JAの活動:しまね協同のつばさ
戦後農協理論の二つの潮流2013年11月21日
・独占資本の吸上ポンプ
・くびき今も「近藤理論」
・新たな展開協同組合論
・商業的農業農協を再生
・2つの流れ実践が決着
戦前の産業組合論は、千石興太郎や東畑精一などが唱えたものが主流で、資本主義でも社会主義でもない第三の道を目指す、というものだった。産組運動が盛んなころである。
しかし、その後、産組や農業会が国の統制団体になったことで、この理論は影響力を失った。
こうしたなかで、近藤康男は、協同組合は商業利潤を節約することで産業資本に奉仕することを本質とする、として東畑理論を批判していた。
戦後しばらくの間は、近藤理論の一人勝ちだった。
しかし、この近藤理論も、やがて美土路達雄、伊東勇夫、川村 琢などによって批判されるようになった。彼らの批判の要点は、協同組合は資本の横暴にたいする経済的弱者の抵抗組織だ、という点にある。
農協は、資本に対して抵抗の姿勢をとるか、それとも奉仕の姿勢か。この問題は、いまでも運動のなかで生き続けている。抵抗して玉砕するわけにはいかないし、奉仕では運動にならない。すっきりした答えのない問い、かもしれない。
◆独占資本の吸上ポンプ
戦前の産業組合をめぐる学術的研究では、やはり千石理論の影響がつよく、東畑精一をはじめ資本主義でも社会主義でもない「第三の道」として産組に期待する見方が主流であった。このような産組論は、それが国家の統制経済の道具となり、やがて農業会というあからさまな統制団体に変身したことで、戦後はすっかり影響力を失った。
こうしたなかで近藤康男は戦前すでに『協同組合原論』において、協同組合は商業利潤を節約することで産業資本に奉仕することを本質とするという見方を打ち出し、統制機関化をもみすえた論陣を張っていた。したがって戦後は近藤の一人勝ちとなった観がある。
その近藤が、1954年『続・貧しさからの解放』を世に問い、再建整備によって産組や農協に対する幻想は決定的に打ち砕かれたとして、戦後農協をも徹底的に批判した。
近藤は、全購連が「肥料資本のために本来きわめて脆弱で不安定な国内市場を組織化し整備して、その生産物がスムーズに売れるようにし、利潤をあげるために奉仕」していることを詳細に明らかにし、農協は農家の零細資金を集めて流し込む独占資本の吸い上げポンプの役割を果たしていると言い切った。
これは新生農協の農民的性格を全面的に否定し、むしろその反農民的性格を強調するものであった。そしてまた再建整備の実際過程がそれを日々実証するかのようであった。
◆くびき今も「近藤理論」
こうして近藤教授は戦後農協理論の神様となった。農協に対する否定的あるいは消極的評価は、多かれ少なかれこの近藤理論に源流を持つといってよい。もっとも近藤も農協の再生をまったく展望していないわけではなく、農協の労働運動に現状打破を期待している。しかしそれは資本対賃労働の一般論とあまり変わらないものであった。
実はこの時期の近藤理論は、学会に根強くあった農地改革への消極的な評価と結びついていた。農地改革の不徹底性と在村地主階級の温存という見方と重なっていたために、戦後自作農の組織としての新生農協の可能性を見ることができなかった。目の前で進行していたのは、再建整備と公職追放解除によって在村地主を主体とする農村ボスが続々と農協に復帰するという「ふるい秩序の再建」だったのである。
今日では、このような農地改革評価は誤りとされているが、なぜか農協論においてはそのことが十分反省されなかった。近藤自身も農協に対する厳しい見方を最後まで変えなかった。「近藤理論のくびき」は今でも生きているのではないか。
◆新たな展開協同組合論
しかし、こうした見方に組しない人たちがいた。戦後早い時期に『農協の理論と現実』を発表した協同組合短大の美土路達雄は、「近藤理論からは行動の指針をみちびきえない」として新しい時代における農協理論の再構築をよびかけた。美土路は、こうした主張の背後には「独占資本の吸い上げポンプのために働くのでは元気がでない」と訴える学生や農協職員の強い訴えがあったと述べている。
農地改革がその効果を発揮して農業生産力の戦後段階が築かれ、農業基本法が検討されるようになった11960年には九州大学の伊東勇夫が『現代日本協同組合論』を著し、世界史的視野から協同組合を次のように位置づけた。「協同組合運動は社会的経済的弱者としての組合員の自己防衛運動である。その自己防衛運動は、独占資本段階においては、単なる商業利潤排除からもっとつき進んで、独占資本の生産、流通の収奪からの抵抗運動となる。」こうして農協運動もまた抵抗運動の一翼を担うものとされたのである。
この伊東の著書には、著者の要請によって近藤教授が序文を寄せ、「伊東君はもっと勉強しなさい」と書いた。学問に厳しかった近藤教授らしい叱咤激励であったが、この序文と本論との好対照は当時の学生(私たち)の間で大変な評判となり、この本の売れ行きに貢献していたように思う。戦後農協論の二つの潮流がここでぶつかり合ったのである。
◆商業的農業農協を再生
同じころ北海道大学の川村琢は『農産物の商品化構造』において、別の角度から農業の近代化と生産力の発展における農協の進歩的役割を明らかにした。この本は北海道の十勝地方における商業的農業の発展を分析した実証的研究であり、自作農による農作物の主産地化が進むほど商人資本が排除されて農協の役割が高まることを見出している。
川村の研究の背景となっていたのは、再建整備と整備促進の時期が過ぎ、力を回復した自作農と農協が全国的規模で取り組んだ自主共販運動であった。とくに商品化率の高かった北海道の畑作地帯では、農協だけでなく行政や農業委員会、地方自治体や農民組織などが一丸となって共販体制を推進するという一大運動となり、商人側もかつての反産運動を思わせる組織的抵抗をみせた。その結果、それまでほぼ商人資本に把握されていた豆類の80%を農協が集荷し、その92%がホクレンに集まるという成果をあげたのである。
川村と美土路は後に農業市場学会を開設して市場・流通サイドからの農業問題研究に道を開き、伊東は京都大学の藤谷築次らとともに日本協同組合学会をスタートさせた。これらの動向は社会における農協の積極的、進歩的役割を見出そうという流れの上にある。
◆2つの流れ実践が決着
戦後の農協理論の流れをやや詳しく述べたのは、ほかでもない理論と実践の関係を歴史的に見るときわめて分かりやすいからである。農協が元気がないときは農協に対する否定的、消極的な理論が現れ、農協が元気になると肯定的、積極的な理論が現れる。
どちらに決着がついたということではない。現代においてもこの二つの流れは間違いなく存在している。決着をつけるのは理論家ではなく実践家であろう。実践と理論がかみあいながら健全な農協運動と建設的な農協論が発展していくことを切に願う。
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