蚕の飼育管理技術の発展【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第240回2023年5月25日
蚕の飼育、これは前に述べたように家族の住む家の中、屋内でなされてきた。つまり人間と蚕が同居し、大事に大事に育てたものだった。
だから養蚕農家にお邪魔すると一種独特のにおい(「匂い」とは書けないが「臭い」とも書けない)がしたものだった。囲炉裏の煙や煤、畳・柱・床・家具を始めとする人間の暮らしのにおいに加えて、桑葉・蚕・蚕糞・稲藁や竹等の蚕具の入り混じったにおいが家に染みついているのだろう。私にはなつかしいいいにおいである。養蚕をやめた農家でもかなり長期間それは残ったものだった。
そのにおい発生源の蚕の屋内飼育が、1970年代になって家屋の外でなされるようになった。簡単なプレハブの建物やビニールハウスを家屋とは別に設置し、そこで蚕を飼育するのである。
こうすると、飼育規模は居宅の広さに限定されることなく、飼育規模に応じて広く場所をとることができるので、条桑育が容易にできる。さらに給桑・飼育の機械化・施設化が容易となる。実際にこうした飼育場所に新たに開発された台車付飼育装置を導入するなどして、省力化を大きく進めた(そればかりでなく、家族の生活空間が蚕で占領されなくてすむようになったのだが、農家にとってそれは派生的な成果でしかなかった)。
といっても、稚蚕(卵からかえったばかりの幼い蚕)は屋外の簡単な施設で飼育するわけにはいかない。これは養蚕農家が共同で設立した稚蚕共同飼育所で、つまり温度管理などがきちんとできるかなりがっちりした建物のなかで、その地域の最高水準の技術で大事に育てる。そして一定の大きさになった蚕が農家の希望の量だけ配分され、それを屋外施設で育てるのである。
そもそも稚蚕共同飼育所は健康な稚蚕を育てるということから始まったのであるが、その結果としてかつてのように家の中で夜も何回か起きて温度を調節するなど神経を使いながら大事に育てる必要がなくなり、さらに比較的丈夫な大人になった蚕(壮蚕)を屋外で飼育することが可能となったのである。
次に上簇(じようぞく)だが、この技術進歩を初めて見たのは母方の叔母が嫁に行った家でだった。山形市山寺(松尾芭蕉の「奥の細道」に出てくる「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の句がつくられたところ)のさらに奥で酪農と養蚕を主軸に農業をいとなんでいたが、70年ころ(だったと思う)訪ねたら義理の叔父がいいものを見せるから来いと小屋に連れて行ってくれた。何かと思っていったら、ボール紙でつくられた四角の菓子箱を大きくしたようなものが天井からぶらさげられている。よく見ると、ボール紙は井桁状(格子状と言った方がいいかもしれない)の編み目に組まれ、その両底のない井桁(格子)の各区画(繭が入るくらいの大きさ)にそれぞれ一個の繭がうまくおさまっている。要するにこれはまぶし(簇)なのである。これまでの稲わらでつくられたまぶし(注)から見ると場所はとらないし、わらが繭にくっついたりもしないし、外すのも楽である。
それはいいのだが、問題は繭がまぶしの上の方の井桁に集中してしまうことだ。蚕には繭をつくるときできるだけ上でつくろうと上に登る性質があるからである。そこで考えられたのが、この「回転まぶし」だ。まぶしをぶらさげて回転できるようにしておけば、蚕がまぶしの上の方に登るとその重みで区画がくるっとひっくり返る。すると下になってしまった蚕のうちまぶしがまだ決まっていないものはあわててまた上に登る。こうしたことを繰り返しているうちにまぶし全体に満遍なく繭が行き渡るようになる、こう言うのである。なるほど、蚕の生態から学んで何とまあよく考えたものだと感心すると同時に、思わず笑ってしまった。
60年代から70年代にかけて進んだこうした技術革新、これは従来の経営規模の限界を克服するもの、新しい時代の夜明けを示すものだった。
(注)「まぶし(蔟)」とは、十分に成熟して体が透き通ってきた蚕に繭をつくらせるためにつくってやった器具のこと、「回転まぶし」の前は稲わらでつくられてきたが、このことについては本稿の下記記事で詳しく説明しているので参照されたい。
2020年5月21日掲載・第99回「養蚕に不可欠だったわら工品」
https://www.jacom.or.jp/column/2020/05/200521-44425.php
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