【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第332回2025年3月13日
かつての四季折々の地域の祭りや家々の伝統行事のほとんどが旧暦(注)で行われた。
正月は新暦でなされるようになっていたが、それでも旧暦のお正月も同じように餅をついて祝った。ただしそのときつく餅は保存食の「かき餅」(薄く四角に切って外に干し、からからに乾燥させた餅、焼くか油で揚げるかしてふくらまして食べる)が中心となっており、私の子どもの頃は副次的な行事になっていた。
なお、この旧正月には、米選機で選別された屑米や砕米のうちの相対的に粒の大きいうるち米に餅米を少し入れて「くだけ餅」をつき、これもかき餅にした。色が黒くておいしくはないが、油で揚げたりすると香ばしくてうまかった。
今から数十年前、この旧正月と新正月のことで、山形の農民詩人で父の友人だった真壁仁さんからこんな話を聞いたことがある。
新暦施行以前の庄内地方では小作料は旧暦の年末までに納めることになっていた。ところが、新歴が施行されると、地主は新暦の大晦日までに納めろと言うようになった。早く小作料が手に入るので安心だし、早くお金を手に入れることもできるからである。しかし農家は困る。脱穀機や籾摺機もない手労働段階では、玄米にするまでにどうしても旧歴の年末までかかるからである。それでも言うことを聞かざるを得ない。農家の仕事はかなり大変になった。農家は地主を恨んだ。
ところが、酒田の本間家は違った。いうまでもなく本間家は幕末に「本間さまには及びもないが せめてなりたや殿さまに」と謡われたほどの裕福な商人地主であり、明治末には一千町歩(ha)をこす水田をもっていた日本一の大地主である。その本間家が、小作料の納入はこれまで通り旧暦の年末まででいいとしたのである。さすがは本間さま、農家のことを考えてくれる温情のある地主さまだと農家はありがたがった。
しかし、実は農民のことを考えてそうしたわけではなかった、こう言って真壁さんは笑う。新暦の年末だと米粒はまだ多くの水分を含んでいる。これに対して、旧暦の年末ころになると、寒の時期を越しているので乾燥が進み、米粒が引き締まって小さくなる。それで、新暦よりも旧暦に納付させた方が、同じ一俵でも多くの米粒が入る。その米粒は暖かい季節になるとふたたび水分を含み、脹れてくる。つまり一俵以上に増える。その「水増し」された分だけ本間家はもうかる。だから旧の年末でいいと言ったのだ。他の地主よりも実質小作料が高いのであり、温情地主などというのはとんでもない話だと。
真壁さんは若い頃米の検査にたずさわっていたのでこのへんの話はくわしかったのだが、私が戦前の小作争議、地主制のことを調査しているときに雑談の中で話してくれたものである。
もう一つ 、この旧正月との関わりで触れておきたいのは「寒休み」についてである。
私の小学校の頃は一月末から二月始めにかけて一週間くらいの寒休みというものがあり、旧正月一日がそのなかに入るときもあった。冬休み以外になぜ寒休みがあるのか、単に寒い時期だからなのか、それがよくわからなかった。いつの頃からだったろうか、次のように考えるようになった。これは旧正月との関係から来ているのではないかと。
新暦採用当初の明治、大正期はやはり農家のお正月は旧暦中心だったろうと思う。今も述べたように当時は脱穀、籾すり、精米等すべて手労働だったので、いくら新暦で正月をやれと言われてもやるわけにはいかず、旧正月の直前まで働かなければならなかったからである。だから、カレンダーはどうあれ、本当のお正月は旧歴でやることになる。農家と取引している商人などもそれに合わせざるを得なかったろう。当然旧暦の大晦日直前は忙しく、お正月は家族全員ゆっくり休む。子どもも大晦日直前は学校を休んで手伝い、お正月は家族とともに祝い、ゆっくり休んだのではなかろうか。しかし学校を休まれては先生方は困る。だからといって学校に出てこいとはなかなか言えない。やはり正月なのだ。そこで考え出したのが新歴の月の冬休みは短くし、旧正月の頃に休みを新たにつくることである。しかし、そんな「旧正月休み」などを新暦の採用を強要してきた政府が認めるわけはない。ところがいいことを思いついた。ちょうど旧正月のころは大寒などのもっとも寒い日、大雪の日が続く。そうした時期に子どもたちを学校に来させるのは大変なので、この時期に休ませる「寒休み」をつくりたい。こういう名目で実質旧正月休みの「寒休み」を認めさせたのではなかろうか。もちろん証拠も何もなく、私の勝手な憶測でしかないのだが。
なお、私の小さい頃の寒休みは旧正月と必ずしも一致しなくなっていた。足踏み脱穀機の導入等、秋から冬にかけての作業体系はかなり変わっていたし、また新暦の正月も社会的に定着してきていたからだろう。こうして徐々に新暦の正月がメインとなり、旧正月はサブになってきた、そう考えたい。
やがて寒休みはなくなった。戦後いつ頃からだったのか、記憶にない。
「寒休み」、これも死語になってしまった。私が生まれてからどれだけの言葉が死語となったろう。
代わりに新しい言葉も生まれてくる。「介護保険」などもそうだ。そして今、私はべったりとそれにお世話になりつつあり、「老人ホーム」と言われているところの一室で今この原稿を書いている。
それにともなって私のメールの送受の仕方も変わり、この原稿もまともに編集部に届くかどうかどうか心配しているところ、時代遅れの人間の私はネット社会についていけなくてこまっている。
90年、長いこと生きていると、いろんなことがあるものだ。
ということでまた現時点に戻り、次回からは東京の老人ホーム暮らしについてちょっとだけ語らせていただくことにしよう。
(注)かつての日本では旧暦(太陰暦・陰暦=月の動きを基礎に決められていた暦)が使用されていたのだが、1873(明6)年に新暦(グレゴリオ暦・太陽暦=太陽の動きを基礎に決められた暦)に改められ(改暦され)た。しかし、一般庶民の暮らしは旧暦にもとづいてもなされ、それにともない、新歴での正月と旧磨での正月のようと呼んで同じ行事が2度行われたものだった。しかし、昭和の第二次大戦後は徐々に旧暦で行われることが少なくなっていき、今はほとんど使われなくなった。
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