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米:日本文化は大地を耕すことから

【インタビュー】水田農業と日本人の生き方 安田喜憲・東北大学大学院環境科学研究科教授(国際日本文化研究センター名誉教授)2014年1月17日

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・農山漁村が源流を守る
・山と海繋ぐ美保の松原
・東洋の営み、世界遺産に
・水の繋がり日本の基盤
・海を身近に…被災地の声
・農山漁村が良心を培う
・収奪と循環、欧米と日本
・叡智活かし社会持続を

 2013年は「和食」のほか「富士山」も世界遺産に登録された年だった。三保の松原とともに登録された意義について「森・里・海の命の水の循環」を維持してきた日本人の世界観を世界が認めたことだと安田教授は話す。その水の循環をこの国で守ってきたのが、水田を作り暮らし続けてきた農村。その営みが私たちの未来にとってどんな意味を持つのか。安田教授に語ってもらった。

命をつなぐ水の循環を守る

◆農山漁村が源流を守る

安田喜憲教授 日本は明治以降、欧米文明をめざしてきましたが、それが行き詰まってきた。そのひとつが地球環境問題だと思います。とくに水です。
 命をつなぐ水の循環が大きな課題となり、2030年には40億近くの人が安全な飲み水に事欠くことになりかねないと言われています。しかし、日本の社会はその水の源流、川上を基本にしていて、農山漁村がきちんと水を守ってきた。だから大都市の繁栄もあるわけです。

(写真)
安田喜憲教授

◆山と海繋ぐ美保の松原

葛飾北斎の「富嶽三十六景」の1枚。「凱風快晴(がいふうかいせい)」 昨年は富士山が世界遺産に登録されましたね。私は静岡県知事から世界遺産推進のための参与を依頼されていて、4月末にユネスコから富士山を世界遺産に推薦するとの連絡を受けました。ただし、条件がある。それは美保の松原を排除するというものでした。
 それを見た瞬間、これは排除できないと思いました。日本人にとって富士山と美保の松原は一体です。富士山と駿河湾は命の水の循環でつながっている。それを媒介しているのが美保の松原ですから、絶対に外せない。 富士山は3776m、その前の駿河湾の深さは2500mです。つまり、富士山の頂上から駿河湾の海底まで6000m以上の落差があって、地球という視点からみればそれは垂直ですよ。そこにわれわれは、はいつくばって暮らしているわけです。
 エベレストは8000m以上の世界最高峰の山ですが、インド洋からエベレストは見えません。しかし、日本は日本一高い山と日本一深い湾が接している。そこに人間が暮らしている。これが日本の国土の象徴だ思います。

(写真)
葛飾北斎の「富嶽三十六景」の1枚。「凱風快晴(がいふうかいせい)」

◆東洋の営み、世界遺産に

 その後、6月に世界遺産登録に向けての最終会議がカンボジアのプノンペンで開かれました。議長の名前を見たら、06年からカンボジアの仕事もしているために交流のある副首相だったんです。そこで最終会議を前に手紙を書いた。
 カンボジアではアンコールワットが世界遺産に登録されていますが、このアンコールワットが祭っている神はプノンバケンという山の神様です。
 そしてアンコールワットの隣にはアンコールトムという王たちも住んだ都市があって12世紀には世界一人口が多かったんです。そこにもアンコールワットと同じように環壕があったのですが、その水は世界一の人口を抱えていたのだから、当然、ものすごく汚いだろうと考えられていました。そこで2007年にわれわれが調査をしたんです。環壕の土を採取し、含まれている珪藻や昆虫の化石を分析しました。
 そうしたら分析を担当した研究者が私に、ここの水は飲めたようですよ、と言ってきた。つまり、当時、世界一人口が多い都市を取り囲む環壕には、人が飲めるようなきれいな水が蓄えられていたということです。実際、調べてみると3つの大きな貯水槽を設けてプノンバケン山からの水を環壕に流していた。その山の神を祭ったのがアンコールワットということです。
 手紙ではそれを指摘して、富士山と美保の松原の関係は、プノンバケン山とアンコールワットの関係と同じなんだ、だから、美保の松原も含めて世界遺産に登録するよう協力してほしい、と書いたのです。
 ユネスコの大使たちは富士山が古くから人々の信仰の対象であるという意味を「巡礼」として捉え、その道が富士山に続いていることは理解していました。しかし、美保の松原は45kmも離れているではないか、というわけです。それに対して私たちの考えは、アンコールワットとプノンバケン山の関係と同じように命の水の循環でつながっている一体のものだということです。
 最終会議でドイツの大使が美保の松原は素晴らしいと言い出した。さらにメキシコ、エクアドル、フランスも続き、賛同が広がって、一気に決まったんです。
 つまり、美保の松原も含めて世界遺産になったということは、森・里・海の命の水の循環をつなぐという、東洋の世界観が西洋の人々にも認められたということなんです。

◆水の繋がり 日本の基盤

 この水の循環を守るということが、実は国土を強靱化することなんです。ところが政府は国土を強靱化するのはコンクリートだと思っている。日本の国土が強靱化しているのは、農山漁村が水の循環を守ってきたからです。
 日本の稲作漁撈社会というのは、水で人と人とがつながっている社会です。農山漁村にいる人々には、水の循環を守ることが何よりも優先されなければならないことが生活のなかで分かっていた。自分の田んぼに入ってきた水も、きれいにして次の田んぼで使えるようにしなければならないと。そういう努力があって初めて日本の地域社会が成り立っていたわけです。
 命の水で人と人とがつながっている社会をきちんと構築していく。それが日本の国土の強靱化です。

◆海を身近に…被災地の声

 私は今、宮城県で暮らしていますが、東日本大震災の直後、宮城県知事は巨大な防潮堤をつくると決断しました。政府も予算をつけましたね。
 確かに被災直後は津波の恐ろしさから、みんなが高い堤防をつくれと言っていました。
 しかし、震災から3年めになると人々の心が落ち着いてきて、海が見えるほうがいいと言い出しています。巨大な防潮堤はいらないと海岸部に住んでいる人が言い始めた。実際、海岸に15mの防潮堤を作るといいながら、その後ろは高台移転をしているから誰も住んでいない。誰のための防潮堤かということです。
 この問題に関してゼネコン関係者に話したことがあるのですが、われわれだって誰のためにもならないのなら建設する気などない、お金儲けのためだけでやっているわけではありません、そのぐらいの良心はあります、と強調していました。つまり、われわれの未来の子どもたちに何を残すかが問われているのです。

◆農山漁村が良心を培う

富士山に降った雨や雪が豊富な湧水となって現れている「柿田川」の水中写真。平成23年に柿田川湧水群は天然記念物に指定された。(静岡県清水長提供) では、そうした良心はどこで培われたのかといえば日本の農山漁村です。かつて日本の農村に外国人研究者を連れていったとき、無人販売所でおばあさんがきちんとお金を払って大根を買っている姿を見て、みなびっくりしていました。おたくの国は何という国だ、私の国なら10分もしないうちに全部ただで持っていってしまう、と言った研究者もいました。
 震災後の東北の人々の姿に世界は驚きましたね。奪い合うわけでもなく、泣き叫ぶわけでもない。他人のことを考えながらじっと悲しみを抱きしめて生きる。その素晴らしい姿を世界の人は絶賛した。ただ、今はその優しい心を政治が利用している可能性もある。そこはしっかりと考えなくてはなりませんが、大事なことは、稲作漁撈型のわれわれの文明は、森・里・海の水の循環をきちんと守りながら美しい風土で生き続けてきたということです。

(写真)
富士山に降った雨や雪が豊富な湧水となって現れている「柿田川」の水中写真。平成23年に柿田川湧水群は天然記念物に指定された。(静岡県清水長提供)

◆収奪と循環、欧米と日本

 これに対して一方的に収奪するという世界観に立脚したのが欧米の文明です。私はこれを畑作牧畜型の文明といっていますが、これが栄えた地域は森が破壊されました。
 畑作牧畜型文明の人々にとっては、羊や山羊を放牧し、ミルクを飲んでバターやチーズを作って、肉を食べるというかたちでタンパク質を摂っていた。日本人はそうではなくて、急傾斜にはいつくばって棚田を作ってきた。
 日本人は、本来は不毛の大地を豊かな大地に変えることに喜びを覚えることができる。これは日本人の素晴らしい特性だと思います。
 かつて歴史人口学の速水融先生が「勤勉革命」を提唱された。日本では江戸時代に産業革命ではなく勤勉革命をやったというのです。
 たとえば、牛の頭数にそれが現れていました。この時代には人口がどんどん増えていきますが、牛の頭数は減っていった。ヨーロッパの畑作牧畜型社会では人口が増えれば食料を得るために牛の頭数はどんどん増えていく。
 日本人はかつては牛を食べていませんでしたから、当時の牛というのは役牛です。ということは牛の頭数が減っていったというのは労働力が減っていくということです。そしてその牛の替わりに人間が働くようになったということです。つまり、人間が大地に重労働をして働きかけて、豊かな大地を生み出すという選択をした。
 そこにヨーロッパと日本の大きな分かれ道があったということです。棚田はまさに日本人が自然に働きかけてつくってきたものです。豊かな大地にすることに喜びを感じられるということです。

◆叡智活かし社会持続を

 それは日本人が稲作を受け入れるとき、長江流域の稲作漁撈型社会を受け入れたことが大きく影響しています。黄河流域は畑作牧畜型文明で羊や山羊を飼っていましたが、日本は羊や山羊は受け入れなかったということです。
 さらに大きなことは天武天皇というリーダーが肉食禁止令を出したことです。これは仏教の影響だといいますが、そうではなくて、この狭く急傾斜の日本列島に羊や山羊を放牧したら社会の持続性はないと考えたからです。
 もうひとつ天武天皇がつくったことに式年遷宮があります。これは昨年も行われましたね。
 式年遷宮とは20年ごとに同じことを繰り返すものです。20年前と同じ大きさで同じ技術でつくるということです。それでは何の発展もないではないかと思いますよね。しかし、そうはしない。
 一方で福島原発事故のことを考えると、原発を建設してから40年間はその地元は豊かな生活をしたかもしれません。しかし、今はその故郷にも帰れない状態です。米を作ることも漁をすることもできない。失われたときに初めて、同じことを繰り返すということがいかに重要かが分かる。
 実は式年遷宮と同様、同じことを繰り返すということをやってきたのが農山漁村です。
 その意味で今は、未来の子どもたちに何を残すかということをわれわれは考えなければいけないと思います。
 日本人はこの日本列島にしがみついてでも生きてきた。稲作漁撈型文明で森・里・海の命の水の循環を守ってきた。その叡智がこれから生きてくると思います。自分たちの足下の歴史と伝統文化を大事するべきだと思います。

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