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【追悼】「和」に徹した人、山内さんを悼む2013年8月9日

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 山内偉生さんが逝かれた。入院して僅か3カ月の命で81才だった。山内さんとはお互い全中に就職して以来50年以上にわたる友人で最も親しい関係にあったが、そこで感じた彼の人柄を一言でいえば「『和』に徹した人」ということができる。

toku1308090901.jpg 公私にかかわらず意見を述べあう機会が多かったが、彼はいつも人の意見をよく聞き、自説に固執するようなことはしなかった。そうした態度がみんなの信頼につながり、結局最終的なとりまとめは山内さんが行うことが多かった。山内さんは就職してまもなく役員室勤務で荷見安会長の秘書となり、また、若くして国会担当を勤め、その後農政部長、総務部長を歴任されたのも、そうした人柄の故であったと思う。
 山内さんは全中退職後新聞連の常任監事・常務となり、協同組合懇話会代表や農協協会監事などにも就任された。この間JAICAF(国際農林業協働協会)常務理事を勤め、またパラグアイに農協専門家として赴任されたが、その功績が評価されパラグアイ名誉国民の栄誉にも輝かれたのである。この活動のなかで山内さん中心に広い人脈ができたのはいうまでもない。
 このように山内さんは「仕事の人」であったが一面「趣味の人」でもあった。その代表がギターを弾きながらの独唱であった。いろいろな機会に自ら進んでギターを奏でながら歌った山内さんの姿が今でも昨日のように目に浮かぶ。また、あまり知られてはいないが挿絵もセミプロ並みの腕前であり、英会話も日常生活には困らないほどであった。JAICAFおよびパラグアイでの国際的な場での活躍はこの英語力によるところが大きかったと思われる。
 このような多様な「趣味」と同時に戦時中における大陸での生活と戦後の引き揚げ者としての厳しい体験が山内さんの人柄の形成に大きな影響を及ぼしていたように思う。
 亡くなる前日、奥さんに「今日はずっと病院にいてほしい」といわれたという。そこには山内さんの奥さんをはじめ家族に対する限りない信頼を感じるのは私だけだろうか。山内さん安らかにお眠り下さい。合掌。

(北出俊昭)

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