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【熊本地震から9年】相互扶助の実践が被災地の力に 三角修JA菊池前組合長2025年4月14日

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4月14日は熊本地震発災から9年となる。14日以降、現地では大きな地震が相次ぎ、車中やハウスに泊まることを余儀なくされた被災者や、収穫作業ができないなど農業にも大きな被害が出た。その一方、JAグループは支援に取り組んだ。JA菊池の三角修前組合長に当時を振り返り、熊本地震から学ぶべきことなどを寄稿してもらった。

動かぬ選別機 集まらぬ人

三角修JA菊池前組合長三角修JA菊池前組合長

平成28年(2016)4月14日午後9時26分。菊池温泉のホテルでJA菊池青壮年部の総会、懇親会が行われていた時だった。天井が急に大きく東側に引っ張られ、畳に座って飲食していたがテーブルを必死につかんだのを覚えている。

それから28時間後の16日真夜中1時25分、下からの強い突き上げに目を覚まし、柱にしがみついた。自宅が損壊するのではと、車の中に居場所を求めた。あれから9年経つというのにまだ鮮明に思い起こされる。

JA菊池へ行ってみると駐車場のアスファルトは隆起。建物はヒビ割れ。職員の机の上の物品は全て床に落下。書庫は倒伏、書類は散乱。全職員が集まれる大ホールは天井がくずれ落ちて集会中だったら命を落とした人もいたのではないかと思われるような惨状であった。しかし殆どの職員は自宅が全壊、半壊の中にも出勤してくれて感謝した。本震が土曜日だったため月曜日には仕事ができる環境にしたいと思い事務所の片付けを始めた矢先、震度6弱の余震があり、危険と判断して自宅に帰した。

道路寸断により孤立している地区からは一日おにぎり1個とペットボトル1本で過ごさなければならないと集落営農の役員からJAに連絡があり、すぐに食料を支所を通じて届けた。

女性部から炊き出しを早くやろうと声が上がったので行政に問い合わせてみると、「もう少し待ってほしい」「地域の要望をまとめている」との返事しかなかった。2~3日待ったが返事はなし。緊急事態であるので資材、スタッフ等揃えばJAの支所等でやれば良いと結論に至り、3000食の炊き出しとなった。

4月中、下旬はスイカ、メロンを始め水田ゴボウ、カスミソウと一年で一番出荷の多い時期である。選別する機械が動かない。集荷場のパートさん達が来てくれない。農家では普段のようにパック詰めができない。イチゴは収穫したものの廃棄せざるを得ないものも多かった。

水は地域に熊本名水百選が何か所かあり、普段通り質、量ともに恵をくれた水源地がありとっても有難かった。ファーマーズマーケット「きくちのまんま菊陽店」でも水道の水は枯れることなく潤沢に汲み上げることができ、地元はじめ熊本市の方も多く来ていただき喜んでくれた。又、液体肥料が入ってるバロンボックス20リットルのポリ袋を肥料会社より譲っていただき、水を20リットル単位で家庭用、介護施設用と配布することができたのは今後多くのことに生かせると考え、JA菊池は200枚備蓄することにした。

酪農は停電によりミルカーが使えず、牛体の安全が一番と考え、手搾りしたものの牛乳工場へは道路状況により運ぶことができず、たい肥の中に廃棄した生産者も多かった。

生産者支援 職員奔走

肥育や繁殖農家では牛舎の屋根が落ちて圧死した牛も多数いた。牛舎まで重機が入らず職員は柱をのこぎりで短く切って少しづつジャッキで落ちた屋根を持ち上げ、わずかな隙間から牛を引き出し数頭は命をとりとめることができた。頑張ってくれた職員に感謝したい。

菊池台地の田、お茶。鹿本、玉名地区のスイカ、メロンまで広く農産物の生産に寄与している竜門ダムからの送水管も地震により接合部に亀裂が入ったりして水が使えず、タンクを川まで持って行って水を汲んで灌水した農家もあった。

朝一番にJA球磨より「何か必要な物はないか」との電話があり、明日から大雨になるとの予報だったのでブルーシートを要請した。支所から207枚をかき集めてくれて通行不能で危険な道路を100㎞5時間かけて当日夕方に届けてくれた。とんぼ帰りするという。ほんとにありがたかった。

JAグループ 全国支援

18日朝にはJAグループ島根から10t車のチャーター便が米、水、即席麺、乳幼児・高齢者のおむつ、肌着、生活必需品を満載して届けてくれた。全国のJAグループからも4月30日から6月11日までスイカ、ゴボウ、甘藷の集荷場にのべ300名以上の方に援農でお世話になった。国会議員をはじめ全中、全農の常勤役員農水省部長の方々にも現地を視察していただいた。特に森山農林水産大臣には5回被災地訪問し、つぶさに見ていただいた。筆者もそのうち4回ほどお話しをさせていただき4度の要望書をお渡しした。田、畑への送水管の損傷復旧により田植えがほぼ例年通りに行われてたこと、CEの復旧、畜舎の建て替えなど多くの事業をしてもらった。心が折れる前に全国の要職の方々が顔を見せていただき再興できたことはとてもありがたく思っていいる。

地震から5日目(21日)職員にどこで生活していますか? と調査した結果。634名の全職員の中、避難所泊39名、車中泊140名、外泊(親戚等)37名。合計216名。34%の方が通常ではない生活を強いられていた。そのような中18日に被害、要望調査かねて組合員全戸訪問を実施。組合員、共済契約者から「早く訪ねてきてくれてありがとう」「来てくれて良かった」と多くの喜びの言葉をいただいた。

BCP策定と点検を

熊本地震には多くの学びもあった。それは農業協同組合の理念である相互扶助の精神。全国ネットのJAグループという大きな組織。多くの方々に助けられて今があることを忘れない。災害はいつやってくるかわからないからこそリスク管理が大切だと思う。よって"BCP"を作成することにした。全中に問い合わせてもヒナ型はなく、職員は1年数か月の時間をかけ、平成29年9月に完成させてくれた。目次だけの紹介となるがⅠ共通編(災害を想定した準備)Ⅱ地震編(災害が発生した場合の対応)Ⅲ風水害編(災害が発生した場合の対応)Ⅳ感染症(新型インフルエンザ等)編Ⅴ新型ウイルス感染症編(令和2年9月制定)で構成され、60ページに及ぶものになった。毎年4月には図上訓練を行い、BCPの点検(文言改正等)を毎年9月に行っている。

平田東助の言葉に"相互扶助、共存同栄に基づく産業組合は地方自治の予備軍である"とある。JAグループが果たすべき使命と責任はこの言葉にまとめられていると考えている。

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