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【JCA週報】協同組合理念の明確化と貫徹のために(2/全6回)(一楽輝雄)(1978)2023年3月27日

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「JCA週報」は、日本協同組合連携機構(JCA)(会長 中家徹JA全中代表理事会長、副会長 土屋敏夫日本生協連代表会長)が協同組合について考える資料として発信するコーナーです。
今回は、本機構の前身の一つである協同組合経営研究所が発行した「協同組合経営研究月報」No.292(1978年1月)に掲載された一楽輝雄理事長(当時)の「協同組合理念の明確化と貫徹のために」です。
ボリュームの関係から6回に分けて掲載いたします。途中で他の掲載を挟んだ場合はご容赦ください。

協同組合理念の明確化と貫徹のために
「協同組合理論と現代の課題」研究会のオリエンテーションから-(2/全6回)

一楽輝雄 協同組合経営研究所理事長

1.協同組合とは何ぞや
(1)その目的と理想(1)
(2)競争原理対協同原理(2)
(3)相互扶助と自主独立(3)
2.協同組合原則について
(1)加入脱退の自由(3)
(2)民主的運営(4)
(3)出資金の性格(5)
(4)剰余金処分の合理化(5)
(5)事業活動に優先する教育(学習)活動(6)
(6)系統組織対連合組織(6)

1.協同組合とは何ぞや(つづき)

(2)競争原理対協同原理
今日のわが国の一般経済の世界において、人びとの行動の原理になっているのは競争原理である。すなわち経済にかかわる行為は、個人でも企業でも、他人のことは考えないで、ひたすら自らの利益のためにできるだけ上手に、能率的にたちまわるという弱肉強食の行き方である。これは資本主義体制を構築する土台になるものの考え方である。

これに対して、協同組合体制は協同原理すなわち相互扶助原理を土台にしなければならない。競争原理と相互扶助原理とは対立する原理であって全く相反する。

わが国の一般経済界においては、名実共に競争原理が徹底しており、資本主義体制は世界に冠たる発展を遂げたが、協同組合界においては、建て前と本音の間に食い違いがあり、相互扶助の原理が十分に貫徹していないということを認めざるを得ない。

相互扶助はまことに結構である。しかしそんなことだけでは経営というものは成り立たない。そんなきれいごとはほどほどにして、実践においては一般の企業における経営原理を採り入れなければならない、という考え方が非常に多い。

すなわち協同組合を維持発展させるためには、相互扶助原理に徹することはできないのであって、競争原理を不可避とする、というのが協同組合の経営にたずさわっている人びとの多くに共通する考え方のようである。こうした考え方を断定的に否定し去るのは実際的ではないが、これを全面的に肯定するのも当をえない。

こんな考え方を全面的に肯定することは、協同組合の存在そのものを否定することになる。この問題に関する協同組合運動実践者の考え方としては、相互扶助の原理を経営に貫徹させるには、少なからぬ困難を伴うが、そのことは決して不可能ではないとし、妥協は常に必要であるが、妥協の程度を一日一日と低くすることが必要であって、そのための努力を惜しむべきでない。

今日の世相から見て、功利主義が人間の本能であって、相互扶助などは特別の人や特別の場合にだけ存在し得るのであって、これを大衆の日常生活の中に求めるのは極めて甘い考え方である、と多くの人びとは言うであろう。

しかし私たちのお祖父さんやその先代くらいの時代まで遡ると、決して今日のように功利主義が徹底した世の申ではなかったようである。そして今日に於ても山間僻地などでは、それほどには功利主義が徹底しない生活がなされている所が、全然ないわけではない。人びとの意識の現実は現実としてこれを認めなければならないが、現実の姿を目してそのままにこれを本能であると断定すべきではない。人間の考え方は環境によって意外に簡単に変わるものであるということこそ認識しなければならない。

歌舞伎芝居などでは、今日の人びとの間では到底ありえないような形の義理人情が昔は行なわれていたことを物語っている。またわたしども自身が経験したことでは、大東亜戦争の敗戦以前と以後の間での、人びとの意識の変化の激しさには驚くべきものがあった。

中国に行ってみると、新中国成立後まだ30年にもなっていないのに、あの大国があの変わりようである。昔の中国人から私たちが受けていた印象はどんなものであったであろうか、わたしにはよくわからないが、今日の中国では民衆は各自銘々に自己の利益のために汲々としているのではなく、多分に公のために奉仕することが行動の基準になっている、ということは否定できない。

こうした例からも、人間の意識というのは、一定の条件と環境さえ整えば、相当根本的にも変わるものだなあ、とつくづくと考えさせられる。

私たちは現実に競争原理が支配力を発揮している社会に住んでいるので、競争原理で行動するのが安易であるが、この競争原理が何時までも社会に支配的勢力を維持するとは限らないということを考えねばならない。競争原理が支配する社会においては、不断に矛盾が相次いで発生せざるをえないし、それが深刻さを加えざるをえないから、競争原理の支配には堪えられないという自覚が民衆の間に一般化する日が、必ずやってくるだろう。

自分のことだけを常に考えて、社会の矛盾には一向に関心を持たないならば、社会の現状とそこに住む人びとの意識の状況をそのままでいつまでも変わらないものと思うのが当然であろうが、こうした考え方こそ、実に甘い考え方である。

競争の原理によってもたらされた今日の社会のいろいろな問題、それがいかに大きな問題であり、深刻な問題であるかということは、昨日の力石定一さんのお話(本誌1977年11月号掲載)と本日午前中の槌田敦さんのお話(本誌1977年12月号掲載)によってだいぶんおわかりいただいたと思う。

競争原理が支配する社会の欠陥は、従来は貧富の差、分配の不公平、搾取と被搾取といった面のことであったが、今日においてはそうした次元のことではなく、それよりももっと根本的な次元のこと、すなわち人類の生存そのものにかかわることである。

問題は商品経済を前提とした世界での、経済的な損得といった面でのことではない。文明の問題であり、科学技術の問題である。われわれの生活の在り方である。

現代の科学の進歩、技術の発展は、もはや無条件にはこれを歓迎すべきではなく、行きすぎの修正や方向の訂正を必要とする場面が続々と発生している。本来人間の幸福のための科学であり技術であるべきものが、人間の幸福どころか、その生存を脅かす懸念を引き起こすようなものになった原因は、科学と技術が競争原理に基づいて発展した経済に支えられたからである。科学の進歩、技術の発達そして文明の進展が何らの懸念もなく人類の幸福を増進するものとなるためには、科学や技術を支える経済力が相互扶助の原理に基づくものにならなければならない。

ロッチデールあるいはそれ以前の時代の協同組合運動人たちは、資本主義の発生と共に、資本主義に伴う社会悪を容認することができなくて、資本主義を回避する道を求めて協同組合運動を始めたものであり、当時から最近までの社会悪は、経済的利益の獲得における不平等、不公正であった。それは、労働組合運動の進展や政治における民主化の進展によって、そして協同組合運動の効果もあって、幾らかずつは改善の傾向にあると言えよう。

しかしながら今日現われるようになった社会悪は、こうした従前の社会悪とは性質を異にするものであって、実に深刻な問題である。

このように考えるなら、競争原理に対抗して相互扶助原理を掲げて、協同組合運動を強力に展開することの必要性は、ロッチデールの組合が誕生した頃とは比較にもならないほど強いものがある。

すなわち相互扶助原理は従来からの協同組合運動の昂揚のために再認識しなければならないだけでなく、そのこととは別な新しい見地からも、環境破壊、資源枯渇というような問題に直面する時代を支配する原理として、競争原理に代わらねばならない。相互扶助原理は、このように今日の時代的意義を持っているものであるから、この原理を実現するものとしての協同組合運動は、今こそ新生の意気をみなぎらして再出発すべきであろう。

(続く)

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