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氷水・ラムネ、水ご飯【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第302回2024年8月8日

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 昭和の初め、私の生まれた頃は、街のあちこちに氷水屋が店を開いていた。といっても駄菓子屋が夏になると氷水の器械を店先に出し、すりおろして食べさせてくれただけだが。そこで、ときどき、近くの(その多くは駄菓子屋が兼ねていて夏だけ販売、その店先の縁側か椅子に座って食べた氷水屋ものだった)に氷水を食べに行く。

 すると店のおばさんが店先の廊下の床板を開け、その地下につくってある小さな穴蔵から鋸屑に覆われた大きな氷を出し、それをのこぎりで手頃な大きさに切る。その切り取った氷の表面を水で洗って、かつおぶし削りのような氷水をけずるカンナの上にあげ、ゾリゾリとその氷を削る。削られて細かく破砕された氷が、器械の下に置いた赤や青の色の着いた磨りガラスのコップに少しずつたまってくるのを私たちは見ながら、じっと待つ。色の着いたシロップのかかった氷と甘くない白い氷をさじでザクザクと均等に混ぜ合わせ、鼻がツンとなるくらい冷たく甘い氷をぽりぽりかじる。店の外に出るとまた太陽がカッと照りつけるが、ともかく腹の中は冷たい。

 今でも氷水が好きなのはそのときのおいしさからなのだろう。

 水で冷やされたラムネ、サイダー、これを店で買い、シュワッと音を立ててコップにつく水泡を見ながら、げっぷで涙を流しながら飲む、これも楽しみだった。

 ラムネのビンの栓としてビンのてっぺんに入っているガラス玉、遊びドア具のビー玉として利用できそう、取ろうとしてさまざま努力するのだがなかなかできない。それが口惜しいが。

 もちろん、かつてはそんな冷菓や飲み物をしょっちゅう買えるわけではなかった。みんな貧しかったし、氷は高価、冷蔵庫など家庭にはなかったからだ。暑かったら、のどが乾いたら水を飲め、だった。しかし水道水は温くて飲めたものではなかった。やはり井戸水だった。その点だけは農山村は恵まれていた。

 その井戸水をかけた水ご飯、真夏の直射日光を浴びる農作業でやけどしそうに熱くなった身体を冷やすのにはこれが最高のご馳走だった。

 数年前のことである、私の後輩研究者で本稿に何回か登場してもらっている現東北大教授の角田毅君と会ったときのことである。彼はこんなことを私に質問してきた。

 「先日、山形内陸の農村に調査に行ったとき、夏は『水ご飯』を食べると聞いたのだが、今の時代でもご飯を水にひたして膨れさせて食べなければならないほど山形の農家は貧しいんですか」

 私は腹をかかえて笑った。そう誤解されてもしかたがないからである。そこでこう説明した。

 山形内陸の夏は暑い。昭和の時代、全国最高の気温を記録したところでもある。ましてや当時の手作業中心の腰を曲げた重労働、当然すさまじく汗が流れる、喉が渇く。近くに井戸や自噴水(=泉、私の故郷ではそれを「どっこん水」と呼んでいた)があればいいが、そううまくはいかない。それを我慢してなどいたら日射病(今で言う熱中症)になり、場合によっては死の淵まで連れて行かれてしまう。そこで、汗っかきの父などは水を入れた一升瓶を必ず持って田畑に行ったものだった。また帰ってくるとみんな井戸小屋のところに行き、冷たい水を飲んだものだった。

 しかしもうぐったり、お腹はすいているのだが、普通のご飯など、喉元を通ってお腹に入っていきそうにもない。食欲などなくなっている。

 それでも食卓に座る。すると炊事担当の祖母が冷たい井戸水で何回も洗って冷やし、その水に浸したご飯を大きな鍋に入れて食卓の真ん中におく。同時に、たくあんのような味噌漬け・塩漬けした塩っぱい漬け物を適宜食卓におく。また井戸水の入った薬缶もおく。

 家族員はそれぞれ自分の茶碗に自分の好きなだけ鍋から水に浸したご飯を装い、そのてっぺんに漬け物をおく、そしてその漬け物の塩味をおかずにしながらご飯をかっこむ。熱い身体のなかにに冷たい水とご飯、そこに塩っぱいたくあんや野菜の塩漬け、味噌漬けなどの漬け物、これを一緒に腹の中に流し込む。うまい、腹に凍みわたる、汗でなくなっていた水分と塩分がこれで補給され、食欲も回復、なくなったらお変わり、また自分で好きなだけ鍋から水ご飯を茶碗にすくい、漬け物を皿から好きなだけ取ってご飯の上にかけ、口に入れる。やがて食欲も回復、食卓に出ている他のおかずも口に入れるようになる。

 やがてお腹いっぱい、一息ついて雑談、それからそれぞれ座敷に行き、あれいは開け放してある座敷の北側にあめ縁側行き、枕を出して素裸に近い状態で畳の上で昼寝だ。

 風通しのよい柿の木の下の日陰にむしろを敷いて昼寝をするのも気持ちがいいい。

 そして暑さの和らぐ三時頃起き、田畑に出かける準備、後は暗くなるまで野良仕事だ。

 そうなのである、冷蔵庫や冷房などない時代、水ご飯は農家の生き抜くための知恵だったのである。

 実は私、今も、暑い夏の日に外出などから戻ってくると、この水ご飯を家内とともに食べる。その昔と違うのは、その水が水道水であること、冷蔵庫から取り出した氷のかけらを何個か入れること、漬け物が昔のように塩っぱくないこと(店から買うと旨味成分の入れ過ぎと思われるものもある)、ご飯は品種改良もあってあのころよりもうまいことだ。

 でもやはり水ご飯である。

 夏バテ、食欲不振には最適、異常なこの夏の暑さを乗り切る一助に、まずはこの「水ご飯」をお試しあれ。

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