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耳開げ、正月、小正月【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第322回2024年12月26日

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今から90年近く前(太平洋戦争直前)の1930年代後半(昭和10年代前半)、私の幼いころの話である。

 たしか耳開げ(みみあけ)といったような気がする
 冬のある夜、豆を煎り、それを一升枡(ます)に入れ、上をお盆でふさぐ。その枡をもって、その年により違った方角にお正月に貼った大黒様と恵比寿様の新しい絵の前に座る。そして枡を勢いよく振って音をたてながら家長(家の主人)である祖父がとなえる。われわれ子どもも祖父といっしょに大声を出す。これで耳がよくなるというからだ。
  「おだいこくさんおえべっさん、おだいこくさんおえべっさん、‐‐‐‐‐‐‐」
   (お大黒さん お恵比寿さん、 お大黒さん お恵比寿さん、 ‐‐‐‐)
 この「お大黒さんお恵比寿さん」を一息で何回も繰り返して唱える。そしてその最後に次のように言って、頭を下げる。
  「こどすも どうが ええみみ きがしぇで けらっしゃい」
  (今年も  どうか いい耳  聞かせて  ください)

 こうした行事を始め、季節の節目にさまざまな祝いや願いの行事があり、その折々の料理が出される。それが子どもには楽しみだった。

 私の生家(山形内陸)ではまず正月の餅つきがある。これは大晦日から始まるが、それは保存のための切り餅用で、元旦の朝も暗いうちから起きて餅をつく。電灯の光をたよりに台所の土間で父が臼に向かって杵を振り上げ、母が餅を返す。朝まだ薄暗いのにどこの家からもぺったんぺったんと餅をつく音が聞こえる。そのつきたての餅を雑煮やあんこ、納豆に入れ、分家の大叔父もきて家族全員そろって食べる。
 ただし、このように元旦に餅をつくというのは私の生家のある地域だけの風習だったようである。母の実家では、同じ山形内陸だが、年末に餅をつき、正月はゆっくり休むという。家内の実家のある宮城県南でも大晦日までにおせち料理をつくり、正月はそれを食べて台所には立たないという。

 松の内に、数人が組となった神楽(かぐら)が太鼓をトントンとたたきながら雪道をやってくる。家の座敷にあがり、笛太鼓に合わせて獅子やひょっとこ、おかめが舞う。獅子が大きな口を開けてみんなの頭に噛みつく。悪魔除けだとはいっても子どもには怖かった。小さい子どもは泣き出した。私はそれよりもおかめの方が怖かった。ぴかぴか白く光る顔に奇妙な笑みを浮かべているあのお面が気持ち悪くて、その踊りが始まると隣りの部屋に逃げていったものだった。終わるとお茶を出し、米一升(だったと思う)かお金を差し出す。それを二人でかついでいる大きな箱のなかに入れて挨拶をし、隣の家に行く。この神楽を冬のなりわい、つまり農林業のかたわらいとなむ副業とし、正月に何戸かでいくつかの組をつくって各地を回る集落が周辺の山間部にあったことを、たまたま農村調査で行ったとき聞き知って驚いたものだったた。

 怖かったと言えば、真冬に毎晩、山伏と同じような服装をして「寒行」(寒中の修行)に回ってくる法印様の寒行も怖かった。雪に閉ざされて完全に音の消えた真っ暗な夜中に、チリンチリンという音が遠くから聞こえてくる。ずんずん家に近づいてくる。時々途切れる。何かぼそぼそとつぶやく声がする。またチリンチリンと鳴り、家の前までくる。止まってお経を読む。終わるとまた鈴が鳴り、法印様の踏みしめて歩くキュッキュッという雪の音がその鈴の音に重なる。やがて音は消えていく。白い山伏姿の法印様が冬になるといつもそうやって回ってくるというのは知っていながら、ともかく怖かった。というより怖いほど静かで(自動車などほとんど通らない頃のことだ)淋しかったと言った方がいいのだろうか。

 この逆ににぎやかなのが法華宗徒の寒行だ。まだ静まりかえっていない夕方暗くなる頃、提灯を先頭にした十数人が法華太鼓をドン、ドンドン、ドン、ドンドンとたたきながら「南無妙法蓮華経」と繰り返しをとなえて歩く。宗徒の家の前に来ると太鼓がやみ、何か唱える声がし、やがてまた太鼓が鳴り、少しずつ遠ざかっていく。

 小正月(正月15日)には繭(まゆ)玉(だま)作りがある。切ってきたミズキ(注2)の枝に団(だん)子(ご)をまるめてたくさん刺し、さらに紙でつくられた小判や鯛などのめでたい飾りもつけ、それを天井に吊り下げる。
 団子を刺しやすくするために、ミズキの小枝の先の芽のところを折るのは子どもの仕事だ。
 やがて団子が乾いてからからになり、ひび割れができたころにそれを外す。この乾いた団子を割って油で揚げたり、バクダンにして食べるとたまらないうまさである。

 ここでちょっと脱線するが、今言ったバクダンとは爆弾あられ・ポン菓子のこと、米などを加熱・加圧してはじけさせたお菓子、ポップコーンを考えればいい)。
 これは春先のおやつだった。雪が消えた頃、リヤカーにバクダンの機械を乗せた行商の人がやってきて、道ばたにリヤカーを止め、機械を据え付けてボンと鳴らす。それを聞きつけた各家ではバクダン屋が来たと米やトウモロコシ、かき餅やまゆ玉の団子などを持ってきてやってもらう。業者は頼まれた順番に機械の釜にそれを入れ、火の上でぐるぐる廻す。やがて釜をもちあげその口を大きな網に向け、留め金を外す。ボンというすさまじい音がする。子どもたちにはそれがこわい。しかしこわい物見たさ、耳を両手でふさぎ、ちょっと離れて見る。大音響が響く、青い煙と香ばしい匂いがただよってくる。子供たちは出来上がりを見に機械に近寄る。網のなかに大きくふくれた米やかき餅が入っている。それをざるや袋に入れてもらって、家に持ち帰る。そしてそれは何日間かの子どもたちのおやつやお茶菓子になったものだった。

このバクダンの音は、私たち子どもにとっては春を告げる祝砲だった。これからは行に妨げられず思いっきり外で遊べるからだ。
 農家の大人にとっては手労働段階での辛く苦しい農作業の本格的な始まりを知らせる音でもあったのだが。

(注)こけし材としても有名な落葉広葉樹。建築材や器具材、薪炭材として利用されてきた。

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