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機能的かつ貧困の象徴だった野良着【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第314回2024年10月31日

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 ほっかむり(頬被り)をして、あるいは笠をかぶって、紺色などの黒っぽいつぎはぎだらけの野良着を着、手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)をつけ、あるときは蓑(みの)をまとい、草履か草鞋を履いている、これが家の外にいるときの農民のかつての姿だった。そしてその姿は貧乏百姓を象徴するものとして都市住民に蔑まれたものだった。

 しかし、こうした野良着姿は農作業にとって不可欠のものであり、当時としてはきわめて合理的なものでもあった。

 まず、ほっかむりについていえば、これは寒さ防ぎ、風よけ、埃よけ、日除けとしてきわめて有効なものだった。
 もちろんいつもほっかむりをしているわけではない。必要に応じてするのだが、いずれにせよこのほっかむりに使う「手拭い」は農作業など外でする仕事には不可欠で、必ず持って歩いたものだった。手拭いは農作業中の汗拭きや汗止め、作業後の顔洗い、手拭き用として、さらには傷ついた場合の包帯として、きわめて便利だったからである。
 なお、女性が顔を布で覆っている地域もあった。庄内の「はんこたんな」、秋田の「はなふくべ」などがそうで、顔の防虫、日除け、泥はねよけ、汗止めなどのためにこれを用いた。これに関してはこんな話もある。その昔殿様が田畑で働いているきれいな女性を見るとむりやり城に連れて行ってしまう、それを防ぐために顔を隠して目だけを出すようになったのだというのである。庄内美人、秋田美人として有名なところ、もしかするとそれは本当の話だったかもしれない。

 笠、これも屋外で働く農家にとっては重要であった。
 雨や雪、直射日光などを防ぐ必要があるからである。地域、季節、使う場所などによって形状、大小、材料の異なるさまざまな笠があり、男女によっても違っていた。たとえば私の生家の周辺では、花笠踊りでかぶっているような形の菅笠、それより一回り大きい菅笠があった。また、稲わらの「みご」(わらの外側の葉や鞘を取り除いた茎の部分、細くつやつやとして美しく、しかも丈夫である)で編んだ笠があった。狩猟のときに殿様がかぶる笠のような形をしており、これは男用だが、何と呼んだか忘れてしまった。同じくみごでつくった女性用のかぶり物の「みのぼうし」があった。この説明も難しいのだが、60×30㌢くらいの長方形に織ったみごの畳表を半分に折りたたみ、その長辺の片方を途中まで紐で編んで閉じたもので、閉じていない方を前にしてかぶり、あご紐で飛ばないように抑えておくというものであり、頭から顔まですっぽり覆われるので日除けなどには非常に良く、しかもしゃれており、まさに女性向けのかぶりもの、とってもかっこよく見えたものだった。
 それ以外にも麦わらで編んだいわゆる麦わら帽子もあった。

 いずれの笠にせよ、軽くて通気性がよいなどきわめて合理的につくられており、農山村にある材料を利用しているなどからして経済的だった。まさにこうした種々の笠は利用者と製作者のつまり地域の知恵の結晶ということができよう。
 なお、今利用者と制作者を別のものとして述べたが、一体化している場合、つまり自分の家でつくる場合もあった。私の生家や近くの農家は荒物屋や初市(注)などを通じて買っていた。菅などの原材料が豊富にある地域の農家、田畑が少なくて副業をしなければならない農家などのつくったものが荒物屋や初市(注)で売られていた。

 真夏、山々の間から遠くにもくもくと湧き出ているいくつかの白い入道雲のうちの一つが、やがて頭の上まで恐ろしく大きくのしかかってくるようになる。入道雲の外側は陽の光を浴びて青い空の中に真っ白く突き出てきれいだが、内側が真っ黒く下の方に垂れているようでちょっと怖く見える。
 それを見ると祖母は小学校高学年の私に畑にいる祖父に蓑を持って迎えに行くように命じる。私は自転車に乗り、蓑を後ろにつけて、急いで畑に向かう。山の麓にかかっている入道雲の下が雨で煙って暗くなっているのが遠くに見える。雷が鳴るときもある。あの雨が近づく前に祖父に会わなければならない。急ぐ。
 空を見て畑から引き上げてきた祖父と途中で会う。ほっとして蓑を渡す。祖父は私の持ってきた蓑を肩から背中にかけて身に着ける。
 私はすぐに家路に急ぐ。しかし見る見るうちにすぐ後ろまで雨が迫ってくる。追いつかれないように逃げる。家に着いた頃に痛くて目をあけてもいられないくらいの大粒の雨が落ちてくる。何とか間に合った。
 しかし、歩いて帰る祖父はそうはいかない。あっという間にずぶ濡れとなる。しかし最初からかぶっていた笠と私の持っていった蓑があるので直接身体には雨水がかからない。もちろん身体の前の方は雨がかかるが、背中にはかからず、暖かいのでそれほど気にならない。やがて家に着き、蓑笠を脱ぎ、濡れた身体を拭いて着替え、囲炉裏の前に座って祖母の出したお茶をゆっくりと飲みながら雨の止むのを待つ。
 そのうち蓑笠を用意して遠い田畑に出かけていた父母も帰ってくる。
 みんな乾いた着物に着替え、いろりのまわりでお茶を飲みながら、雨の音を聞きながら一服する。何故か知らないが、この時間が私は大好きだった。

 ふと、気が付いた、「一服する」という言葉、この頃聞いたことがないが、どうなのだろうか。これは「茶やタバコを飲んで休息する」ことを言うのだが、今はタバコは吸わなくなったし、休憩時に茶のかわりにコーヒーやコーラなどを飲む人が増えているので、もう死語となっているのだろうか。

(注)毎年1月10日に山形市街の中心部の道路で開催される市(いち)で、多くの露店が立ち並び、近隣の農山村でつくられた縁起物をはじめ藁工品や木工品などの生活必需品等々いろいろな物を並べて売る行事。その昔はこの初市を皮切りに定期の市が順次町ごとに開催されていた。明治以降この定期の市はなくなったが、初市だけは今も開催されている(かつてとその風情はかなり違ってきているようだが)。

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