【千石興太郎の「人と思想」】産組運動に命を吹き込んだ男<前編> 文芸アナリスト 大金義昭2021年2月18日
JA全国青年大会は、恒例の組織活動実績発表の最優秀賞に特別賞の「千石興太郎記念賞」を贈呈している。JA全青協の前身である「産業組合青年連盟」の結成に寄与した先駆者、千石にちなんだ賞である。
没後70年になる千石興太郎とは、そもそもどんな人物であったのか。多くの人に「千石さん」と親しまれ、「産業組合の独裁王」とも称されたその人となりや事績を、文芸アナリストの大金義昭氏に3回にわたって探ってもらう。(写真は『千石興太郎』〈大貫将編・協同組合懇話会〉から転載)
札幌農学校卒業記念(1895年、中列右が千石。前列右から南、新渡戸、佐藤、宮部、吉井の教授ら)
信念貫く声の大きな伊達男
「千石よ(與)太郎と読んではいかん。こう(興)太郎と読んでいただきたい」とジョークを飛ばし、太く大きな声で長講一席を弁じた。その雄弁と健筆を武器に、産業組合に対する卓見と熱情を振りまき、事に当たって単刀直入に臨んだ千石は、ダンディーな男であった。
長身痩躯のハイカラな洋装。胸に真新しいハンカチをのぞかせ、荒い縞目(しまめ)の通った服地は、伊達男の証である。髪を七分三分に分け、丸眼鏡の奥に光るまなざしと口を「へ」の字に結んだ容貌からは、持ち前の信念と押しの強さを窺わせる「万年青年」の風格がにじみ出ている。しかし、どことなく剽軽(ひょうきん)でもある。
千石は派閥をつくらなかった。しかし、有為の人材を積極的に起用し、産業組合に献身する豊饒(ほうじょう)な人脈をつくり上げた。地位や金銭に恬淡(てんたん)で、東京・雑司ヶ谷の私宅を訪れた者は、清貧な暮らしぶりに驚かされた。
『朝日新聞』記者から政界に転じた河野一郎に、次のような一文がある。「外における彼の活動や社交ぶりを見た眼でその住み家をみると、全く清貧に甘んじて、平気で楽しんでいる」と。竹を割ったような「人間千石」に、河野もほれ込んだ。河野も認めた「雷親父」は、豪放・果断・不屈・寛容で情誼(じょうぎ)に厚く、実は目配り・手配りにも細やかであった。叱るも怒るも、夕立の雷のように後腐れがなかった、と人びとは口をそろえる。
家庭にあっては、愛児たちにこんな言葉を贈っている。「郵便はがき」に書きなぐったペン字が躍る。
子供の心得 一、身體を健全にし 元氣をよくすべし 二、能く遊び能く働くべし 三、自分のことはなんでも自分ですべし 生長の後は人の厄介にならざる人間となり御国の御役に立つことを心掛べし 大正四(1915)年十一月十日
「能く学べ」とは、書いていない。自由放任主義を貫き、「人は社会のために」が「父の始終かわらぬ考えであつたようだが、恐らくこれは北大の学生時代の環境からの影響が大きかつた」と、次男虎二は振り返っている。
松山時代の千石(1904年、前列右から3人目)
江戸っ子気質の風雲児
千石興太郎は、1874(明治7)年2月に父・徹30歳、母・ミツ22歳の長男に生まれた。生家は東京・日比谷にあった中山忠能侯爵邸内の藩長屋であった。中山邸は、明治天皇の生母、中山一位局(慶子)の実家に当たり、徹は剣術の腕を買われ、邸の警固に雇われていた。維新から7年、西南戦争の3年前に当たる同年2月には、江藤新平らによる佐賀の乱が勃発している。
越後国五千石村(新潟県燕市)の寺に生まれた徹は、尊攘思想に駆られて村を出奔。「鈴木」姓を生地にちなんだ「千石」に変えて上洛し、63(文久3)年8月の政変で長州藩に落ちのびた七卿のひとり澤宜嘉の一党に加わり東奔西走している。
この父親に、興太郎は早くから漢籍を学んだ。ミツは、先祖が江戸初期に三河国(愛知県)から出た、四谷で小間物屋を営む商家の長女であった。「江戸っ子」で口やかましいミツに、興太郎は厳格に育てられた。
徹は西南戦争に軍属として従軍し、後に陸軍省関係の官吏になるが、頑固一徹な性格がたたって東京・千葉・広島・札幌などを転々とし、北海道集治監釧路分監長(第5代典獄)を最後に退官している。釧路分監長の在任期間は、95(明治28)年4月から3年余に及んだ。分監長時代の徹は、集治監が所有する広大な農地を活用し、囚人に農事改良試験などを行わせている。
興太郎が開校間もない東京の旧制獨協中学(獨逸学協会学校)を一学期で退学し、札幌農学校予科に入学したのは、徹が陸軍省屯田事務係(後の屯田兵司令部)に転任したためである。かくて興太郎は、95(明治28)年6月に札幌農学校農学科を卒業。専攻は植物病理学であった。
農学校の教授には、佐藤昌介(農業経済学)、新渡戸稲造(農政学)、南鷹次郎(農学)、宮部金吾(植物学)、吉井豊造(農芸化学)など、そうそうたる人物がそろっていた。千石は薫陶宜しきを得て学業に専念し、首席・次席を争う成績を修めた。
開拓地・道都の粗削りで開放的な人びとの暮らしや北緯43度圏の峻烈な自然は、多感な興太郎に骨太の気概を与えたに違いない。
千石は助手として母校に残り、最晩年(1946〈昭和21〉年)に文化勲章を受章する宮部金吾の下で植物病理に挑む。菌の新種を発見する幸運にも恵まれた。しかし、わずか7カ月で教室を飛び出し、96(明治29)年新春にひとり東京に舞い戻って、農商務省西ヶ原農事試験場の技師試補に転身する。そこでも腰が定まらず、爾来、各地を転々とした。
その足どりを詳しく辿る余地はない。転籍先だけ追いかけると、先ずは熊本(農事試験場支場の技師)、青森(県立第二尋常中学校〈八戸〉の教諭心得)、岩手(農事巡回教師)、愛媛(農会技師)そして宮崎(高鍋農業学校教諭)といった具合である。
千石の考えは、世間からみれば一歩進んでいる。気性は夏目漱石の『坊つちやん』に似て一本気であるから、波風が立たないわけがなかった。
体力はしかし、必ずしも頑健ではなかった。熊本時代に喀血し、療養のため釧路の父親の下に帰省したこともある。勝る気力に、体力が追いつかなかったか。5年滞在した愛媛では2歳上の妻ヨネ(米子)を娶り、長男龍一を愛媛で、長女二巳子を宮崎でもうけた。
島根を舞台に「多言実行」
そんな千石が、1906(明治39)年4月から島根県松江市に14年間暮らすことになる。宮崎での教職を10カ月余りで返上し、島根県農会技師兼幹事に転身。千石は数え33歳になっていた。
一徹で血の気の多い千石は、島根との相性が良かったに違いない。出雲を中心に大和より古い古代文化を擁する島根は、人びとの郷土愛が深い。出雲に見られる人情細やかで信心篤く粘り強い一面と、石見や隠岐に見られる開放的で気骨のある一面とがないまぜの人びとは、特に交誼(こうぎ)を重んじた。
千石は喧嘩っ早い「江戸っ子」の血を引き、思春期に北海道で裸一貫剥き出しの善意や拓魂の洗礼を受けた開け放しの熱血漢である。対照的なこの両者の出逢いが、「魚心あれば水心」の間柄を深めていったように思われる。千石は島根で水を得た魚のように活躍する。島根の人びともまた千石に胸襟を開いた。「島根農会に千石あり」と全国の目が注がれる事績がその間に生まれた。
千石が島根に赴任した年に、「産業組合の父」と言われる平田東助によって立ち上げられた大日本産業組合中央会の島根支会が設立された。農会技師として理事に参画した千石は、同年に島根県技師に任じられ、農会耕地整理部長を兼ねながら、産業組合に傾倒する。09(明治42)年には、大日本産業組合中央会(同年に産業組合中央会に法認)の島根支会理事長に就任した。
産業組合の揺籃(ようらん)期には、地主を中心に農事の改良・発達を図る農会が一足早く法的根拠を得ており、農会が進んで産業組合を育成する事例が全国に見られた。
「勤労第一主義」を唱え、「多言実行」を実践した千石は、町村農会技術員や部落農会をいち早く設置する一方、産業組合の普及に力を注ぐ。この頃の千石はイガグリ頭に鳥打帽(ハンティング・ハット)を被り、詰襟の洋服に蛮カラ風を吹かせて県内を隈なく歩き回った。
机に寄れば農家叢書の編さん、啓もう宣伝パンフの作成そして『島根縣農會報』への出稿。さらには婦人講習会・農事講演会などの開催と八面六臂(ろっぴ)の大奮闘で、産業組合や信用組合連合会の設立、共販・共同購入事業の開発などに尽力する。
千石は「農村文明の建設」に向け、農業者に「獨立自主・自尊の思想」を求める旺盛な言論活動を繰り広げる。かくて「島根縣の農業政策は殆んど千石案である」と言われるまでになった。(中編に続く)
(文芸アナリスト・大金義昭)
【千石興太郎の「人と思想」】産組運動に命を吹き込んだ男<前編>
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