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戦後のアイスキャンデー売り出現と戦前アイスクリーム売りとの再会【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第301回2024年8月1日

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 戦時中、前回述べたアイスクリームなどの菓や飲み物で涼をとるなどということはできなくなった。資材と労力はすべて戦争遂行に向けられて不足したからである。

 戦後2~3年してからではなかったろうか、ようやくサイダーや氷水が飲めるようになってきた。しかし、今述べたアイスクリームに関しては、山形の生家の近くに売りに来たのは戦前だけで、戦後は来なくなってしまった。

 替わってやって来たのはアイスキャンデー売りだった。自転車の後ろにキャンデーの入った四角い箱をつけ、「アイスキャンデー」と書いた小旗をそこに差してひらひらさせながら、チリンチリンと鈴を鳴らして売りに来る。水に着色料とサッカリンを入れて凍らせるだけ、きわめて簡単、安価、まさに水商売、失業している人たちなどがこのアイスキャンデー製造屋から仕入れて売り歩いたのである。

 ところで、今サッカリンと言ったが、われわれにはなつかしい言葉、しかし若い人たちにはわからないかもしれないので、ちょっとだけ説明しておく。サッカリンはトルエンから合成された人工甘味料で、きわめて安価であるために砂糖が不足していた戦後急速に普及し、家庭でも広汎に使われたものとのことである。またアメリカではダイエットにいいとして使われた。しかし、1960年代に安全性の問題から使用が制限されている。ただし、アメリカや中国では問題ないとして現在は大量に使用されているとのことである。

 話を戻そう、アイスキャンデー売りは一時期夏の風物詩になったのだが、70年代にはもうなかったのではなかろうか、代わってソフトクリームを売る店が増加した。これはたしかにおいしいが、甘ったるくて夏の暑いときなど食べたいとは思わず、やはり氷水、アイスキャンデーを食べたくなり、また昔のアイスクリームを食べたいとも思ったものだった。1950年代半ばから住むようになった仙台では昔のアイスクリームのことなど話しにもでなかった。もしかするとなかったのかもしれない。

 ところがである、何とその希望は秋田の山の中てかなえられたのである。

 40年以上も前になるが、秋田県北の湯沢市にある小(お)安(やす)峡(名勝として知られている峡谷)に行ったときのことである、その峡谷の上の道路で、何とこのアイスクリームを作って売っているおばさんを見つけたのである。驚いた、早速買って食べてみた。ほぼ昔の味だった、なつかしかった。道具もほぼ昔と同じだった。バケツとドラム缶の中間くらいの大きさの金属製の容器があり、その中にまた一回り小さい容器があり、その中間に氷が入っており、中の小さい方の容器にアイスクリームが入っている。ときどき小さい容器をぐるぐると回す。アイスクリームの状態を維持するためのようである。そして

 続いて見つけたのが、青森県弘前市の弘前城でだった。ここにもアイスクリーム売りのおばさんがいた。アイスクリームの質(前回言うのを忘れだが、これには牛乳が入っていない、ここにも特徴がある)はまったく同じだったが、小安峡のおばさんはそのアイスクリームの容器を地べたにおいており、弘前城ではリヤカーに乗せていた。私たちの子どもの頃つまり山形はこの弘前タイプで、夏になるとリヤカーを引いて売りに来たものだった。

 と言っても、この私の説明を聞いてもわかりにくいかもしれない。それを見たい方、味わいたい方は、弘前城、奥入瀬渓谷、秋田県皆瀬村(現・湯沢市)の名勝小安峡の入り口にいるアイスクリーム売りのおばさんから買ってもらいたい(と言っても、この30年行っていないので、現存しているかどうかわからないが、大手のアイスクリーム会社に駆逐されているのではなかろうか。

 なお、秋田ではこのアイスのことを「ババヘラアイス」(注)と呼んでいた。

 さっき言った青森の、秋田のアイスクリーム売りのおばさん、かなり高齢だったが、何とか後継者を養成してもらえないだろうか。もう一度食べてみたいし、若い世代にもこの味を味わえるようにしてもらいたいからだ。

 などと思っていたら、何と十数年前、仙台の新興住宅街にある全国チェーンの郊外型の大型ショッピングセンターで偶然再会した。そこの食品売り場の一角で売っているのを見つけたのである。もちろん、昔のような売り方をしていたわけではない。アイスクリームのように氷結化されて売られていたのだが、早速買って食べてみた。昔のような風情はないが、味、舌触りは基本的に同じ、涙が出るほどなつかしかった、

 この数年、家内が免許を返上して以来、そのセンターには行っていないのだが、今も売られているのだろうか。今度子どもか孫が仙台に来たときに連れて行ってもらい、あの世への土産に買って食べてみようと思っている。

 やはり同じ頃である。九州の長崎に行った時、観光名所などに「チリンチリンアイス」という小旗を掲げたリヤカーがいくつか並んでおり、そこから観光客などが小型のカップ入りのアイスクリームを買って食べていた。先ほど述べた戦前のアイスクリームとそっくりなので、早速買って食べてみた。やはりそうだった(若干の味の差はあったが)。

 青森、秋田ばかりでなく長崎でもこのアイスは生き延びていた。もしかするとどこか他の地域でも残っているかもしれない。ぜひともこれからも残してもらいたいものだ。なお、チリンチリンという名前は昔鈴を鳴らして売り歩いたからついたらしいか。私の子どものころの山形では客寄せのための鳴り物や声はなかったと記憶しているのだが、どうだったろうか、私には記憶にないのだが。

(注)中年以上の女性(ババ)が、金属製の「ヘラ」を用いてコーンに盛りつけてくれる、それで「ババヘラアイス」と言うのだそうである。私の生まれた地域・山形では「アイスクリーム」としか言わなかったのだが。

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