養蚕の戦後再興と高度成長期の技術進歩【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第239回2023年5月18日

1941(昭16)年の太平洋戦争の勃発、当然のことながら欧米への絹糸、絹織物の輸出はできなくなり、養蚕は大きな打撃をを受けた。落下傘の原料として繭が必要だ、増産しろと一方では言いながら、他方では生糸輸出の激減と深刻化する食糧不足に対応するために桑園の普通畑への転換を推奨したのである。小学生だった家内が敗戦の日に勤労動員で桑の根を掘りに行かされていたというが、これはそうした政府の方針によるものだった。
こうして養蚕は減ったが、戦後になっても主要な作物であることに変わりなく、1950年代はまた世界一の生糸輸出国になった。
しかし、かつて女性のあこがれの的だった「絹の靴下」が「ナイロン(注)の靴下」にとってかわられたことが典型的に示すように安価な化学繊維が開発・普及され、さらに途上国での繭生産が発展するなどから、輸出が徐々に減少してきた。それで繭価は低下し、養蚕は引き合わないとやめる農家があらわれるようになった。そして政府は1958(昭33)年に桑園2割減反の政策を打ち出した。母の実家もそれで養蚕をやめ、果樹に切り替えた。
しかし、戦後復興が進む中で、絹の需要が復活してきた。
「もはや戦後ではない」と政府が経済白書で宣言した1956(昭31)年に私は成人となったが、成人式には参加しなかった。官製の式などに参加してたまるものかみたいな反抗心からだった。だからみんながどんな服装をして式に出席したのかはわからない。でも少なくともそのころの女性は全員ハデハデな振り袖姿ではなかったような気がする。
それが成人式=着物コンクールなどと言われるようになったのは1960(昭35)年ころからではなかったろうか。このことは一般庶民が娘のために絹の着物を買えるような時代になってきたことを示すものだった。そしてそのころから本格化するいわゆる高度経済成長は絹織物の国内需要をさらに増やした。
当然これは繭糸価格の相対的な安定をもたらした。しかし、条件の悪い桑園などでいとなまれる養蚕は人手不足と諸物価上昇に耐えられず、果樹やタバコなど他の作物に切り替えられるしかなかった。
これでは内需をまかなうことができない。そこで政府は政策を転換し、繭糸価格の安定、養蚕の生産性向上と規模拡大に力を入れるようになった。ただしそれは輸出振興のためではなく、国内で自給するためであり、ここにかつてとの大きな違いがあった。
そのための一つとしてやったのが集団桑園の造成だった。東北では福島・岩手などの山間地で農業構造改善事業などを利用して林野を大規模な桑園に造成している。そしてこれを共同でもしくは分割して大規模に経営することとした。
といっても、養蚕は米麦などと比べて労働がかなりかかるものだから、従来の技術では大規模に経営することができない。
しかし、技術は大きく進展していた。
私の小さい頃(敗戦前)不思議だったのは山形の奥羽線沿いにほんの一部だが樹高3~4mの桑畑があることだった。また1955年頃、宮城の県南県北の河川敷にも同じように背の高い桑の畑があった。これは「高桑仕立て」と言い、豪雪や河川の氾濫で被害を受けないようにするための桑の仕立て方だということを後で知ったが、時代はそれと逆にどんどん桑の木の背を低くさせていった。
そして、樹高を地面から30cm以下で抑え、そこからたくさんの枝を出させるという「根刈仕立」が戦後は普通になってきた。かつてのように高いところに登って桑を摘むということがなくなったので作業はかなり楽になった。
もっと楽にしたのは、枝ごと刈り取ってきてそのまま蚕に与えるという「年間条桑育(じようそういく)」技術の導入だった。もちろんこの条桑育がこれまでなかったわけではない。枝や葉の若いやわらかい時期に枝を刈ってきてまだ幼いころの蚕にそのまま与える場合もあった。それを飼育の全期間にわたって行うようにしたのである。一枚一枚桑の葉を摘んできて与えることからくらべたら労働が大幅に軽減されることはいうまでもない。また給桑回数を減らせるということからも省力化できる。60年代に導入されたこの技術はまさに画期的なものだった。
そればかりではなかった。この条桑育と根刈り仕立ては桑の収穫の機械化を可能にする技術につながり、この点からしても画期的な技術だった。それは、歩行型さらには乗用型の「桑刈り取り機」、かつては考えもしなかった機械化を60年代後半に実現させたのである。
しかし、条桑育には問題点もあった。飼育に広い空間が必要となることである。葉を与えるのであれば、蚕を飼育する棚はそれほど大きくなくていいし、棚と棚の間は人の手が通るくらいの隙間でもいいが、伸びた枝をやるとなるとそういうわけにはいかない。飼育空間を広くしなければならない。しかし、広くしてこれまでと同じく家屋敷の中=屋内で飼育するとなると、飼育する蚕の量を減らさなければならなくなる。これでは収入が減る。
そこで開発されたのが「屋外飼育」の技術だった。
(注)石油を原料とする合成樹脂によりつくられた世界初の合成繊維の名称。
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