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遊び道具の宝庫-道端の草-【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第255回2023年9月7日

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私の子どものころ(昭和10年代)の道路は主要国道以外ほとんど舗装されていなかった。いうまでもないが、土の道であれば草が生えてくる。しかし、さすがに町の中の道路には生えない。しかし、町はずれになると、人と車がたくさん通る道の真ん中以外、つまり道の両脇には草が生える。

その草は背の低いものが多い。やはり道路の土は硬いから、またたとえ両端でも人があがって踏み歩くものだから、柔らかく伸びる草などは育たないのだろう。背が低くて踏まれ強い草が残ることになり、なかでも多かったのがシバとミツパでこれがびっしり広がり、そのなかに前に述べたベッキグサ(オオバコ)やヌカボなどが生えていた。

シバ(芝)については説明するまでもないだろうが、ミツパについて若干話させてもらおう。

道端に密生して生えている草の一つ、高さ約数センチの細い葉柄の先に小さい葉っぱが3枚ついている背の低い草を、私たちは「ミツパ」と呼んでいた。3枚の葉=三つ葉からこの名前がつけられたのだろう(ただしなぜミツバでなくミツパなのかはわからない)。そのミツパに小さな毬状の白い花が10センチくらいの高さの細い花柄の上に独特の匂いを発してびっしりと咲く。その花が団子と似ているからだろうか、私たちはそれをダンゴッパナ(団子花)と呼んでいた。その花は、編んで首飾りにしたり、冠にしたりするなど、子どもたちのいい遊び道具だった。また、たまに四つ葉があり、それを見つけるといいことがあるということで、その探しっこをするのも遊びだった。

このミツパがクローバーと呼ばれるものであることを知ったのは小学校の6年ではなかったろうか、学校で連れて行ったくれた映画の中にクローバーの歌が出てきたからである。

「青い四つ葉の クローバたずね ともに歩いた 君恋し‥‥‥‥」

この最初の歌詞しか覚えていないし、曲名もだれの作詞・作曲なのかもわからないのだが、何かものすごく気に入り、それでミツパはクローバーとも呼ばれることを知ったのである。とはいっても、トランプのクラブを私たちの小さいころはミツパと呼んでいたのだから、気が付かなかっただけなのだろうが。

でも、ミツパは私の育った地域の言葉で、日本の共通語では「シロツメクサ」と言うことを知ったのは研究者になってからのことだった。オランダからの船が積んでくるガラスや陶器などが壊れないようにクローバーの乾草が緩衝材として詰められていたことからそれは「詰め草」と呼ばれ(注)、その種子が落ちて全国に蔓延した帰化植物だったのである。

なお、私の生家のある地域(山形内陸)では野菜(セリ科の植物で、山地の日陰などに自生もする)の「ミツバ」もミツパと呼んで売っていた。そうなると、雑草のミツパとどう区別したのだったか、記憶にない。最近では、共通語が普遍化してくるなかで野菜のそれをミツバと呼ぶ場合が多くなっているようだが、雑草のミツパは相変わらずミツパなのだろうか、クローバーと呼ぶようになっているのか、書きながらちょっと疑問になってきた。

私たち子どもが慣れ親しんでいたミツパ、これは日本在来の植物だと私たちは思っていた。九州から北海道まで、どこにでもある雑草だからだ。帰化植物であると知った時はショックだったが、すでには子どもたちの遊びに使われ、家畜の餌としてもかつては使われるほと日本に定着したもの、まあこれくらいはいいだろうと思っていた。ところが戦後、とんでもない植物が帰化していろいろ悪さをしている。困ったものだ。

なお、外国から来た植物、これだけでは帰化植物と言わないのだそうで、そのなかの野生化して繁殖している植物、これを言うのだそうである。

それを聞いたとき疑問になったのがラベンダーだ。わが家の庭のラベンダーがすごく成長しているが、放っておいたらこれも野生化するのだろうか。でもそんな話は聞いたことがないので大丈夫なのだろう、そう思って安心して観賞しているのだが。

この道端の草のなかにヌカボと私達が呼んでいた草がある。芝草を大きくしたような草で、葉っぱは丈夫で切ろうと思っても手ではなかなか切れない。この葉っぱ数本を両手にそれぞれ持って結んでおく。知らないでそこを通った子どもが足にひっかけて転ぶ。それを狙って結ぶのだが、これも遊び(上に「いたずら」がつくが)だった。

なお、このヌカボはその繊維の強さを利用して軍服にすることにしたというので、私が小学(当時は「国民学校」と改称されていたが)3年の時の夏休みの宿題として南京袋一袋分とって来いという宿題を課せられた。そこで子どもたちみんなでとるものだからあっという間になくなり、集めるのに苦労したものだった。

ついでにもう一つおまけにいえば、同じく宿題として今行った道端の草むらを始めとするあらゆる空き地に「ヒマ(=トウゴマ)」という植物を植え、その実を学校に持ってこいという宿題も課せられた。

私たち子どもにとってはとんでもない宿題、ヌカボやシロツメクサなど道端の草むらも大迷惑、こんな敗戦1年前の小学生の夏休みだった。

遊びの話からはずれてしまったが、こんな戦争協力もさせられ、草むらも大迷惑をこうむったこともあったということで、ここに記載させてもらった。

話はちょっと飛ぶが、今NHKテレビの朝ドラで日本の植物学者・牧野富太郎をモデルにした「らんまん」が放送されている。これをきっかけに子どもたちがスマホにばかりしがみついておらず、日本の自然に、山野草に、さらには農作物に親しむようになれば、そして昔の遊びを復活し、後世に伝えて行くなどという動きが出てくればなどと期待しているのだが(まあ、無理だろうとは思うが)。

言うのを忘れていた、「べっきどん」の話以来本稿で話題にしてきたペッキグサ(オオバコ)、これも道端の草むらのなかに生えているが、ご存知のように成長すると花穂をつけた茎を数本伸ばす。これも遊びの道具にした。

二人でその穂を下から一本ずつ摘み取り、それぞれ両手に持って十字にひっかけあって引っ張りっこをする。茎の繊維が強いせいかなかなか切れない。それでもがんばって引っ張っているうちにどっちかが切れる。切られたて方は負け、切った方が勝ち、こんな「相撲取り」と呼んでいた遊びなどもやったものだった。

きっとこれもその昔の子どもが考え出し、それが伝わってきたものだろう。

こうした伝来の遊び、また野草と親しむ遊びが21世紀に消えてなくなる。これも時代の流れ、やむを得ないのだろうが、何か淋しい、本当にそれでいいんだろうかなどと考えてしまう、よけいなお世話かもしれないのだが。

(注)飼料作物として栽培されるレッドクローバーは「赤詰草」だが、学名は「ムラサキツメクサ」となっているようである。

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