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農ある世界でセカンドキャリアを【小松泰信・地方の眼力】2023年7月12日

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日本野球機構(NPB)による「2022年戦力外/現役引退選手の進路調査結果」によれば、該当者は145名。平均年齢は27.8歳。平均在籍年数7.7年。選手としての期間は10年にも満たない。華の命は短くて、その後の人生が極めて長い。野球に限らず、他のプロスポーツも同じ。大相撲では、「年寄」と呼ばれるために若いときから金策に走るくらいですから。

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コロナ・家庭菜園・戦力外、そしてイチゴ農園へ

朝日新聞デジタル(6月14日8時配信)は、「プロ野球選手のセカンドキャリア(小松注;第二の人生における職業)といえば、指導者や解説者など野球関係が定番だ。そんななか、イチゴ農家に転身した人がいる」と、中日ドラゴンズの元投手・三ツ間卓也(みつま・たくや)氏を取り上げている。

2015年の育成ドラフト3位から支配下選手となり、主に中継ぎ投手として1軍のマウンドに立っていた。

20年の春、新型コロナウイルスの感染拡大により、プロ野球の開幕も延期された。当時1歳半の長男と自宅で遊ぶ時間が増えたが、外出もはばかられる状況の中で、自宅のベランダに人工芝を敷き、プランターに花や野菜を植えることに。

「苦肉の策」で始めた家庭菜園で、長男の反応が最も良かったのがイチゴ。ユーチューブで独学し、イチゴ栽培が趣味となる。

21年、戦力外通告を受け引退。「イチゴ農家になったら?」との妻からの提案を一度は拒否したが、「何万人もの中でプロ野球選手になれたということは、あなたには一つのことを極める素質がある」「もう一度、好きなことにチャレンジしてみたらどう? 私、仕事頑張るよ」と説得され、イチゴ農家の道に。

22年春、神奈川県の「かながわ農業アカデミー」(海老名市)に入学、そして横浜市内のイチゴ農家で研修。最も苦労したのが農園用地探し。やっとの事で土地が見つかり、今春イチゴの苗を植え、12月には開園の予定。

レモン農園を軸に、動物愛護・ライブ配信・野球指導を

三ツ間氏同様、2022年に戦力外通告を受け11年間のプロ野球選手にピリオドを打ち、レモン農家としての道を歩み始めたのは、広島東洋カープの元投手・戸田隆矢(とだ・たかや)氏。

東広島市安芸津町の瀬戸内海を一望できる場所を今年1月から開墾し、レモン栽培に取り組むことに。

農業未経験者のため、近くで農園を営む甲斐直樹(かい・なおき)氏に手ほどきを受ける。坂上俊次(さかうえ・しゅんじ、中国放送アナウンサー)のコラム(文春オンライン、2023年1月16日付)によれば、甲斐氏は、「我々の仕事は、体力が基本です。戸田さんは身体能力も高いわけですから、これは大きいです。それに、彼は有名な元・アスリートです。その発信力で広島レモンを広める力があると思います。広島県はレモンの生産量日本一ですから、戸田さんの活動を通じて、全国に知ってもらいたいです。彼ならではのPRや販売の姿は、我々にも刺激を与えてくれるだろうと楽しみにしています」と、期待を寄せている。

また、戸田氏は、「ひろしまリード」(2022年12月12日付)で、「ゆくゆくは自社ブランドを立ち上げて商品化し、収益の半分を動物愛護の活動に充てる」「妻と合同で会社を設立し、レモン農園を軸に、動物愛護、ライブ配信、野球指導など、さまざまな活動をしていく」「野球では億プレーヤーにはなれなかったので、第二の人生ではそこを目指していく」と夢を語っている。

タマネギ栽培でがっちり

引退後、農業で成功している大先輩が、1985年から2000年まで日本ハム、巨人、ロッテで投手として活躍した河野博文(こうの・ひろふみ)氏。現在は有機栽培の農産物を生産販売する株式会社の代表取締役。氏の、農業でのサクセスストーリーを伝えているのが、中野龍(なかの・りゅう)氏(「bizSPA!フレッシュ」、2022年7月12日付)。

現役時代"げんちゃん"の愛称で親しまれた河野氏は、2008から09年に独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスでコーチを務めることに。ここでの出会いが転機となる。

「群馬に2年間いたのですが、本当にいいところなんですよ。お世話になった群馬に恩返しがしたい、何か地域貢献ができないかと考えていました。そして、地元のいろんな方と知り合う中で、すごくおいしい無農薬タマネギを作っている農家の方と出会い、これだと惚れ込みました。(中略)農業なんて全く経験がなかったので、一から教えてもらっての挑戦でした」、13年に株式会社げんちゃんを設立し、無農薬タマネギの生産販売に乗り出したが、「最初は全く売れず、大赤字でした。せっかく作ったタマネギを10トンも廃棄しました。畑で自分たちで潰したのですが、本当に悔しかった。当たり前ですが、商売はいい物を作るだけではダメ。売り先があってのことなのだと骨身に染みました」とのこと。

その後は販路を確保すべく、巨人時代のユニフォームを着て、スーパーの店頭販売に立つなど地道な営業活動を続けたそうだ。

そして、「契約農家を全国に広げて、様々な無農薬野菜を販売したいと考えています。野球OBは各地にいるので、野球人脈を活かして事業を拡大し、全国の農業を活性化させたいんですよ。野球とも絡めたら、地域がもっと元気になると思うんです」と、農業と野球選手のセカンドキャリアについての貴重なご意見。

半農半Xが誘う変幻自在の生き方

プロスポーツ選手のセカンドキャリア問題は農業で解決、などと簡単に結びつけるわけではないが、有力な選択肢のひとつであることは間違いない。

「2022(令和4)年度 食料・農業・農村白書」によれば、2021年の新規就農者数は約52.3千人(前年比2.7%減)。将来の担い手として期待される49歳以下の新規就農者は18.4千人。うち、前述の三ツ間、戸田、両氏のような新規参入者はわずか2.7千人。まして農業と別世界、それもファンに囲まれた華やかな時を有してきた人たちに、農業を知る機会は決して多くない。問題は、いかにしてつなぐか。

塩見直紀(しおみ・なおき)氏が、「半農半漁」にヒントを得て創作した「半農半X」という用語、そしてその生き方が多くの示唆を提供してくれる。氏の「いろんなものを組み入れていい。漁業や林業でもいい。自分仕様。それがとても重要です。カスタマイズ自由、ローカライズ自由、というのが、時代に合っています」(朝日新聞デジタル、2022年7月7日17時配信)との言葉に従い、Xにプロスポーツ選手、半に足して10となる1から9の数字を入れてみる。するとそこから、「農」とつながる変幻自在の生き方がイメージされる。まずは、ここで紹介した先駆者の協力を得ながら、「農ある世界」の魅力を訴えること。

プロスポーツ選手の経験は、農業や地域社会にさまざまな好影響をもたらすはず。そして彼ら彼女らも輝くはず。

「地方の眼力」なめんなよ

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