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村・町に続く中小都市そして大都市の過疎(?)化【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第329回2025年2月21日

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前にも本稿で述べたように、戦前も戦後も若者たちは村を出て東京など大都市に出て行った。そして故郷に錦を飾って帰ろうと働きに働いた。しかし、なかなかうまく行かなかった。

それでも村に残された親たちは、いつかは息子たちが孫たちが村に帰ってきてもらえるものと思って、がんばってがんばって家屋敷をまもり、田畑や林野を維持し、自家産の米や野菜、果実、山菜等々を子どもたちに送ってきた。
しかし、子どもたちは孫たちは故郷には帰ってこなかった。

やがて親たちは高齢化で働けなくなってくる、さらに病気になる、そこで子どもたちは言う、だれも耕作してくれないし、ましてや古い家など欲しがる人もなし、もう家は農地は捨てなさい、町にある介護施設に入所し、ゆっくりのんびり過ごしなさいと。
そして徐々に徐々に高齢者も少なくなり、村は「ポツンと一軒家」だけとなり、やがてその家に住む人はいなくなり、家屋は崩壊していく。

町に住む私たち夫婦も今同じ道をたどりつつある。前にも書いたように高度成長末期に私の住む地域から約1㌔離れたところにつくられた住宅団地が幽霊団地となっているのが典型的な例だ。子どもたちはほとんどみんな職を求めて東京に出て行ってしまったからである。
私の娘も息子もそうだった。
今から40年前大学を出たばかりの私の息子は、仙台で暮らそう、そして私たちの最後を看取ろうと仙台で職を見つけた。ところが息子の勤めたコンピュータ関連会社は仕事の多い東京に本社を移し、それにともなって息子も東京で仕事をすることになった。やがて会社は本拠地を東京に遷すことになり、仙台は出張所程度になってしまった。それで息子夫婦は仙台に帰ろうにも帰れなくなってしまった。かくして息子夫婦は東京人になってしまった。
娘も同じだった、仕事の多い東京に居をかまえてしまった。そして盆正月に仙台に帰って来るだけになってしまった。
孫たちは、夏春冬の休みや連休の期間中は仙台に来て私たちとともに暮らしたが、勤めるとやはりそれができなくなり、息子や娘と同じく盆正月・連休に来るだけになってしまった。

こうした子どもや孫たちに私たち夫婦は、親しく付き合わせていただいている農家の方などから贈られてくる米やリンゴ等の果実等々東北の匂いのするものをお裾分けして送り、さらに盆正月に帰ってくると東北の郷土料理をつくってご馳走した。
だから家内などは、子どもが定年になったら今住んでいる家を増改築していっしょに住めるようにしようなどと夢見ていた。

しかし現実は厳しかった。考えて見たら、孫たちにとっては今私たちの住んでいる仙台は故郷ではなかった。故郷は東京なのだ。当然友だちは仙台にはおらず、東京にいる。しかも就職口は圧倒的に東京が多い。そうなると当然孫たちも自分の故郷であり、友人もいる東京で就職する。

それでも、盆正月を始め何かあると仙台のわが家にに来るということからして、孫も仙台を故郷と思っているようだが、仙台は故郷ではないのである(仙台の産院で生まれたのだから仙台が故郷だなどと言いたくなるが、これは屁理屈というものだろう)。

こうして何年間か過ぎる。やがて親たちは高齢化し、心身ともに弱ってくる、そこで子どもたちは家や宅地を引き払わせて街の介護施設に入れ、あるいは子どもたちの住む街の近くの施設に入れようとする。

それでも親たちは家屋敷を手入れしながら故郷でがんばる、しかし動けなくなって来る、病気になったりもする。それを心配する子どもたちは強く勧める、家屋敷よりも何よりも身体のことが心配だ、働き過ぎるほど働いたのだ、もう十分だ、と言っても東京等の大都市では高地価で親を引き取って面倒を見るだけの住宅など買えない、そこで言う、近くの老人ホーム等の介護施設に入ってゆっくりしなさい、そうすると私たちともいつでも会えるし、食事もできると。

それに抵抗しようと思ってももう身体は言うことを聞かなくなっている、やむを得ず家を引き払い、介護施設に入所する、こうして住む人のいなくなった家屋敷はやがて荒れ果てる。

こうした過程が私の家庭ばかりでなく私の住む住宅団地でも起きてきた。

しかし、「過疎化」が進むということはなさそうだ。空き地などにせず、アパートを新築したり、貸し家・貸し地にして貸したりているものもいるからである。さらに放棄宅地を購入して住む新住民が増えている。
ただし、それは私の住む地域がたまたま交通の便がいいということからで例外的なものといえよう。
それでもいまだに空き家、空き地のままになっている土地がある。空き家の中にはその所有者もわからないというところもあるとのことだ。やはりここも全国共通の動きが進行しているといえよう。

ところで、私のような高齢者が大都市に集中すれば、いわゆる「地方」の農村部の過疎化が進むと同時に、都市部の高齢化が、さらに過密化が進む。
過疎・過密問題はさらに深刻化する。

しかし、それは一時的なもので、やがては集中した高齢者はいずれにせよ長くとも十数年後には0になるのだから、場所によって過疎化が進む。都市部におけるかつての住宅団地における高齢化、それに伴って過疎化も進むのである。
そしてかつての賑やかな過密住宅団地が過疎地域、過疎団地となる。農山村の限界地域の大都市への進出、伝播が進み、やがては「限界集落」ならぬ「限界団地」が出現し、「日本国中過疎」となる。もちろん団地には「冠婚葬祭などの社会的共同生活を維持する」などという機能は「集落」と違ってないので生活には差し支えないが。

しかし、やがてはその住宅団地に途上国の人々が入り込む。一時期過疎地の労力不足を補うために途上国の人々が流入したが、今は大都市に流入しており。しかも家族ぐるみでだとのことである。仙台でもそうなっているようだ。
こうして多民族化か発達した資本主義国で進む、この法則性が日本でも貫徹しようとしているのだろうか。

一方で、大都市の中心部には巨大な高層マンションができ、富裕層がそこから傲然と下界を睥睨する。そこの敷地面積だけが人口密度は高くなる。
何とも奇妙な世の中になってきたものだ。

私たち夫婦も今その波に飲み込まれつつある、何とか抵抗しようと仙台でがんばってきたのだが、やはり「だめだった」ようだ。

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