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消える故郷-終りに、そしてはじめに-【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第284回2024年3月28日

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限界集落の農家、ポツンと一軒家、がんばった、がんばった。
しかし限界がきた。年齢には勝てなかった。とうとう倒れてしまい、町の子どもたちに引き取られ、あるいは老人ホーム・病院に収容されていった。「ポツンと一軒家」の灯が、また一つ、消えてしまった。

何百年もの何世代もの先祖の思いのつまった家屋敷、大家族でいっぱいだった家には、もうまったく人の気配はなくなった。誰も住まなくなった家には盆正月になってももうだれも来なくなった。何とか高齢者がまもってきた田畑をまもる人も当然いなくなった。隣近所すべてそういう状況だったから田畑を預かって耕作してくれる人もいない。田畑は荒れ、家屋敷は荒れるだけだ。
都会に出て行った子どもたちにとってこうした情景を見るのは辛い。故郷を捨てた罪悪感も胸を締め付ける。だから行きたくない。

そのうち、行ってもしかたがないということになってくる。家は朽ちて住めなくなっているし、田畑は荒れ果ててどこから手をつけていいのかわからず、何もすることがない。知り合いもいなくなってきている。帰ってもどうしようもない。
子どもたちにとっても孫たちにとっても帰るべきふるさとはなくなってしまったのだ。
こうして空き家がどんどん増えていく。

おかしなものである。人が住まなくなると、とたんに家屋は荒れてくる。
湿気の多い国、しかもそもそも木と藁でできた家屋だったのだから、人の出入り、戸や窓の開け閉め、火の使用等々の暮らしがなくなれば、荒れるのは当たり前だ。

でも、こんなことも考えたくなる。家屋はきっと寂しいのではなかろうかと。まもるべき人がいない、それで気持ちの張りを失い、自らをまもる気持ちも失ってしまい、がっくりきて朽ちてしまったのではなかろうかと。

やがてあの立派な梁や柱でできた家が豪雪の重みに耐えかねて音もなく潰れる。誰も気が付かず、春になってはじめてそれがわかる。
あるいは台風で悲鳴をあげて廃屋が倒れる。その悲鳴を聞く人さえもはや近くにはいない。
草木の生えるのが旺盛な国、やがて何年かしたら草が雑木がその倒壊した家屋の上を覆う。放棄された耕地にはさらに高く草木が繁る。やがてそこに家屋があった、庭があった、屋敷畑があったことなど見分けられなくなる。さらには誰の所有地だったかすらわからなくなってくる。

何百年、何千年かかかって築き上げてきた集落が、農地が、人の行き交った道路が、ふるさとが、こうして静かにひっそりと消え。林野に吞み込まれていく。
淋しい、悲しい、辛い、苦しい。

生を受けてからもう八十八年、一体私は何をしてきたのだろう。日本の農業が、農村がこんな風になるなど、考えもしなかった。まさに痛恨の極みである。
その思いの一端をここに書かせてもらってきたのだが、もう私も高齢者、心身ともにぼろぼろになりつつあり、もう限界である。現に一昨年、病気入院で編集部の方々にご迷惑をおかけしそうになったこともある。しかも語ることは今は昔となった話、年寄りの口説き話が多く、読者の皆さん方のお役にたつかどうかも疑問である。

それで、今回をもって本稿を終わらせていただくよう編集部にお願いしていた。
しかし、お許しをいただけなかった。

と言うことは本稿が少しはコラムJacom農業協同組合新聞、その編集部、また読者の皆さんのお役に立っているからなのかもしれない。

そこで、ご迷惑をおかけすることもあるかもしれないが、昔話をたまに聞いてもらうのもいいだろう、そう考えて執筆を継続させていただくことにした。

話はちょっとさかのぼるが、昨年の11月、読者の方から私に質問があったとの連絡を編集部よりいただいた。かなり前に本稿で書いた1970年代の公共放牧場の開発、その手段の一つであった「蹄耕法」(注)についてもっと詳しく教えてくれというのである。早速旧道寮の畜産学者の協力も得ながら返答を書かせていただいたのだが、何と、その質問者は東京に住む女子高生だった。地学の授業との関わりからのようだが、驚いた、大都会の若い女性が農業に関心を持つとは。うれしくなった、都市部の若い人たちもすべて農業に無関心ではないのだと。

ここに日本農業の未来に一縷の希望を持たせていただいたのだが、本稿がこうした方々のお役に立つこともあるかもしれない。となると、もう少し私もがんばらなければならないのではなかろうか、そんなことも本稿継続の後押しとなった。

ということで、新年度となる来週からまた新たな気持ちで、消えつつある村々、故郷の人々が築き上げてきた事物をご紹介し、そこから何を学ぶかをともに考えさせていただくことにした。

といっても老化いちじるしいこの年齢、またどんなご迷惑をおかけすることになるか不安なのだが、何とか読者の皆さん、編集部を始めとする農協協会の皆さん方のご協力を得て執筆を続けさせていただこうと思っている。

ということで、今後ともよろしくお付き合いのほどお願いする次第である。

新年度からはまず、その昔の農村社会、『むら』(村落共同体)の話からさせていただきたい。

(注)本稿・2023年1月12 日掲載・第222回「牧野の開発、テイコウホウ」参照

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