『雨ニモマケズ』と日本の風土【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第277回2024年2月8日
宮沢賢治、この名前は若い方もご存知なのではなかろうか。そうである、昭和初期に農民生活に根ざした創作を中心に活躍した詩人・童話作家であり、とくに、彼が1931(昭6)年、死の直前に手帳に書き残した『雨ニモマケズ』は有名である。それは非常に簡潔に的確に東北の風土(いや日本のと言った方がいいだろう)のうちの気象に関わる面での特徴を表現している。
まず「雨ニモマケズ」と1行おいての「雪ニモ......マケヌ」は、いかにわが国は雨と雪が多いか、つまりいかに水が豊かであるかを表現している。たしかにそうである、日本は乾燥地帯、砂漠地帯ではなくて降水量の多い湿潤地帯に位置しており、水には恵まれている。
次に、「風ニモマケズ」だが、たしかに風も多い。夏は太平洋から来る季節風(東風)、冬は大陸から来る季節風(西風)、それに台風等々の風がある。前に言ったことと合わせると、わが国は湿潤ではあるがいつもじめじめしているわけではない、適度に湿潤であるということになる。
「雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ」は、雪つまり冬の寒さも、夏の暑さもあること、冬の寒さのみある寒帯、夏の暑さだけがある熱帯とは違うこと、そして四季の変化があり、気温の格差が大きいことを示している。
このように、『雨ニモマケズ』は日本が高温多湿であり、四季の変化(気温格差)がきわめて明確であるという日本の気象、アジアモンスーン地帯に位置していることからもたらされている気象の特徴を非常に的確に表現していると言えよう。
こうした気象条件なのでわが国には多様な植物が生育する。寒帯に生育する植物、温帯や亜熱帯に適する植物がともに生え、広葉樹、針葉樹などの多様な木々があり、草も多種多様である。とくに豊富な水と夏の暑さは草木を繁茂させる。日本は世界でもまれな豊かな緑の国なのである。
ということは、わが国が多様な農業生産ができる国であることも示している。亜熱帯作物と温帯・寒帯作物、ともに栽培できるのである。ここに日本の特徴がある。
カロリー源として重要な主食についていえば、米と麦の両方つくれる。日本の夏はきわめて暑くて亜熱帯作物の栽培が可能であり、さらに水に恵まれているために、まず米の生産ができる。また、冬が非常に寒くて温帯・寒帯作物の栽培が可能なので、麦も生産できる。
このように米と麦という世界の二大穀物をともにつくれる上に、ヒエ、アワ、キビ、トウモロコシ等の雑穀、大豆等の豆類、ジャガイモ、サツマイモ、サトイモ、ヤマイモを始めとする芋類等々、世界の主穀物のほとんどを生産できるのである。また、野菜、果実についても同様で多様な種類の生産が可能である。
ここに日本の特徴があるのだが、さらに、同じ耕地で温帯・寒帯作物の両方を栽培することができることにも特徴がある。夏作の米もしくは雑穀、豆類、野菜類を栽培し、その後その同じ耕地に冬作の麦類もしくは野菜類を栽培するという一年二毛作さらには三毛作もできるのである(その四季があるために二期作が難しいという弱点もあるが)。
しかも土地生産力が高い。それぞれの作物について単位土地面積当たり収量が高く、その上に今述べたように同じ土地で年2~3回も違った作物の生産ができるからである。これは水と太陽エネルギーに恵まれているからであり、水の少ない乾燥地帯、太陽エネルギーに恵まれていない寒帯とは違う有利性をもっているのである。
もちろんいいことばかりではない。『雨ニモマケズ』の最初に出てくる雨、風、雪、夏ノ暑サは悪い面ももっている。
「雨」についていえば、これは必要不可欠なものだが、豪雨や洪水で人間や農作物に害を与えることがある。また、「風」は台風や季節風で、「雪」は寒冷、豪雪で、さらに「夏ノ暑サ」は猛暑や干ばつで農作物に被害を与える場合もある。だから、雨、風、雪、暑サの後ろに必ず「マケズ」をつけているのである。
とくにわが国でも北に位置する東北の場合、賢治が後に言う「サムサノナツ」が大きな問題であり、その逆の「ヒデリノトキ」もあり、こうした気象変動は農業に大きな影響を与える。
言うまでもなく、気象は植物にとって不可欠の光、熱、水を供給する。ところがその気象は一定不変ではなく、年により大きく変動する。つまり光、熱、水の供給量が変動する。そのために農作物の生産量は年によって変動することになる。この気象変動による収量の極端な減少が作物災害であり、その直接的な原因により冷害、旱害、風害、水害、雪害などと呼ばれるのだが、とくに東北の場合その地理的位置からして冷害が大きな問題であった。この冷害をいかに克服するか、東北の農民はこれに苦労してきた。とくに賢治の生まれた岩手は常習冷害地帯といってよく、水稲単収は東北六県のなかでもっとも低く、不安定だった。しかしどうしようもなかった。「サムサノナツハオロオロアルキ」するより他なかった。
賢治は1933(昭8)年に亡くなっているので、34(昭9)年の大冷害には遭遇していないのだが、それ以前に繰り返し冷害を経験している。だからこの冷害をいかに克服するか、これは賢治の生涯の課題だった。それは賢治の童話にも反映されている。『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』、その改訂作である『グスコーブドリの伝記』はその典型だ。
イーハトーブ(岩手県)に生まれたグスコーブドリの一家が冷害による飢饉で離散する。ブドリはいろいろ苦労をして火山局の研究者となる。やがて子どものときに経験したような大冷害が再発する。ブドリは、その解決法として、火山を人工的に爆発させ、大量の二酸化炭素を放出させて気温を上げることを考える。そして自分が犠牲になって爆発させ、冷害を食い止める。
こういう話だが、小さい頃私は感激して読み、自分もブドリのようになりたいと思ったものだった。また、今でいう温室効果で冷害を防ぐ、よく考えたものだと思う。今なら地球温暖化を進めるということで問題になるところだが。
もう一つの「ヒデリノトキ」は「ナミダヲナガ」し、あるいは「血を流し」(少ない水を奪い合って地域間、農家間で「水けんか」を)するしかなかった。
米をつくっていながら米が食えない、米をつくりたくともつくれない、こうした諸問題をどう解決するか、これが賢治の頭から離れなかったのではなかろうか。
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