続・「はしか」と幼い妹の死【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第269回2023年12月14日
お葬式で写真をかざろうにも妹・艶子の写真はなかった。当時のことだからカメラ(あのころは写真機と呼んでいたが)などは家になかったし、写真屋さんに行って撮ってもらう暇もないほどごたごたと忙しかったからだ。こんなことになるなら無理してでも撮ってもらっておけばよかったと家族は後悔したがもう遅かった。
しかし、一度だけチャンスはあった。前の年の初夏、私が妹をおんぶして友だちの家に遊びに行ったとき、その家に客で来ていた兵隊さんといっしょの写真を撮ってくれたのである。しかしそのとききげんの悪かった妹は背中で泣いていた。それが恥ずかしかった私は妹の顔をむりやり私の頭で隠した。だから写真には私の顔の後ろに妹の耳がちらっと写っているだけだった。泣き顔でもいいから撮っておけばよかった、なぜあのとき恥ずかしがって隠したのかと、今でも自分を責めている。
父と母がいない雪の中のお寺での葬式はさびしく終わった。妹は小さな小さなお棺に入れられ、近所の人に背負われて、火葬場に向かった。帰って来たのは白い布に包まれた小さな小さな骨箱だった。
妹の死は、病院で生死の境をさまよっていた父には知らせなかった。でも、付き添いに来ていた祖父のあわただしい動きを熱に浮かされながら見ていて、何かあったようだとは思っていたらしい。
何とか危機を乗り切ったところでようやく私たち子どもが父に面会に行くことを許された。病院に行くとき、妹の死んだ話は絶対にするなと祖母からきつく言われた。父はまだ起き上がれず、布団に臥せったまましばらくぶりで私たちと話をした。少し経ってから、「艶子(つやこ)(妹の名前)は何してる?」と父が聞いた。とたんに幼い弟が答えてしまった、「死んだ」と。止めようとしたがもう遅かった。心臓が止まりそうだった、頭がカッと熱くなった、あわてて父の顔を見た。父は「んだが(そうか)」と静かに言って天井に顔を向けたままだった。
私たちが帰った後に祖父がきちんと教えたようだ。そのとき父は一言も口をきかなかったという。
それから約一ヶ月して退院して家に帰った父はまず仏壇の前に行った。白い布に包まれた妹の骨箱をしっかりと胸に抱きしめて、父はこう言って泣いた。
「おれの身代わりになって死んでくれたのか、悪かったな、悪かったな」
いっしょに仏壇の前に座った母も私も泣きくずれた。畳は、三人の目から落ちた涙を吸って、ぐっしょりと濡れた。
私の遷したはしかで幼い妹を殺してしまった。私の一生の傷となった。だからこのことはほとんど話したことはない。というよりも話しできなかった。話しているうち涙が出てきて絶句してしまうからである。
妹には写真もない。しかし、一年九ヶ月でしかなかったけれども、艶子という妹はたしかにこの世に存在していたのだ。
緑いっぱいの隣りの家の庭で、梅雨の合間の六月の陽射しを浴びながらスモモの木の下で三輪車に乗っていた妹、三輪車からころげ落ちて泣いた妹、この歩き始めたばかりの元気だったころの妹の姿が、いまだに脳裏にはっきりと焼き付いている。
こんな妹の姿を記憶しているのは私しかもういない。妹の生きていた証をいかに苦しくとも書きとめておきたい、それが私のせめてもの罪滅ぼしなのではないか。そんな思いで、十数年前ようやく筆をとってこの話を記録した。しかし、書いている途中から涙があふれ、止まることはなかった。
母は、妹の死から二年後に死んだ。妹はこれでようやく恋しい母の胸にまた抱かれることができるようになった、あの世でではあったが。
でも、残された私たちはもう二度と母に会うことはてきなくなった。私の小学5年の進学式の日だった。
「はしか」、もう死語に近くなったが、かつてはほぼすべての人が子どものころ一度はかかる病気、誰でも知っている言葉だった。だから青少年の成長過程によくあるトラブル・若気の至りでやったことを「はしかにかかったようなもの」と言って笑って許してやったものだった。
もうそんな言葉を使う人はいない、これは喜ばしいことである、しかし私には何か淋しい。
忘れ去られる、これは世の常識、しかもいいことでもあるのだが。
農家の子どもの仕事だった家事手伝いのうちの一つである子守りの話をさせてもらったが、農作業の手伝いももちろんさせられた。私の場合はまず家畜への餌やりをやらされた。
前にもちょっと書いたが、農家のほとんどは牛もしくは馬、山羊、鶏等の家畜を飼育していたからである(兎も飼ったがこれは戦時中だけ、羊は戦後の一時期だけだったが)。
なお、その場合の牛は今の乳牛と違って、農作業を手伝わせる「役牛」だった。このことについて話をさせてもらうが、その前に、今から約90年前、昭和初期・戦前のころの子どもの冬の遊びについて、次回語らせていただこう。
重要な記事
最新の記事
-
政府備蓄米 初回9割落札 60kg2万1217円 3月末にも店頭へ2025年3月14日
-
【人事異動】JA全共連(4月1日付)2025年3月14日
-
【人事異動】JA全中(4月1日付)2025年3月14日
-
(426)「豆腐バー」の教訓【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】2025年3月14日
-
実需者と結びつきある飼料用米 支援継続を 日本農業法人協会2025年3月14日
-
オホーツクの恵み 完熟カボチャからフレークとパウダー JAサロマ2025年3月14日
-
日本一の産地の玉ねぎがせんべいに 産地の想い届ける一品 JAきたみらい(北海道)2025年3月14日
-
みおしずくがクッキーに 日野菜漬はふりかけに JAグリーン近江(滋賀県)2025年3月14日
-
地域の歴史受け継ぎ名峰・富士の恵み味わう かがり火大月みそ JAクレイン(山梨県)2025年3月14日
-
【人事異動】JA全厚連(4月1日付)2025年3月14日
-
高まるバイオスティミュラント普及への期待 生産者への広報活動を強化 日本バイオスティミュラント協議会2025年3月14日
-
岩手県大船渡市大規模火災での共済金手続きを簡素化 JA共済連2025年3月14日
-
【浅野純次・読書の楽しみ】第107回2025年3月14日
-
3月14日は「蚕糸の日」 大日本蚕糸会2025年3月14日
-
種苗・農産物輸出の拡大に向けた植物検疫のボトルネック解消「農研植物病院」へ出資 アグリビジネス投資育成2025年3月14日
-
【役員人事】農中信託銀行(4月1日付)2025年3月14日
-
山形県発注の豚熱ワクチンなどで3社が独禁法違反 公正取引委員会2025年3月14日
-
自己株式取得状況を公表 OATアグリオ2025年3月14日
-
製品プラ資源循環事業「プラリクル」静岡県SDGsビジネスアワード2024で優秀賞 カインズ2025年3月14日
-
スーパー従業員の97%が支持 カスハラ対策で名札の名前を非表示に ベルク2025年3月14日