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その昔の季節の行事【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第335回2025年4月10日

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 4月8日はお釈迦様の誕生日だが、私の故郷の山形ではまだ花は咲いていないので、他の地域の花祭りのような行事はない。それでも楽しみだ。お寺に二合瓶をもっていくと「甘茶」をもらえるからである。甘いものに飢えていたその昔の子ども時代、あまり甘くない甘茶でもうまく感じる。

 5月の節句、今各家庭でちまきをつくっているだろうか。そもそも食べているのだろうか。柏餅は売っているが、ちまきは店先で見たことがないからだ。
  「柱の傷は おととしの
   五月五日の 背くらべ
   ちまき食べ食べ 兄さんが
   はかってくれた 背のたけ ......(後略)......」
 この『背くらべ』(注)の歌は今はあまり歌われなくなっているようだが、ちまきも忘れられてしまうのだろうか。
 家内は私の生家でちまきの作り方を教わったのだが、ずっとつくらないでいるうちにイグサでの縛り方を忘れてしまったという。母も亡くなってしまったので聞くに聞けなくなった。私の大好物、何とか思い出してつくってもらいたいのだが、もう無理というもの、あきらめるより他ないだろう。
 なお、笹、柏、朴など山野の木の葉で食べ物を包む、よもぎなど雑草を食べる、ここで述べたこと以外多々あるが、こうした古来の伝統を今後ともまもり育てていく、こうしたことも考えていく必要があるのではなかろうか。
 それはそれとして、この端午の節句(5月の節句はこうも呼ばれた)は庭に鯉のぼりを立て、兜や鍾馗様などを家の中にかざり、私たち子どもは祖母のつくってくれた菖蒲とよもぎの束を屋根に投げ上げ、夜は菖蒲湯に入る。この菖蒲の匂いが何ともすがすがしい。
 ごちそうはいうまでもなく柏餅とちまきだ。笹の葉に包んで蒸された「ちまき」のご飯を醤油やきな粉につけて食べるのは、普通のご飯や餅とはまったく違った味と食感で、今思い出しても食べたくなる。なお、柏餅にはあんと味噌の入った二種類があったが、甘味に飢えていた子どもたちはあん入りだけを食べたがったものだった。

 七夕には、寺の竹林から竹をもらってきて短冊に願いを書いて家の庭に飾り、一週間するとそれを近くの川に流しに行く。

 迎え火から始まるお盆、これまた子どもたちの待ちに待った日である。めったに外に出られない夜、近くの子どもたちみんなが提灯やカンテラに灯をともして集まり、唄を歌いながら近所の家々をまわる。そうすると家の人が戸口に出てきて準備したお菓子や食べ物をくれる。しかしそのとき歌った唄がどうしても思い出せない。戦時中に禁止されたので私が歌ってまわった回数が少なく、戦後復活することもなかったせいだろう。

 お彼岸は春秋ともにぼた餅である。ふっくら炊きあがったご飯をすりこ木でつぶして餅にするのは子どもの仕事だった。なお、お盆の時の餅はぬた餅である。枝豆をすり潰して砂糖を入れて甘くし、餅につける。仙台ではこれをずんだ餅というが、最近仙台名物としてお土産屋に並ぶようになった。

 旧暦の8月15日(新暦の9月15日)には夜、椽側にススキを飾り、団子、豆、芋などをお月様に供える。
 月見と言えば、年に一度真夜中に月が蝋燭の炎のような形で東の山に上がってくる夜があり、近所の人みんながわざわざ起きてそれを拝むという行事があった。寒い時期だったことは覚えているが、何月何日だったか、そのお月さまを何と呼んでいたかは忘れてしまった。子ども時代に一度起きて見たことがあり、赤い半月がまさに蝋燭のようにしかも大きく山の上にかかるのが何とも不気味だった。

 それ以外にもたくさんの行事があったが、農事関係の行事としてはまず田植えが終わった後の「早苗振り(さなぶり)」
、稲刈りが終わった後の刈り上げの行事がある。神棚に苗や初穂をあげて祈りと感謝をささげ、夕食のおかずが少し豪華になったり、餅をついたりする。ともかく何か祝い事といえば餅をついたものだった。
 こうした農事関係の行事はもっと他にあったようだが、記憶にはない。雪の田んぼに行って一年間の農作業のまねをして神様に豊作を祈るという行事があったようだが、小さかった私は連れて行ってもらえなかったし、太平洋戦争中は中断して戦後復活しなかったので、これも記憶にない。

 家ばかりでなく、むらにも季節ごとの農業に関連する行事があった。地域によっては家の行事がむらの行事であることもあった。
 たとえば圃場での作業が全部終わると祝う「庭払い」とか「土払い」とかいう行事があるが、これを家でやるところとむらでやるところがあった。
 山形県庄内のある地域ではむらの、しかも若者の行事として祝われた。むらの若者全員が集まり、三日三晩飲み明かすのだそうである。当然のことながら飲めなくなって逃げ出すものがいる。とくに若者仲間に入ったばかりの若者などがそうである。そうするとみんなでその家に押しかけ、連れ帰ってまた飲ませる。親はそれを止める権利はない。そのうちつぶれてしまう。目を覚ましてみると、線香の匂いがする。顔に白い布がかぶせられ、仏壇のそばに北枕で寝かされている。そんな悪戯をしあってみんなで楽しむ行事があった。
 むらの鎮守の神様の祭りなどはそのなかでも最大の楽しい行事、とくに子どもにとってはそうだった。
(注).作詞:海野厚、作曲:中山晋平、1923(大正12)年

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