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入会林野-『草を刈る娘』-【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第286回2024年4月11日

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前回述べた近隣の農家同士の共同による生産・生活面での相互扶助に加えて、「むら仕事」という村落(むら=東北では部落と言っていたものだが戦後は集落と呼ぶようになった)の農家全体の共同による助け合いも必要不可欠であった。水、林野、農道などのむらぐるみでの共同所有・共同利用・共同労働(=入会関係)なしでは生産・生活の維持が困難だったのである。

なお、山から遠く離れた町場にある私の生家の地域には入会(いりあい)林野、つまり共同所有、共同利用、共同労働をしている林野はなかった。この入会の存在は大学に入ってから(1950年代半ば)初めて知ったのだが、ちょうどそのころは入会権をめぐって明治以来争われてきた岩手県の「小繋(こつなぎ)事件」(このことについては後で述べる)が社会的な問題となっていた。しかし実際に入会の実態にふれたのは農村調査においてであった。ただし私が本格的な調査に入るようになった1970年以降は入会慣行がなくなりつつあったのだが。

1950年代半ば頃、高校生のとき、一人で映画を見に行ったことがある。何で行けたのか(小遣いももらえなかったころだったのに映画の料金をどこから手に入れたのか)覚えていない、映画の題名も、なぜその映画を選んで見たのかも覚えていない、にもかかわらずそのとき見た映画のストーリーと青森県津軽地方の農家の娘を演じた女優・左幸子のはつらつとした印象はその後いつまでも頭に残った。

映画はここから始まる、秋になって岩木山のふもとの草刈り場に周辺の農家が牛馬車を牽いて一斉に出かける。ある場所に着いた農家はそれぞれそこに生えている萱(かや)で掘っ立て小屋を建て、そこに何日間か泊まり込んで萱(屋根の葺き替えや雪囲いなど生産、生活に不可欠だった)を刈る。その間に左幸子と隣部落の男性(俳優の名前は覚えていない)とが結ばれるというものだった。

あるとき、それもいつだったか思い出せないが、その映画の原作が石坂洋次郎の小説『草を刈る娘』であったこと、ただし映画の題名は小説の名前と違っている(注1)こと、そのなかに出てくる草刈り場が入会林野であり、この利用の過程で生まれた農村の男女の恋愛を描いていたのだということに気がついた。

1980年頃だったと思う、青森県弘前市周辺の調査に行ったとき、次のようなことを知った。岩木山周辺のむらむらが裾野にそれぞれ入会地(共同利用地)を持ち、その管理もむらの共同作業で行う。秋になると、むらが決めた口開け日(利用開始日)に入会権をもつ農家が一斉に草刈り場にでかけ、それぞれに割り当てられた土地の萱を刈って家に持ち帰るというものであった。その土地の各農家への割り当て方や萱を刈る量などはむらによりそれぞれ異なっていたようである。
この調査に行ったころは、建築様式や生活様式も変わって萱が不必要となっており、草刈り場のかなりの部分はリンゴ園や水田に変わっていたが。

なお、『草を刈る娘』は1961(昭和36)年に吉永小百合主演で再び映画化されている(注2)。しかし見ていなかった。私のこの話を記憶していた若手女性研究者のWMさん(東京農大勤務時代に私の研究室の助手を務めてもらったのだが、残念ながらその後若くして亡くなられた)が最近テレビでこの映画をやっていたと録画して送ってくれた。いっしょにそれを見た若手(当時のことだが)研究者NK君(現・秋田県立大助教授)が衝撃を受けていた。当時の清純派女優・吉永小百合が相手男優の落としたライターを「おめえの糞の匂いをかぎつけて探してやった」というセリフをはいたからである。また、若い男女二人が将来の農業として経営の多角化を対等に論じあっていた当時の雰囲気に感動していた。しかし私には、萱刈りの風景の描写があまりよくない(利用が減って荒れ始めていたからだろうか)等々の不満があり、左幸子主演の白黒映画の方がよかったと思っている。

秋田県の十文字町(現・横手市)のある集落では、9月1日が口開け日で入会地に草刈りに行ったという。その刈った草の高さが一丈になると一丈餅をついてお祝いをした。冬のまぐさ、敷きワラが確保できたからである。
青森県十和田湖町(現・十和田市)の調査に行ったとき聞いたのは入会地の薪炭林としての利用であった。秋になると各戸から男が一人ずつ出役して入会地の山に一週間くらい泊まり込み、薪の伐りだしをする。ある決められた日時にそれを一斉に川に流す。下流では家に残っていた女性、高齢者、子ども全員が出て、流れてきた薪を拾い、川岸に積み上げる。それを各戸平等に分け、冬期間の燃料とするというのである。
宮城県中新田町(現・加美町)の集落でもそれと同じような話を聞いた。みんなでまとまって隣の色麻町(現・加美町)にある林野に行って一週間くらい泊まり込み、秋は萱刈り、春は柴刈りをし、それをみんなで分けたと言う。このようにまとまって山に入って共同作業をすることを「やまざ」(山座と書くのだろうか)といったそうで、1955年ころまでやっていたらしい。だが、その山が入会林だったのか、色麻の人から刈り取る権利だけを買っていたのか、私の調査ノートに記載がない。だから共同所有していたかどうかはわからないが、むらの共同利用、共同労働、平等配分という点では入会慣行の一種だったといえよう。

こうした入り会い慣行は、東北ばかりでなく、全国各地にあった。しかし、やがてその必要性が少なくなり、過疎化が進む中で放置されるような状況になり、こうした入会地の活用を図るべく入会林野近代化法が制定され、今はもうほとんど消えてなくなっていると言うのだが、


(1)先日Yahoo!で調べてみたら、映画は『思春の泉』という題名だったとのことである。また、監督:中川信夫、脚本:館岡謙之助、原作:石坂洋次郎、配給:新東宝、公開1953年とのこと、主演の男優は何と宇津井健だった。
(2)監督:西河克己、脚本:三木克巳、原作:石坂洋次郎、製作:日活、1961年。

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