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機能性の追求と農村景観【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第309回2024年9月26日

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 また私の故郷の話をして申し訳ないが、山形県の中央部に位置する出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)の一つの羽黒山の羽黒神社、そこに向かって杉木立の中の長い長い階段を上り詰めていくと、左手に庄内平野が一望できるところがある。そこで一休みしてその平野を見下ろす。

 一面の田んぼの緑の中に集落がぽつりぽつりと浮かぶ。緑の田んぼは海のように見え、密集している家々や神社等の木々の濃い緑でできている集落はそこに浮かぶ島のように見えるのである。だからその風景を『陸の松島』とも呼ぶのだそうだが、本当に見事である。

 この庄内の「密居集落(家々が一定の区域に集まって敷地が隣接し、居住地と耕地が分離されている状態の農業集落)」と対照的なのが、同じ山形の米沢盆地にある飯豊町だ。山から見下ろすと、田んぼのなかに農家がぽつんぽつんと点のように散在している。庄内のように家々が集落のなかにまとまっていない。つまり密居集落ではなくて「散居集落(田畑のなかに家屋がポツンポツンと離れて建つ農業集落)」である。

 この違いは両者の冬の季節風の強弱と積雪量の違いから来ているのだが、その米沢盆地の景観を幕末に見て「エデンの園」、「アジアのアルカディア(桃源郷)」だと絶賛したイザベラ・バード(注)、彼女に庄内の密居集落、陸の松島の景色を見せたら、何と表現しただろうか(残念なことに彼女は庄内を通らずに山形内陸から秋田に直行している)。

 この山形県の北東に位置する岩手県の胆沢町(現・奥州市、関係のない話だがここはあの大谷翔平選手の出身地である)、ここも散居集落だ。飛行機で岩手県上空に入ると、ここは胆沢の上空だと言うことがすぐわかる。奥羽山脈の方から三角州のように水田が広がり、そこに点々と緑に囲まれた屋根が散らばって見え、典型的な散居村だということがわかるのである。この景色もまた見事だ。
 散居村というと富山の砺波平野、島根の出雲平野が有名だが、あちこちにある。

 いうまでもなく、この見事な景観をつくるために農家は密居、散居にしたわけではない。地域の自然条件、農地の開拓や集落の形成の歴史により規定されてそうなったものである。つまりその地域の自然条件や開拓当初の技術水準等々に規定されながらもっとも機能的につくられたものなのである。そしてそれが見事な農村景観をつくりだしている。
 しかしその景観、それを形成している農家の住宅、また集落は、その当時の生産、生活の条件に合わせてつくられたものであり、生産や生活のしかたが変われば変わってしかるべきものである。また新しい施設も建てなければならない。
 ところがそれが問題だという人がいる。

 農業における最近の機能性の追求が農村景観をこわしている、ある建築学者がこう言う。その例としてカントリーエレベーターをあげる。機能性のみを考えた灰色のコンクリートの建物、景観とは異質な建物を緑のなかにどんと建てるとは何事かと。
 そして機能性は別としてたとえばこんなふうにしたらどうかとデッサンを見せてくれた。黄色の大きな太い管をぐにゃぐにゃとねじ曲げて組み合わせたもの(これがカントリーだという)が緑の水田と濃緑の山麓を背景に建てられている。もしかするとこの建物、構図は芸術性が高いのかもしれない。しかし私のようなセンスのないものにはその建物はグロテスクにしか見えない。背景の農村風景とも決して調和しているとは思えない。

 たしかに今のカントリーは姿形はよくない。しかしそれは機能性の追求と言うより予算の関係からくるものであり、農家や農協、行政のセンスではない。したがってもう少し予算を増やして景観に配慮するような建物にすべきであるとは考える。しかしそのさい考えなければならないのは、有名な建築家などにその設計を頼まないことだ。金がかかる上に自分の趣味をおしつけて景観をかえって悪くしたり、機能性をなくしたりしてしまう危険性があるからだ。
 そもそも機能性の追求は景観をこわすという考え方がおかしい。機能性の追求、たとえばむだなものを徹底して排除するということが簡潔の美をもたらすこともあるのだ。
 かの有名な白川郷の建物だってその通りだ。美しさをねらって意図してつくられたものではないし、おかみの決めた基準などに沿ってつくられたわけでもない。当時の建築技術、地域の生産と生活の水準と様式に対応して機能性を追求していく中で必然的に、自然のうちに統一され、すばらしい景観を形成しているのである。
 また北海道の雄大な田畑の景観も基盤整備による機能性の追求がつくりだしていることも忘れてはならないであろう。
 機能性の追求、それを否定してはならないのではなかろうか。

 とはいうものの、戦前、農地改革前の一般の農家の家屋はひどいものだった。当然のことだろう、多くの農家は小作農であり、地主に生産量の半分近い小作料を払うのだから、食うや食わずの暮らし、そんな状況で家屋を住みやすいようにするお金などなかったからである。命をつないでいくだけで精一杯だった。

(註)イザベラ・バード著、高梨健吉訳『日本奥地紀行』、平凡社、2000年

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