【クローズアップ】コロナ禍1年の備忘録(3)JCA客員研究員 伊藤澄一2021年2月26日
本稿は、まるで戦争中のような息苦しいときを過ごしてきたが、まだまだ続く今後のコロナ禍の糧にしたいと思いこの1年の思惟を記述したもので、今回はその第3回と第4回を掲載する。
3 エビデンスと蓋然性
(1)結核予防の仮説
結核予防のためのBCG接種が新型コロナウイルスの感染防止にも役立つ免疫効果(訓練免疫)をもつとの専門家の指摘が以前から続いている(注14)。ここではそれ以降の注目すべき研究について着目したい。
BCG株は、日本株、ロシア株そしてデンマーク株などが世界に普及している。また、BCG未接種国も欧米には多い。日本株は生菌数が圧倒的に多く、次いでロシア株となっており、デンマーク株は少ない。約100年前にフランスのパスツール研究所を起源に派生したそれぞれのBCG株が新型コロナウイルスあるいはウイルス一般に対する効用があるのではないか、という仮説である。もちろん、各BCG株の新型コロナウイルスの感染抑止のエビデンスは示しにくい。しかし、世界のBCG接種国とそのタイプによる違い、さらに未接種国との比較で新型コロナの感染者数と死者数を見てみる研究には興味を覚える。これまでも、例えば日本と欧米(BCG未接種国やデンマーク株接種国が多い)、イラクとイラン、ポルトガルとスペイン、旧東ドイツと旧西ドイツなどの比較が論じられた。
エビデンスがないからファクターXという仮説なのであり、それに依存したり安心したりして感染防止を怠ることは厳に避けなければならない。一方で、今後の短いタームで再来すると言われるコロナウイルスなどへの基礎的な知見としても、科学の力で究明していく必要がある。
科学とは狭義には自然科学のことをいい、広義には自然科学と社会科学がある。自然科学では研究によって得られた結果をエビデンス(人の治験によるデータ的な証拠)で示す。社会科学では蓋然性(実態調査やデータから推測できる確率)の高さで示すことがある。どちらもそのように結論づけることによってその確かさに誤差が少なく、次のステップとなる。
(2)蓋然性の高さを論証
山口成仁(医師・科学者)の研究はエビデンスを示したというより、自然科学の知識をベースに、社会科学のようなアプローチによってその「蓋然性の高さ」を示したものである。
世界60か国とそこに住む28億人余をBCG接種の有無やその種類によって大きく3群(山口の研究では4群に分けているが、本稿では3群にした)に分けて、新型コロナウイルスによる死者数(対人口100万人の死者数)を比較するというシンプルな方法である。その研究結果が『臨床と微生物』(Vol.47 №6 2020年11月)に掲載された(注15)。
山口はこの研究によって、BCG接種の新型コロナウイルスへの免疫効果の「蓋然性の高さ」の論証を試みたものである。論文のタイトル(注15)にあるとおり、新型コロナウイルスの死亡者数が少ない日本株およびロシア株BCG接種の有用性を検証することにあるが、とくに日本株BCGの有用性がより高いことを示唆している。その検証の前提は、以下3群に分けて、それぞれ対100万人の死者数を求めた。死者数の把握は2020年8月27日である。
A群【日本株BCG接種国でアジア・中近東・アフリカ大陸の国々(26か国12.7億人・死者数2.85万人)】、
B群【ロシア株接種国でロシア・旧ソ連その他の国々(15か国3.93億人・死者数3.54万人)】
C群【日本株・ロシア株未接種国で欧米・南米の国々(19か国11.9億人・死者数61万人)】
その結果、A群は22.5人、B群は90人、C群は512人となった。日本単独なら9.7人となる。なお、参考までに筆者が調べた12月22日の死者数でみると、A群は43人、B群は277人、C群は899人となり、日本単独なら20.4人となった。
これにより、山口は結論として、「総人口28億人を超えるビッグデータによる検証では、BCG日本株またはロシア株を用いている国では、COVID-19による対人口100万人の死者数がどちらのBCG株も接種していない欧米等と比較して減少していた」、8月27日の死者数では「BCG日本株接種国は、対人口100万人の死者数がどちらのBCG株も接種していない欧米等と比較して約20分の1であった。同様に日本単独では約50分の1であったとする。因みに、12月22日の死亡数でみても、それぞれ、20分の1および44分の1(日本も第3波で死者数が増加している)となった。
このようなことの理由として、山口は「第1世代BCGのRD2領域にコードされている抗原蛋白による免疫反応の強化および生菌数の量が関与している可能性がある」としている。
(3)ウイルス変異への対応
次々と変異するコロナウイルスは、あまりに短期間にパンデミックとなったことから、その対応が局地的に分化していって、根は同じなのに異なる性質のコロナ災禍を引き起こす事態になるのではないか。するとまた、膨大なコストをかけて短期間に新ワクチンを開発して対抗する必要が生じるのではないか。終息はおろか収束にも時間がかかるかもしれない。
日本株BCG接種は、戦後の1949年から制度的に1919年以降に生まれた国民のBCG接種を普及させて今日に至っていることから、現在、存命の日本人はほぼ全員が受けているとされる。日本株BCG接種国のA群は、日本から伝播した国々であり、国民各層への普及の程度にも差異があるだろう。また、山口成仁はA群のうち、アフリカ大陸の16か国の4.8億人についても区分して分析しており、対人口100万人の死者数が非常に少ないことを指摘している。これらの国々で、この度のコロナ災禍が収束して詳細なデータが整備されれば、さらに日本株BCGのコロナウイルスに対する免疫力の程度が見えてくるかもしれない。
例えば、生菌数の多い日本株BCGのような結核予防のワクチンが、人が生まれながらにして持つ自然免疫を訓練してウイルス全体への抵抗力をもつとしたら、あるいはこのような発想で、包括的にウイルスに対する免疫力となるような「ビッグワクチン」の開発をイメージするとき、日本株・ロシア株・デンマーク株などパスツール研究所を起源として派生した各種のBCG株はいろんな可能性をもつのだろうと思う。やはり興味の尽きないテーマである。今後も日本株BCGに注目していきたいと思う。
4 コロナ新ワクチンの開発
(1)科学技術の革新
昨年11月のアメリカ大統領選挙後に新型コロナワクチンに関する複数(ファイザー、モデルナなど)の情報が公表された。数万人規模の第3相臨床試験の中間解析で90%超の高い有効性を示したという。従来のワクチンは生のウイルスを培養して弱毒化させて接種することで抗体を確保するが、ワクチンにたどり着くまでに技術面ばかりでなく、経費と時間がかかる。3年、5年、ときに10年もかかるという。
しかし、mRNAと呼ばれるコロナウイルスの新ワクチンは感染症を引き起こすウイルス表面のスパイクタンパク質の遺伝情報を含んでいて、これを接種すると、人の細胞の表面にスパイクタンパク質が形成される。これを異物として認識した免疫系が抗体をつくることで本物のコロナウイルスの侵入を防ぐ仕組みだという。新ワクチンの安全性と有効性は極めて高いとされ、培養不要なので短期間で大量生産でき安価だと専門家の評価は高い。ごく一部の人に重いアレルギーが生じているが、その他の副反応は一過性のものとされる。課題は冷凍保存が必要であり、ファイザーは-80℃、モデルナは-20℃での保存が必要なことである。本番を兼ねた第4相臨床試験での大数治験でどのような副反応が起こるか、さらにはできた抗体の有効期間がどこまで続くかということだろう。次第に情報が蓄積され、技術革新が進むだろう。
いずれにしろ、新ワクチンの開発は、世界の科学者たちの研究の持続力と連携に負うところが大きい。小康となっているSARS、MERSの2つのコロナウイルスの細々とした研究の継続から得られた知見、スパイクタンパク質の性質の研究の応用、遺伝子研究の革新的な進歩、環境問題派生の新たなコロナウイルス出現への危惧感などが、いわば科学総動員による1年足らずの間の新ワクチン開発の成果に結びついていると思う。さらに、世界共通のパンデミックの脅威に対して巨額の開発予算がついたことも見逃すことができない。
今後の成り行きと新ワクチン接種の進捗を注視していくことになる。
(2)歴史の皮肉
コロナ新ワクチンの開発があと1ヵ月早かったら、と想像する人は多いかもしれない。新ワクチンの情報は、アメリカ大統領選挙後に第3相臨床試験の中間解析とはいえ評価できるエビデンスとともに世界に流れた。もし、選挙に間に合っていれば、現職大統領の功績になったはずであり、選挙優位の大きな材料になっただろう。世界の25%以上にあたる2600万人を超える感染者を出し、44万人に迫る死者を出した国のトップであるトランプ前大統領は、コロナ対応の無策で敗れたとの指摘があるのだからなおさらである。歴史の皮肉なのか、意図された皮肉なのか、大きな岐路であったことは間違いない。
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