戦後保守政治の系譜 御厨貴東京大学名誉教授 全中オンラインJA経営者セミナー2023年10月17日
JA全中は10月12日、今年度4回目のオンラインによるJA経営者トップセミナーを開き、御厨貴・東京大学名誉教授が講演した。戦後保守政治をけん引したリーダーたちに1年にわたりインタビューした記録から、保守政治の意味と果たすべき役割について語った。
御厨貴 東京大学名誉教授
戦後保守とは何か
戦後の混乱期に生まれた保守系の政党「日本自由党」、「日本進歩党」、「日本協同党」は、1955年11月に統合され「自由民主党」が結成された。その対立軸が「日本社会党」だった。同党は、自由民主党の結成に先立ち、「右派社会党」と「左派社会党」が再統一することで結成された。
これにより、保守政党の「自由民主党」と、革新政党の「日本社会党」を主軸とする二大政党が誕生することとなった。この社会党の統一と保守合同は「55年体制」とも呼ばれ、その後約40年におよぶ日本の政党政治の体制が形づくられた。
あえて名乗らなかった「保守」
こうして成立した二大政党のうち、「革新」派は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が主導した農地改革や女性への参政権付与、労働組合結成といった民主主義的な政策や価値観を受け入れ、推進していく方針を示すことができた。文字どおり、戦後日本の革新を図った。
これに対し、「保守」派は、自らの考え方を前面に出さなかった。保守を冠する政党もごくわずかだ。これは、多くの国民に「保守的な思想は価値観を戦前に引き戻すものだ」という警戒感を抱かせないためだとみている。
しかし1960年、自由民主党の池田勇人内閣が提唱した所得倍増計画は、この国の新たな成長モデルとなった。「保守」派である自由民主党は、既成の価値観に挑戦していく政策を多く打ち出した。一方、「革新」派とされる社会党は急な変革を嫌い、自由民主党から出される政策に対し、反対することが常態化した。こうした逆説的な構図は、自由民主党が自ら保守を定義することをますます遠のかせた。
加えて、1962年頃になると、自由民主党の中から「ニュー・ライト(新保守)」という考え方が現れた。戦前的思想は相容れないものの、右派に身を置きつつ、「現実主義で革新的な政策を打ち出す」という思想だ。これにより「保守」の解釈は一層あいまいになり、その解釈を融通無碍にしてきた。ちなみに欧州には「保守党」という党名はたくさん存在し、各党が「保守とは何か」を定義している。2大政党下において、下野するたびに「保守」を再定義し、古くなった価値観や考えを見直すプロセスがあり、これを経て再び与党に戻るサイクルが確立されている。
勝ちにこだわる弊害
自由民主党が「保守」に向き合う機会はあった。2009年の選挙に大敗し、政権の座を民主党に明け渡した時だ。当時の自由民主党党首の谷垣禎一は「下野した今こそ、保守とは何かを定義し、有権者に訴えよう」と呼びかけた。しかし党内は、政権奪取のために民主党政権の足元をすくうことに夢中だった。谷垣が主導した委員会の出席者はまばらで、保守が定義されることはなかった。
このように、保守の定義をあいまいにしてきた自由民主党がこだわったのは、与党であり続け、選挙に勝てる総理を次々と生み出すことだった。
後継者は、総理と思想や考え方が異なる者からも集められた。佐藤栄作が政権を取った時代には後継者として、「三・角・大・福・中」が挙がった。三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘のことだ。彼らがしのぎを削り、後継者争いをする中で政策が磨かれていくことを期待した。
その後、中曽根康弘は、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の3人を後継者候補とした。しかし政権を取る前に病没した安倍晋太郎を筆頭に、リクルート事件などのスキャンダルに巻き込まれ、混迷の平成時代を迎えた。
後継者不足が深刻になったのは小泉純一郎政権下で、「麻・垣・康・三」と称された、麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三の4人が候補に挙がった時だ。彼らが10年先まで政権をつないでいくことが期待されたが、実際に政権を担った安倍(第1次政権)・福田・麻生内閣はいずれも短命に終わり、麻生内閣の総辞職後、民主党にその座を明け渡すこととなった。
しかし、自由民主党はその後政権を奪取し、再び安倍晋三を首相に据えると歴代1位の長期政権を実現するほどの安定感を見せた。第2次以降の安倍内閣を振り返ると、安倍首相の解散権の発動により、1年ごとに衆参両院での選挙が行われている。選挙で勝つたびに「国民の信任を得た」と、これまでの政権スキャンダルがうやむやにされ、国会の形骸化を招いた。
こうした構図は一見安泰に見えても、「安倍の次は安倍」とささやかれ、後継者不足に拍車をかけた。「選挙に勝てばいい」というロジックがまかり通り、政策や思想について深く考えて選挙を行うことがなくなってきている。自らを定義してこなかった自由民主党は、目の前の問題をモグラ叩きのように対処するだけで、将来へのビジョンを欠いている。
これまで日本は、明治期は「富国強兵」、戦後は「経済成長」を掲げ、目指す道を示し、成長を促してきた。しかし今、多くの国民は、これまでどおりの成長モデルを描き、全員が幸せになる社会を生み出すことは容易ではないと認識し始めている。
岸田文雄政権は、目の前の課題解決だけではなく、将来像を提示すべきだ。「聞く耳をもつ」と就任当初発言した岸田首相には、多くの国民の声を聞き、説得できる力を求めたい。
【ディスカッションから】
日本農業新聞・緒方大造論説委員は、「戦後保守政治・政党を支えてきたのは有力な業界団体、支持基盤があったためだ」とした上で、小泉、安倍政権が、それらの団体が守る利益を「岩盤規制」と称し、グローバル主義に呼応する形で規制改革を進めたことを指摘。JAグループもその標的になったとした。
JAの農政運動は保守政権と二人三脚で歩んできたが、保守を定義せず、世襲議員が多くなった自由民主党は「都市政党」と呼ばれ、地方に一層目が届きにくくなったとし、「農業農村の現場で生きている有権者は、保守政治とどう向きあえばいいのか」と御厨氏に質問した。
これに対し御厨氏は、「農業団体は、なぜ自由民主党を推すのかを自問し、常に考える必要がある」と答えた。ガット・ウルグアイラウンドや米価の問題など、農作物の貿易自由化を巡る農政の論点は多くあったとし、「これらに対し農業団体からの主張がもっと打ち出されていれば、効果的な議論を巻き起こしたと思われる」と指摘した。
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