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「住」の機能性、地域性と景観【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第308回2024年9月19日

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 1950年代の農地改革と生活普及事業の展開、60年代から始まる高度経済成長の進展で、農家の住居は大きく変わった。
 かつての農村風景を彩っていた茅葺き、藁葺きの家などほとんどなくなってしまった。都会と同じような、住宅メーカーの宣伝にあるような住宅が並ぶようになり、かつての農村集落の景観はなくなってしまった。
 これに対して、古いものをこわすな、機能性だけを重視するな、農村景観をまもれというような声が一部の建築家の間から出てきた。
 その気持ちはよくわかる。
 私もたとえば茅葺きの家のある風景は残したい。

 山形から鶴岡に抜ける六十里越街道(国道112号線)の湯殿山近くに多層民家が残っている田麦俣という集落があるが、いま残っている家は数少ない。何でもう少し残さなかったのかと思う。もちろんこうした茅葺きの家に住む人たちだってできれば残したかっただろう。ただしそのままではきわめて不便であり、住みにくい。たとえば冬は寒い。今は石油やガス、電気で暖房ができるので茅葺きの家でもかつてのような寒い思いはしなくともすむだろうが、それにしても天井の高い部屋はなかなか暖まらず、暖房費はべらぼうにかかる。やはり現代の住生活の利便性、快適性の恩恵を受けたい。そうしなければ都会から嫁にも来ない。

 しかし、その維持・保全にはカネがかかる。土や石ではなく木や草でつくったものであり、しかも湿気の多い風土のもとでは腐りやすいからである。そして職人と地域の人々の経験に裏付けられた技術と技能、協同労働が必要である。そればかりではない。萱刈り場などの保全も必要とされる。こうしたものが保証されない限り、茅葺きを解体し、現代風に建て替えようとするのは当然のことであろう。これを責める権利はわれわれにはもちろん、建築家にもない。

 もし残そうとするなら、技術や地域の協同の伝承や資金に対する支援を充実し、茅葺きの家に住む人々が現代の住生活の恩恵を受けられるようにする工夫改良、たとえば内部構造を住みやすく一部改良するとか、もしくは茅葺きの家とマッチするような現代建築の別棟を建て、現代の生活の利便・快適も享受できるようにするとかが必要となる。あるいは公的資金で買い取って保存することも考えるべきだろう。こうした支援をしなかったことが問題なのであって、それを言わないですぐに「昔のことをすぐ捨ててしまう日本人」などと悪口をいうのはいかがなものか。

 観光地化されたところ、たとえば岐阜県の白川郷・五箇山の合掌造り集落ようなところは、それなりの公的な援助があり、また観光客がきて金を落としていってくれるので景観は残る。しかしそうした観光客もこないところ、ぽつりぽつりしか茅葺き屋根の家が残っていなくて公的支援もないところ(白川郷のすぐ近くにもあるし、東北にも多い)では、どんどんこわされている。

 よく世界に誇る日本の木造建築というが、有名寺社や多層民家のみでなく、一般の民家も残すような政策こそ大事なのではなかろうか。それも移築保存ではなく、その地域に残していくことを考えなければならない。家というものは地域の風土に合わせてつくられたものだからである。

 今世紀初頭、私が北海道の網走で勤務しているころ、景観問題等について建築関係の研究者の方々の話を研究会で聴いたことがある。
 彼らの大半は、ヨーロッパの古い街並みや公園をスライド等で見せた。そして言う、いかにヨーロッパはきれいか、何百年にもなる古い建物をいかに大事にしているか、それに対し日本は古い家屋敷や街並みを大事にせず、すぐにこわして、美観を損ねるような不揃いの街並みをつくる、いかに日本人はだめかということを得々としゃべる。

 仙台にいるころもそんな話を聞いたのだが、北海道でもそういうことを言う。
 しかし、開拓当初の百年も前の北海道の掘っ立て小屋を、それで構成される街並みを残しておくべきだったというのだろうか。都府県だって同じだ。窓も少なくて薄暗く、寒い家を残し、そこに住むべきだと言うのだろうか。
 もちろん、古いものは大事にはしたい。開拓当初の街並みだって残しておきたい。しかし、そこに住む人のことを考える必要がある。もしも残せと言うなら住む人の利便性を確保しつついかに古いものを残していくかという具体的な提案をすべきである。ただしそうすれば余分な金がかかるかもしれない、そしたらそれに対する公的な支援制度をつくるべきでもある。
 しかし、私に言わせるとそもそも北海道におけるかつての農村景観の再生などというのはあり得ない。かつての開拓集落は史跡として別途保存するとか、開拓記念公園などをつくってそこで再現して展示するとかしかないのである。

 さらに、日本の木の建物とヨーロッパの土・石の建物との相違も考えなければならないだろう。
 いうまでもなく木造の建物は残しにくい。江戸の大火を考えればよくわかるだろう。残したくとも残せない。そうした欠陥はあっても木造は日本の湿った風土に適するし、日本には木が豊富にある。そこでしょっちゅう建て替えることになる。かつての景観はそれで消える。
 これに対して土・石でつくった欧米の建物は残りやすい。残そうという特別な意識がなくとも残る。こわすのも木造と違って大変なのでそのままとなる。
 その結果として古い景観が残っているだけなのではないか。欧米の人たちの建築美に関する意識が特別高いわけでも何でもない(と私は思う)のである。

 言うまでもないことだが、「住」にも地域性があるのである。
 たとえば北海道ではほとんどの家が通りに面して車庫を建てる。これがいかに美観を損ねているかという話を建築関係のある学者がある研究会で報告していた。たしかに景観はよくない。表に面した車庫のために庭も不整形となり、狭く見える。ガソリン代と時間の節約からそうしているのだろう、さすが美観よりも経済合理性を考える北海道人だ、最初はこう考えた。しかしそうではなかった。そうしないと冬をこせないのである。車庫が屋敷の奥になどあったら、冬の雪かきが大変になるからである。除雪される道路に直接面していないと、車が出られなくなる。私が網走で借りた家も府県の人が設計したためにそうなっていて、大変な目にあった。それにはそれなりの理由があるのだ。
 もちろんそうではあってももう少し美観を考えた車庫であって欲しいとは考える。あまりにも利便性、機能性のみ追求しているからである。しかし機能性はやはり重視しなければならない。それと景観を調和させていく必要がある。もう少し工夫し、街作りの一環として行政などが考える必要があるのではなかろうか。ただしそうするには金がかかるだろうが。

 家の新築、増改築にさいして日本の木で作った家を建てたいと思う人がかなりあるはずである。環境問題を考えた建物にしたいと思う人もいよう。周辺の景観なども考えて建てられればそれにこしたことはない。しかしそれにはべらぼうな金がかかる。量産される住宅メーカーの外材とセメント、石油産品でできたパターン住宅にでもしなければ一般庶民は家を建てられない。こうした問題の解決なくして「日本人はだめだ」などというのはおかしいのではなかろうか。

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