の農業政策であり、低乳価をそのままにし、外国からの粗飼料や乳製品、牛肉の輸入を進め、さらには色物牛乳やコーラなどの異常ともいえる普及を野放しにするなどして山間部の酪農経営を成り立たなくさせた国の政治の根幹にこそ問題があるのであって、開発それ自体は間違っていなかったと思うと。

もちろん、先に述べた上北機械開墾のような地域や経営の実態を無視した形式的機械的官僚的な計画の作成と実施に間違いがあったろうし、それは行政の責任でただしていく必要があるとは思う。だからといって開発計画それ自体が間違いだったとは思わない。東北のチベットとまで言われた北上山地がこの開発を契機に東北一の酪農地帯になったことはそれを示しているのではなかろうか。もしもこのとき草地造成せずにいたら、今の北上山地の村々は存続し得なかったであろう。

もちろんその地域でさえ酪農経営は苦しい状況におかれている。そしてかつての芝草地はもちろん、せっかくつくった草地も利用されず、荒れたままになっているところも北上山地のなかに出てきている。その後に来るのは裸地化である。寒冷気候だからなおのことそうなりやすい。その昔より人間がきちんと管理してきたから自然にできた芝草地でさえも裸地化せずに牧野として維持されてきたのだが、自然をまもるという視点からもまともな酪農政策を展開させていくことこそ必要なのではなかろうか。

こう私は述べたのだが、それはそれとして、ともかくこの北上山地を始めとする山間畑作地帯は、かつて地域の発展を妨げた公有林、生産力の立ち後れの象徴であった共有林野の大量の存在を逆手にとって利用して草地造成を始めとする農地開発を進め、大家畜生産を発展させてきた。

同時に前にも述べたような酪農の機械化装置化を進め(注)、飼育規模の拡大を進めた。

それを見て私が一番驚いたのは、搾乳の機械化だった。乳搾りのような微妙な仕事=仔牛の口と舌、喉の微妙な動きなど、人間の手でさえ難しいのに、機械などできるわけはないからである。これは体験した者しかわからないだろうが、などと私は思っていた。

私は山羊の乳搾りを体験していたからである。

山羊の乳、農家にとっては、とくに幼い子どものいる家では不可欠であり、私の家でも飼育していた。

この山羊の乳搾りは私たち子どもの仕事だった。慣れるまでが大変だった。下手に搾ると山羊はいやがって暴れ、乳を入れる鍋を足で蹴飛ばしたり、それどころか私まで後ろ足で蹴飛ばされたりした。当たり前である。乳は本来子山羊が口で吸うべきもの、それを人間が手指で絞るのだから、そもそもいやがるはずである。何回か失敗しながら、少しずつ覚えるより他ない。

まず、二つの乳頭のつけねのところを左右それぞれの手の親指と人差し指でおさえ、最初にその右手の両指をぎゅっと締め、それから順次中指、薬指、小指と上から指を閉じていく。そのさいには下に置いた鍋にうまく入るように乳頭の方向を定めておく。すると乳がシューッと細い線状になって下に出る。すべての指を閉じ終ると出なくなるので、次はもう片方の乳頭をつかんでいる左手の指を同じように順次閉じていって搾る。それが終わったらまた右手に移る。そんなに強くなく、だからといって弱くなく、それが微妙なのだが(慣れてしまえば何ということはない)、両手両指で代わる代わるこの搾りを繰り返す(うまく言葉で説明できないが)。何回かやっているうちに両方とも出なくなってくる。そこで搾るのをやめ、乳の入ったた鍋をこぼさないように家に運ぶ。

これで終わりなのだが、山羊でさえ大変なのだから、あの大きな牛の乳を搾るなど、こわいだろうと子どものころは思っていた。ところが、大学の農場実習で初めて搾らされた時、さすがである、山羊で慣れていたためだろう、ひとりでに指が動き、うまく搾れた。それでも牛はやはり大きい、下手な搾り方をしてもしかして暴れられたらと最初は恐る恐るだったが。

子牛の飲み方を真似たあの乳搾りの微妙な力の入れ方、こんなことは人間の手指でしかできないだろう、まさに手仕事、そう思っていた。だから1頭当たり1回20分から30分の搾乳、それも朝晩、いかに酪農家が大変であろうとも、これはやむを得ないことだった。それに牛の管理や飼料作物の栽培に時間がかかる。だからいかにたくさん牛を飼いたくとも、一人当たり2~3頭飼うのが精一杯だった。

しかし何と、その乳搾りが機械化されたのである。

(注)本稿2023年1月19日掲載 第223回「酪農の機械化・施設化と『混同農業』の崩壊」参照。

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