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夜は暗くて静かで怖かった【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第306回2024年9月5日

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 昔の夜は暗かった。当たり前のことである。今だって夜は暗い。
しかし質が違う。昔の夜はまさしく漆黒の闇だった。人工の灯がなかったからである。
もちろん私の幼い頃(昭和初頭)には電灯はあった。しかし家に一つ電灯があるだけでもいい時代だし、電灯それ自体も暗かった。私の生家を例にとれば、五部屋のうち電灯があるのは二部屋だけで、60㍗と40㍗の薄暗い電灯があるだけだった。電力の消費量をメーターで計って電気料金が決まる変動制ではなく、電灯の照明度によって料金を払う固定制だった(電灯以外電力を使うものなどなかったから当時の家庭はこれが普通だった)し、電気代も相対的に高かったので、どこの家でもワット数の低い電灯を使っていたのである。だから、なおのこと暗かった。
街灯も今のようにない。街の中心部、盛り場にあるだけだった。

 ともかく夜になれば外は真っ暗になる。だから月はもちろんのこと、星でさえ明かるく感じたものだった。今は夜空を見上げてようやく星が出ているとわかるくらい夜は明るい(都市の場合だが)が、当時はこの月明かり、星明かりがないと一寸先も見えなかった。
だから提灯は必要不可欠だった。懐中電灯もあるにはあった。今の円筒形の懐中電灯ではなく、自転車につけるための小さな箱形(カメラの形)の懐中電灯があったが、そんなものがある家などはほとんどなかった。だから夜になると人はめったに外を歩かない。今と違って人々は早く寝てしまう。車などもちろん通らない。車も本当に珍しい存在だから、もちろん夜中は車の音などまったくない。
 だから夜は静かだった。

 幼い頃、真夜中にふと目を覚ますと、聞こえるのは私の両隣に寝ている祖父母の寝息だけである。そのうち天井裏でコトコト、コトコトとネズミが歩く音が聞こえてくる。突然、ゴトゴトと走り回る。どこに行ってしまったのか、また静かになる。遠くからかすかに汽笛が聞こえる。やがてカタンコトンカタンコトンという音が聞こえるようになり、ガタンゴトンと大きな音になりながら少しずつ汽車が近づいてくる。家から線路までもっとも近いところで500㍍くらいあるのに、ゴーッというさらに大きな音が通り過ぎる。突然音が消える。家々が立ち並ぶところに汽車が入り、さらに家の裏の方には神社の林があるので、それで音がさえぎられて聞こえなくなるのである。
また物音はまったくなくなる。祖父母の寝息がまた気になるようになる。40㍗の電灯が八畳間を照らしている。そのうちまた寝てしまう。

 この40㍗と台所兼居間に60㍗の電灯があるだけだから、家の中は暗い。電灯のついている座敷でさえ部屋の隅は暗い。子どもの私にとってはお化けか何かが隠れているような気がする。台所兼居間などはいろりがあるために天井板がなく、梁と屋根が直接見えるくらい天井が高いから、いくら電灯があるといってもなおのこと暗い。ましてや電灯がなく仏壇のある奥座敷に行くのは怖くて怖くてしかたがなかった。

 暗いから、夜の火事は遠くまでよく見えた。
夜、遠くから半鐘の音が聞こえてくる。音は何もないからよく聞こえる。そのうち近くの半鐘も鳴り出す。ジャン、ジャンと間をおいてゆっくりと鳴る。火事は遠い。それでも外に出てみる。建物や林のかげでないかぎりよく見える。ジャンジャンジャン、ジャンジャンジャンと三つ続けて鳴るとさらに近い。

 乱打となると火事はすぐ近くだ。サイレンの音も鳴る。幼い私は夜中でも祖父母から起こされる。消防団員の父は消防団の半被を着、帽子をかぶって走っていく。祖父母に抱っこされて外に出てみると、遠く離れていてもすぐ目の前の火事のように見える。高く上がった炎と火の粉が真っ赤に暗い空を染める。夜の寒さのせいか怖さのせいか身体がぶるぶる震える。そんな夜は必ず怖い夢を見たものだった。

 1980年ころだったと思う。岩手の北上山地を三日間かけて家族旅行をしてきた『家の光』の記者のIBさんが私にこう言った。
「水田地帯は都市だということがわかった」と。
最初はその意味がわからなかった。よく考えてみたら、なるほど、うまいことを言うと思った。
 北上山地に入ると、ある家を見てから次の家を見るまでにかなりの時間がかかる。車に乗っていてもである。もうこのまま家がなくなるのではないか、どこかに迷い込んだのではないかと不安にすら感じるときもある。夜などはましてやである。電灯の光が見えるとほっとする。ともかく暗い。

 山形県の中央部に位置する長井市の方から東側の白鷹丘陵を越えて山形市に行くとき、その峠から田畑の広がる山形盆地が一望できる。夜そこを通ると、盆地は電灯の光が連なり、大都市かと見間違うくらい盆地一面煌々と輝いている。
家と家が隣接した集落がたくさんあり、街灯のついた道路もたくさんあるところに、光が大きく見えるからそう見えるのだろうが、これを見ると水田地帯は都市だなと実感できる。まさにIBさんの言う通りである。
わが国の場合、平地農村は都市もしくは都市近郊なのである。

 ただし、北海道の平地農村は別である。農家戸数が少ないから電灯が少ない。それでもまだ戦前から戦後にかけて家があった。ただし電灯は少なかった。電気が通っていないところがあったし、電灯を引けない家もあったからである。やはり暗かった。

 いま北海道も北上山地も家がどんどん減っている。これからますます夜は暗くなるだろう。府県の平地農村でも家が減りつつあり、やがてそこは都市ではなくなり、その昔の真っ暗な夜に戻るのかもしれない。
そのかわりに都市部では、天の川、流れ星をまともに見たことのない、プラネタリウムでしか星を見たことのない子どもが増える、すでにそうなっているのではなかろうか。何かおかしいとついつい思ってしまうのだが、どうなのだろうか。

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