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養蚕の壊滅【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第242回2023年6月8日

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桑園荒廃の始まりを宮城県南で見ながら網走の東京農大に再就職した翌年(2000年)の夏休み、福島県中通りのある農協を訪ねたとき、案内してくれた町役場の方がこんな話をしてくれた。

「20年前はこの農協管内の農家約500戸のほとんどが養蚕をいとなんでいた、しかし今は1戸もいなくなった、養蚕は全滅だ」

驚いた。養蚕で名を馳せたこの村がどうしてこんなことになってしまったのか。しかもこうした状況はこの地区ばかりではない、阿武隈丘陵を始めとする養蚕地帯のほとんどがそうなっているという。

その理由として、若者が養蚕を嫌うから、毛虫に近い蚕に触るのをいやがるからだと説明する人もいた。その結果養蚕は年寄り仕事になり、その高齢化が進んで養蚕農家数、収繭量とも減少し、耕作放棄までなってしまったのだというのである。

そうした側面がまったくないわけではないだろう。しかし、若者の全部が全部嫌っているなどということはあり得ない。実際に積極的に養蚕に取り組み、機械化・省力化を進め、規模拡大を進めている若者もいた。したがって、畜産のように、戸数は減ったが一戸平均飼育数と生産総量は拡大するというようになってもしかるべきだった。しかも繭の国内需要はある。わが国は世界の四分の一の絹を消費する絹消費国なのだ。

ところがそうはいかなかった。養蚕をやりたいと考えていた若者もやろうとしなくなり、それどころかやっていた若者たちもやめるようになってきた。

当然である。80年代からの一層の円高ドル安の進展と本格的な輪入展開で中国など海外から安い生糸や絹製品が入ってきたので、繭の価格が年々低下し、養蚕では他産業並みの労働報酬が得られなくなったのだから。

もちろんそれに対応すべく養蚕、製糸、紡績すべての分野で技術革新を進めてきた。

しかし輸出国の低賃金にはかなわなかった。それでも、労働市場から排除されている高齢者や婦人の労賃水準程度なら得られるので、そうした層により何とか維持されてきた。でもそれは続かなかった、そして高齢化の進展のなかで条件の悪いところから桑園の耕作放棄が進むようになってきたのである。

1995年からはWTO合意で繭と生糸の輸入制限が撤廃、関税化され、国産生糸価格は輸入品に価格の主導権を奪われ、かつて数多くあった製糸工場はほとんど壊滅し、繭価格は低落の一途をたどるだけだった。

こんな先行き真っ暗な養蚕をやろうなどとする若者が出てこないのは当たり前だ。それどころか高齢者もやめるようになってきた。働けなくなってきたからだけでなく、収支引き合わなくなってきたからだった。

その結果が2000年にみた福島の養蚕の壊滅状況だったのである。そして過疎化の進展だった。

これは他の養蚕地帯でも同じことだった。その後桑園が別の畑作物で利用されたのであればまだいいのだが、必ずしもそうはならなかった。養蚕と並んで中山間部で推奨されたホップ作はこれまた輸入でつくれなくなり、葉タバコ作は禁煙運動で壊滅の道をたどり、もうどうしようもなくなってきた。米も過剰だからつくるなと言われる。果樹や野菜、畜産物も輸入で困っているとき、新たに始めるわけにもいかない。何もつくるものがない、放置するより他ない、その結果が「桑林」の出現だったのである。

それをこの目で見たとき、ただただ呆然とするだけだった。

同時に、目がかすんできた、そして頬が冷たく濡れてきた、嗚咽をこらえるのに、同行してくれた県の職員の方にその顔を見られないようにするのに、苦労したものだった。

東京農大オホーツクキャンパスに在職していたころ、02年ではなかったろうか、ある学生が耕作放棄を卒論のテーマにしたいと統計を調べ始めた。あるとき私のところに、驚いて飛んできた。2000年センサスを見たら福島県の耕作放棄地面積が全国一だった、東北は全国有数の農業地帯と言われているのに、これはどういうことなのかと。

そこで言った、耕地面積がどれだけあるかを考えてみろ、耕地面積に対する放棄地の比率ではもっと下位になるはずだと。たしかにそれで見ると福島は6位だった。

それにしても彼には意外だったようである。耕作放棄は中四国や中山間地帯の多い県で進み、東北はそれほど進まないと思ってきたようなのだ。それも当然だろう。実際に福島以外はそんなに多くはない。それなのになぜ福島が突出するのか。

やがて彼は気が付いた。福島には全国でもトップクラスの桑園があり、それは阿武隈丘陵等の中山間地帯に多く、その耕作放棄が多いからなのだと。そしてそれは後継者不足問題もあるが、それ以上に大きいのは外国からの絹の低価格輸入によるものだと。

とはいっても、桑園は果樹園とか畑地とかに切り替えればいいはずである。しかしそれは容易ではない。既存の果樹産地、野菜産地でさえ輸入と産地間競争で苦しんでおり、今さら新らしく始めても太刀打ちできない。山間の小区画不整形の傾斜地ではなおのことだ。すでに農業に意欲をもつ若者もいなくなり、担い手不足も進んでいる。かくしてかつてのように果樹・野菜に切り替えられることもなしに耕作放棄されることになったのである。

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