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賢治とイザベラの書いた日本の風土【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第278回2024年2月15日

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前回述べた宮沢賢治の『雨ニモマケズ』のなかで米をつくっていながら米が食えないということを書いているが、もう一方でそれと矛盾する次のような言葉がある。

「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」

これは粗食の勧めだと思われるかもしれない。しかし必ずしもそうではない。当時としては米を一日四合(=600㌘)も食べるなどというのはきわめてぜいたくだった。

にもかかわにらず一日に玄米四合と賢治はいう。私は最初、賢治は平坦稲作地帯の人、また金持ちの生まれ、だからこうしたことが書けたのだろうと思った。

しかし、彼は知っていた、米を食べられない人がいることを。

そうだ、「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」は願望として書いたのではなかろうか。そうした暮らしのできる人に、「サウイウ人ニワタシハナリタイ」と。つまり、せめてそう言う暮らしが、米四合が食べられる暮らしがみんなできるような社会にしたいという切ない願いを書いたものと考えられないだろうか。米をつくれるようになりたい、たくさん米をとりたい、つくった米を思いっきり食べられるようになりたい、これは農家の悲願だった。もちろんそれを賢治は身をもって知っていた。だからこそ、こう書いたのではなかろうか。

その願いを実現するために、東北の農民はもちろんのこと研究者・技術者も(賢治もその一員として)努力をしてきた。その結果、米をはじめとする生産力は極めて高くなった。ところが「一日ニ玄米四合」を食べる人は少なくなった。そして米が余るという時代になってきた(賢治はこうした世の中をどう見ているだろうか)。

でも、いまだに異常低温や干ばつによる被害、東北のいや日本の豊かな気象条件のもう一方の側にある問題点はなくなったわけではない。これからもその克服が課題となろう。しかも今度は地球温暖化による異常気象がそれに加わることになるが。

もう一つ、賢治の『雨ニモマケズ』には冷害・干害等気象のもたらす問題は書いてあるが、雑草の繁茂、病害虫の発生のことを書いていないことも気になる。もちろんこの詩は日本の風土や農業について書いているわけではないのだからそれでかまわないのだが、多様な植物を豊かに育てるモンスーン的風土は多様な雑草や病害虫が繁茂する風土でもあり、これも農民を苦しめてきた。

明治の初めに日本を訪れたイギリスの女性イザベラ・バードもその著書『日本奥地紀行』(注1)のなかで農作物の豊かさを書いているが、雑草等については書いていない。

彼女は山形県南の米沢盆地を見て、ここは「米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、西瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地」であり、まさに「エデンの園」である、と絶賛している。しかし、その反面の雑草で困っているなどとは書いていない。それもそうだろうと思う、何しろ見渡す限りの田畑は「すばらしくきれいに整頓してあり、全くよく耕作されており、.........草ぼうぼうの『なまけ者の畑』は、日本には存在しない」(注)のだから。つまり、除草等の管理が徹底してなされていたから、イサベラは雑草が繁茂するなどと書かなかったのだろう。
実はこの除草はきわめて大変だった。まず、作付の前に耕し、つまり鍬でていねいに土をひっくり返し、生えている草やその種を地中に埋め込み、草が生えないようにする。次に、作物の生育中に手でていねいに草をとり、また畝間、作物のまわりを鍬で浅く耕して草を取り除く。こうした耕起と中耕、手による除草がすべての作物についてどうしても必要だった(注2)。これは腰を曲げた長時間のまさに苦役的ともいえる労働なのだが、それが必要であると同時にそれを日本の農家はやってきた。
ただし、病害虫については、病気のついた作物や葉を抜いたり、虫を手でつかまえたりしてその蔓延を防ごうとしたのだが、防除の方が容易ではなかっただろう。
ここにもわが国の特徴があるのだが、賢治はこうした過重労働の問題よりもまず食えるようにすること、つまり冷害や干害をなくしたいという気持ちが強く、それで触れなかったのだろうと思う。

ところで『雨ニモマケズ』には東北・日本の風土のうちの気候・気象については書いてあるが、土地については書いていない。何もこの詩は日本の風土をうたっているわけではないし、彼の作品のさまざまなところでそれに触れているのでそれでかまわないのだが。

まあ、それはそれとして、ともかく日本の農業(林業、漁業もそうなのだが)は風土に恵まれている。ところが日本の農業は高度経済成長期以降の戦後の農林水産物の輸入と農林漁業軽視政策の展開のもとで崩壊の一途をたどっている。そして農山漁村は過疎化、荒廃の道をたどるだけということになってしまった。
それで本当によかったのだろうか。今さらそんなことを言ってももう遅いだろうが(などと言っているわけにはいかないともちろん思うのだが)。

(注)1.イザベラ・バード著・高梨健吉訳「日本奥地紀行」、平凡社、2009年刊、218頁。
  2.飯沼二郎「農業革命論」、創元社、1956年。

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