【特集:希望は農協運動にある】社会を支える"農の営み"-宇沢弘文「社会的共通資本としての農業」とは 佐々木実(ジャーナリスト)2020年10月28日
「グローバル化」を唱えてきた「新自由主義」は、このコロナ禍のなかで脆(もろ)くも破綻したといえるのではないだろうか。そしてこれからの社会はSDGs(持続可能な開発目標)を実現し、持続可能な社会をどう築いていくのかが大きなテーマとなっている。そのときに協同組合が大きな力を発揮することが期待されているが、そのことを世界的な経済学者である故・宇沢弘文氏は早くから「社会的共通資本」として提唱してきている。いま改めて氏の「社会的共通資本としての農業」とはどのような考えなのかを、「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界」を著した佐々木実氏に解説してもらった。

注目される「危機の経済学」
政府が新型コロナウィルスの感染拡大にともなう緊急事態宣言を出した直後、日本経済新聞(4月9日付朝刊)が経済学者ジャック・アタリのインタビュー記事を掲載した。フランスのミッテラン大統領のブレインとして活躍し、欧州復興開発銀行の総裁なども務めたアタリが、「新型コロナは世界経済をどう変えますか」との問いに答えている。
「危機が示したのは、命を守る分野の経済価値の高さだ。健康、食品、衛生、デジタル、物流、クリーンエネルギー、教育、文化、研究などが該当する。これらを合計すると、各国の国内総生産(GDP)の5、6割を占めるが、危機を機に割合を高めるべきだ」
欧州を代表する知識人の見解に賛同しつつも、コロナ災禍が起きるよりずっと以前から、アタリより深い思考で危機に対応できる社会制度の設計を唱えつづけていた日本人経済学者を思い起こさずにいられなかった。「社会的共通資本の経済学」を提唱した宇沢弘文(1928-2014年)である。
評伝『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』(講談社)を執筆する過程で感じたのは、宇沢経済学の要諦が「危機の経済学」であるということだった。「資本主義的な市場経済制度は内在的に危機を抱えている」。それが資本主義に対する宇沢の認識だった。「社会的共通資本」という概念を創出し、「社会的共通資本」が果たす役割の重要性を説くようになったのはそのためである。コロナ危機によって、没後6年にしてふたたび宇沢に注目が集まりつつあるのは偶然ではない。
市場だけでは成り立たない「市場経済」

宇沢弘文著 岩波新書
宇沢は晩年、72歳のときに啓蒙書『社会的共通資本』(岩波新書)を著した。そのなかで「社会的共通資本」を次のように定義している。
〈社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する〉
宇沢は社会的共通資本の重要な構成要素として(1)自然環境(大気、森林、河川、土壌など)(2)社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど)(3)制度資本(教育、医療、司法、金融など)-を挙げている。
市場経済(資本主義社会)は「市場」の領域と「非市場」の領域で成り立っている。ところが、主流派経済学(新古典派経済学)はもっぱら「市場」領域のみを分析の対象とし、市場システムの正当性ばかりを強調しがちだ。主流派経済学が新自由主義、市場原理主義の色彩を強めたのも、分析対象が市場の領域に偏りすぎていたことと無関係ではない。
宇沢によれば、市場経済制度がうまく機能するかどうかは、どのような社会的共通資本のネットワークのうえで市場が営まれているのかに左右される。市場経済は「市場」だけで成り立っているのではなく、「非市場」という土台を必要とする。そして、「非市場」領域の実態こそ、「社会的共通資本のネットワーク」なのである。
啓蒙書『社会的共通資本』では医療や教育など個別具体的に社会的共通資本が論じられているが、筆頭に挙げられているのが「農業と農村」である。「社会的共通資本としての農業」を宇沢はきわめて重視していたのである。
農業は、社会的共通資本の構成要素である自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度のいずれとも深い関係をもつ。「農業」を畜産業や林業、水産業などもふくめた広い意味で用いていると断わったうえで、宇沢は、「農業」というよりも「農の営み」という概念で考えたほうがよいとのべている。
農業に関する宇沢の考えを知る手がかりとなる重要な論考がある。『二十世紀を超えて』(岩波書店・1993年)に収録されている「三里塚農社の構想 日本における農の営みの再生を求めて」。この文章を書いた経緯を宇沢が説明している。
〈この構想は、日本農業の再生の道を探るという、本質的な課題と、成田空港問題の平和的解決を求めるという世俗的な要請との総合から生み出されたものである〉
1990年代を通じて宇沢は、成田空港問題の最終的解決に向けた調停に関わっていた。「三里塚闘争」と呼ばれた空港建設反対運動で政府と激しく対立した三里塚農民と交流を深めた宇沢は、調停で抗争が沈静化したあと、三里塚農民を主体とした「三里塚農社」を立ち上げようとした。その青写真が「三里塚農社の構想」だったのである。
農業の経営単位は村落共同体
『三里塚農社の構想』で印象的なのは、宇沢が1961年に制定された農業基本法を厳しく批判していることだ。宇沢によれば、農業基本法の最大の誤りは、「一戸一戸の農家を一つの経営単位と考えて、工業部門における一事業所ないしは企業と同じような位置づけを与えている」ことにあった。宇沢はこういっている。
〈農業部門における生産活動にかんして、独立した生産、経営単位としてとられるべきものは、一戸一戸の農家ではなく、一つ一つの村落共同体でなければならない〉
注意が必要なのは、「村落共同体」を宇沢が通常の意味では用いていないということである。ポイントは、「三里塚農社」の「社(やしろ)」という表現だ。宇沢が丁寧に解説している。
〈「社」という言葉はおそらく、コモンズの訳語として最適なものであるように思われる。というよりは、コモンズよりもっと適切に、私がここで主張したいことを表現する言葉であるといった方がよいかもしれない。社という言葉はもともと土をたがやすという意味をもっていた。それが耕作の神、さらには土地の神を意味し、さらに、それをまつった建築物を指すようになった。社は、村の中心となり、村人たちは、社に集まって相談し、重要なことを決めるようになっていった。そして、社が人々の集まり、組織集団を指すようになったといわれている。元代の終わり頃には、社は、行政単位のもっとも小さなものであって、五十戸をもって構成されていた。社は、農の営みを中心としてつくられた組織であったが、社学が置かれ、社師が教育にあたったという。社はまさに、コモンズそのものであったのである〉
この文章からはっきりわかるのは、宇沢が「三里塚農社」を"農業コモンズ"として構想していた事実である。哲学者の柄谷行人が「三里塚農社の構想」について鋭い指摘をしている。『現代思想』の宇沢特集号(2015年3月臨時増刊号)への寄稿「宇沢弘文と柳田国男」で次のように語っている。
〈柳田の農政学は今日ではほとんど忘却されている。通常、柳田農政学を継承する者として、その門下にいた東畑精一が参照されるが、私は賛成できない。むしろ、柳田の農政学を回復しているのは、柳田とは無縁で、おそらく柳田の農政学について知らなかったであろう宇沢弘文なのである〉(筆者注:民俗学の創始者と知られる柳田国男は東大卒業後に農商務省に入省し、農政官僚をしていた時期がある。当時の農政を批判し、独自の農政論を唱えていた〉
宇沢は戦後農政の権威だった東畑精一とは親しい間柄にあり、彼を通じて柳田農政学を吸収していたはずだからこの点については柄谷の指摘は当たらないが、三里塚農社構想が柳田農政学を継承する内容をもつことを見抜いたのは慧眼である。柳田の農政学について、柄谷は次のように解説している。
〈彼(筆者注:柳田国男)の農政論は、「協同組合論」を中心とするものであった。当時の農業政策は「農業国本説」を唱え農業を保護するものであったが、それは富国強兵のために農民が必要であったからにすぎない。それに対して、柳田の農政論は、国家に依存しない「協同自助」による農村の自立を説くものであった〉(『「小さきもの」の思想』文春学藝ライブラリー)
たしかに宇沢の「三里塚農社」という農業コモンズの構想は、柄谷が柳田農政学の解説で言及している「協同組合」「協同自助」の実践を目指した試みと解釈することができる。重要なことは、「社会的共通資本としての農業」を担う農業コモンズが「国家に依存しない」だけでなく、グローバル化した市場経済のなかでも経済主体として自立できる組織体でなければならないということだ。裏返せば、一戸一戸の農家ではグローバル化にとても対応できないということである。
宇沢が提唱した「三里塚農社の構想」は結局、実現することはなかった(詳しい経緯については『資本主義と闘った男』を参照いただきたい)。しかしながら、「三里塚農社の構想」には新たな「農の営み」のヒントが詰まっている。それはおそらく、農協運動に共鳴するものである。
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