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ある「老人」のこの春【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第324回2025年1月16日

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まったく個人的なことを書かせてもらって申し訳ないが、私の生まれは1936(昭11)年の2月、例の2.26事件の起きる直前である。それから89年、もうすぐ90歳である。よくもまあここまで生きてきたものだ。
 そしてとうとう「要介護者」として認定されてしまった。家内はすでに認定され、私より一段上なのだが、夫婦ともに世の中のお世話になって生きていくしかなくなったのである。

そして、週一回看護士さんによる訪問看護(薬の配置・食事状況の確認、健康相談)を受け、さらに同じく週一回ヘルパーさんに風呂・トイレの掃除をしてもらうことになった。もちろん有料ではあるが、介護保険の適用できわめて安い。これなら私たちの身体も少しは楽になった。

しかし、それでも老人二人だけで生きていくのは難しくなってきている。
 とくに私が二日おき、週三回行かされる生協への買い物が大変だ。前にも述べたように、家内は一人で自立して歩くのが難しくなっているので、買い物は私の役割になっているのだが、最近はどういうおかずを買ってくるのか考えるのも私の役割になりつつある。これが大変だ。何十年も家内の料理にすべて頼りきりできた家事無能力の私のこと、バランスのとれた料理など考えられなない。
 一方、家内は買ってきた素材をどう料理するかを忘れ、それどころか素材を使うのを忘れて何日間も冷蔵庫の中に置きっ放し、賞味期限が切れてしまったりすることも多い。
 さらに私の体力からしていつまで生協に買い物に行けるのか、重い荷物を背負って歩けるのかも問題となる。それだけならまだいいが、転倒して怪我をしたり、三年前のように倒れて緊急入院などとなったらまた大変だ。そして台所の洗い物、洗濯物干し、庭の手入れ等々ができなくなったらどうしようもない。
私たちは「だめ」になりつつあるのである。

それを見ている東京に住む娘、息子、孫たちは言う、仙台の家屋敷を引き払って東京の介護施設に入り、住まいと食事を提供してもらい、そこでのんびりゆっくり過ごしなさいと。
 続けてこうも言う、そうすると私たちも安心だ、何かあったらすぐ駆け付けられる、新幹線代金もなしにいつでも会えるし、家に来てもらって食事もできる、いっしょに飲み屋に行くこともできる、東京に住む甥や姪たちも伯父さんといっしょに飲みたいと待ち構えているとも言う

そして先日、娘が東京郊外のある介護施設の案内書を持ってきた。介護施設付きマンションとも言える感じで、たしかに住み心地はよさそうである。しかし入所金は高い。入ろうとすれば今の仙台の家を処分しなければならなくなる。
 そう言うと、それでもいいではないか、私たちは遺産などはあてにしていない、自分たちで全部使い切ってしまってかまわない、とも子どもたちは言う。

それでも家内は、いやだ、仙台から、いや仙台の今住んでいるここから離れたくない、この家はかなり立派にまた頑丈につくられているのでまだまだ十分に使えると言う。
 そんなことを言っても、この近くには知人、友人などもういないではないか、みんな亡くなるか、子どもたちに引き取られるか、施設に入るかして付き合っている人もほとんどいなくなっている、何でここにこだわるのだ、こうも子どもたちに言われる。
 たしかにそうかもしれない、今住んでいる住宅団地内でまともにつきあっている家は二戸のみとなっている。しかも今はともに高齢化で往き来もできなくなっている。
 もう時間の問題ではないか、こうも私の娘たちに言われる。

 しかし、と家内はまた言う、残された短い命を今住んでいるこの地域で、この家で送りたい、ここで死にたいと。
 私たちが設計をしてつくった家、しかも坪当たり建築費も高かったためにあの大地震に遭ってもいまだにひぴ一つ入っていない家、思い出の詰まったこの家、10分ごとにバスが通っていて街に行くのも便利でありながら自然にも恵まれているこの屋敷、面積もこの地域平均の二倍もあり、庭に植えた植木、四季折々の花を楽しみ、少なくなってはいるがまだ訪れてくる蝶々、セミ、トンボ、コオロギ、鳥たち、私たちが近付くと餌を求めて集まってくる庭の池の金魚等々に癒やされる日常、これを手放したくないと。

私も同意見だ、しかし、かつては楽しんでいたこの庭の手入れ、たとえば草取りなどができなくなっきた。もちろん剪定等は植木屋さんに頼んでいるが、草取りなどを頼むわけにはいかない。日本の中耕的風土=農業生産に恵まれた風土がこういうところでは裏目に出るのである。

私たち夫婦の身体も頭ももうぼろぼろ、いつどうなるかわからない状況にある。現にこの数年生死の境をさまようような病気や事故に遭い、子どもたちや救急車、病院にお世話になっている。できるだけ世間様には迷惑をかけたくないのだが、やはり年なのである。

 それで子どもや孫たちの勧めにしたがい、まずは彼等の住む家の近くの介護施設付きマンションをともかく見に行ってみた。

考えに考えた、家内はそこに行くのをいやがった、しかしやむを得ないということになり、家内と二人、この二月末に東京の介護施設に入所することにした。

こう決めたにもかかわらず、生まれ育った東北から離れたくない、あんな狭い施設に入りたくはない、「老人ホーム」などには行きたくないと家内は泣きそうになって言う。
 私も同感だ。私だって離れたくない。
 でもやむを得ない、私たちはもう90歳、残りは10年もないのだ、わがまま言って世間に子どもや孫たつに迷惑かけるわけにはいかない、そう言って家内を何とか納得させた。
と言うことで今は引越しの準備中、今年の春は大変な春になりそうである゛

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