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【追悼 江草 猛】国民に開かれた広報活動を展開 NPO野菜と文化のフォーラム監事今野聰2021年5月31日

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協同放映の創業者である江草猛氏が逝去され、氏をよく知る今野総氏から追悼文が寄せられました。

カメラ

(1)協同放映の創業者の江草猛社長が去る4月28日、亡くなった。農協協会からの通報で知った。1924年生まれだから、間もなく百歳に届く長寿だった。彼は生前、『老兵は老いず』(私家版、2004年11月)を出版した。本書末尾の略歴を写す。

1924年、札幌市に生まれ。1944年、関東軍入隊。1945年、シベリア抑留、1948年、帰国。

1952年、協同組合通信社。1963年、農林放送事業団。1969年、協同放映株式会社。農協界に鮮やかに広報宣伝の足跡を残したか。

(2)思い出の最大は、1989年1月に全農は「草の根広報」という新たな広報戦略を策定し、テレビ放映料を半減したことだった。江草社長がフジテレビ網で、新規需要「純米酒」キャンペーンを企画。この宣伝は全盛時代だった。「北の国から」が圧倒的支持された時代だった。「草の根広報」企画は、広報媒体「エプロン」誌と連動して、広く国民に開かれた広報活動の展開だった。予算カットは、江草社長を苦しめる結果になった。

本書に、織井斉・全農常務の追悼文がある。「心に生き続ける豪気のひと 追悼、織井斉さん」。織井常務は1994年に急逝、慟哭した真情があふれている。

(3)農協協会のアーカイブ「農協愛友会が創立50周年の座談会を開く 農協愛友会50年の歩みと期待」(2007年10月31日)にも触れよう。

農協愛友会創立50周年記念の座談会、出席者は、赤羽昭二(中金)、小沢渉(共栄火災)、川口克郎(家の光)、行徳克己(共栄火災)、島田新太朗(リズム時計)、鈴木秀治(共栄火災)、中川弊行(全農)、鈴木常正(中金)、山口巌(全中)。実になつかしい。

(4)実は農協ジャーナリズムの不可思議は、外部にはよく見えない。私は1988年~1991年、昭和から平成改元を挟んで、新設の全農広報室勤務だった。テレビ宣伝の予算カットは、冒頭でふれた。ここでは、農協協会創立者「田中豊稔さんを偲ぶ」(私家版ン)から江草猛「農協記者クラブの大先輩」を引こう。

「昭和30年代に私が属していた農協記者クラブには、田中さん、中村吉次郎さん(全農総連)、依田静衛さん(協同組合通信)らの新聞記者の大先輩が出入りしていました。田中さんは、自社の記者と打ち合わせを済ますと、サッと帰られるのが常でした。」

(5)思い出すことを最後に。1990年代初期、全農現役営業担当の頃、正月の挨拶周りに定番コースを作った。それ以前の広報担当時代を含めて、変わらない習性だった。協同放映が地下鉄丸の内線で、通勤の降り口・淡路町に近いことから、最初に必ず寄った。新春早々、人事異動などの情報も入るからだ。ただし江草社長に会うことはまずなかった。何とも、忘れがたい風景である。

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