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都市農協問題と地域協同組合論2014年4月1日

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【太田原高昭 / 北海道大学名誉教授】

・都市の膨張と都市農協問題
・生活基本構想、勇み足の提唱
・地域組合論で批判と論争も
・なしくずしの地域組合化へ

 高度経済成長は都市の膨張を招いた。それは都市農業の縮小をもたらし、都市農協の存立基盤を脅かした。
 都市部の地価の異常な上昇は、農家が土地を手放さないからだといわれ、農地課税を強化せよという主張がなされた。都市農業を否定する風潮さえあった。
 また、都市部の農協は、農業で生きる正組合員を急激に減少させて准組合員を増大させた。事業面をみると、営農面よりは生活面に力を注ぐようになるし、土地売却資金を吸収した金融事業が肥大した。このような事態にどう対処するかという都市農協問題が発生した。
 こうした中で、農協を農業者だけでなく誰でもが参加できる地域協同組合にせよ、という主張がでてきた。
 だが、この主張は都市農業の進むべき方向を指し示すことを怠った安易な「逃げ」の主張と考える。だから、この主張に私は組しない。都市農業がなくなってもいい、とは考えないし、都市部の農業者を守る組織がなくなってもいい、とは考えないからである。


◆都市の膨張と都市農協問題

 高度経済成長は農産物への需要を拡大し、生産調整下にもかかわらず農業生産力を発展させ、日本農業の新しい可能性を開いた。しかし、同じ高度成長が一方では都市人口を拡大し、いたるところで都市の膨張を招いた。都市の膨張は、農地を食いつぶし都市近郊農業を縮小させる。そして都市近郊に立地する農協の存立基盤を脅かしたのである。
 残された農地にも、農業用水の不足や汚染、農薬散布や家畜飼育の制限など有形無形の営農条件悪化が押し寄せてきた。そして1968年の新都市計画法によって市街化区域の線引きが行われ、さらに3大都市圏の農地には宅地並み課税が課せられた(反対運動により緩和)。こうして都市圏における営農そのものが社会的に否定され、罪悪視される風潮さえ現れた。
 都市農業への逆風はまだまだ続く。田中角栄内閣の「列島改造論」の時代から1980年代のバブル景気にかけて、都市農業は異常な地価値上がりの元凶扱いされ、農地の転用と売却がほとんど社会的強制となっていった。都市近郊の農協は、農地基盤を失なうと共に農業で生きる組合員を急激に減少させて准組合員を増大させた。事業面では土地売却資金を吸収して金融事業が肥大し、営農面よりは生活面の事業が突出するようになる。このような畸形化した農協をどのように位置づけ、どう方向づけるかという都市農協問題が発生した。

◆生活基本構想、勇み足の提唱

 このような事態に系統農協はどう対処したか。1970年の第12回全国農協大会で決議された生活基本構想は、クミアイマーク愛用運動以来の生活活動方針の集大成であると共に、都市農協問題への回答という性格を持っていた。この構想は「農業者は生産者であると共に消費者である」という観点から、営農面活動と生活面活動は農協という車の両輪であると規定した。二年前の農業基本構想と並んで両輪の構想が出そろったことになる。
 生活基本構想は単なる生活購買事業の強化策ではなかった。それは健康を守り向上させる運動、老人の福祉向上と子供の健全育成を図る運動から始まって、共済事業や厚生事業との連携をはかりつつ「ゆりかごから墓場まで」の包括的な活動方針であった。しかし、生活基本構想の特徴は、それに加えて、このような生活面活動の広範な展開を通じて「新しい農村地域社会の建設」を目標とし、そこに農業者以外の地域住民をも正組合員として参加させるとしたことである。
 そして「農業者・非農業者を問わず自由に協同組合を組織でき、しかも総合経営もできる一般協同組合法制の検討を進める」と、制度的改変の必要にも言及している。これは農業者の協同組織としての農協という理念の変更を説くものであり、ふつうの組合員や関係者の意識からすれば明らかに「勇み足」であった。大会ではこの点はあまり議論にならなかったが、系統のその後の文書からは「地域社会建設」や「地域住民の加入」の文言は消えている。

◆地域組合論で批判と論争も

 生活基本構想の「勇み足」の部分を拡大して理論化したのが地域協同組合論である。農林中金総合研究所の荷見武敏と鈴木博(のち長崎県立大教授)は、このころから、農協を職能組合から解放し、誰でも参加できる地域協同組合に編成替えせよとの主張を展開した。主張の核心は農協法第一条の目的規定を書き直せ、というところにあった。
 周知のように、農協法第一条は「この法律は、農民(のち農業者)の協同組織の発達を促進し、以て農業生産力の増進と農民の社会的地位の向上を図り、合わせて国民経済の発展を期することを目的とする」となっている。地域協同組合論は、この条文の「農民」を「地域住民」に変え、「農業生産力の増進」を削除することを要求するところから出発した。つまり農協は農協であることをやめよというのである。
 これを厳しく批判したのが農林中金勤務の経験がある佐伯尚美東大教授であった。佐伯の批判は職能原理に替わる地域原理が果たして協同組合の結合原理となりうるか、という基本問題から始まる包括的なものであり、鈴木らも反論抗戦した。これが1970年代前半の地域協同組合論争であるが、論点のすれ違いが多く結論が出たとは言えない。90年代には鈴木と私との間にも論争らしきものがあり、私はそれ以来、一貫して地域協同組合論を批判してきた。

◆なしくずしの地域組合化へ

 私は、初期の地域協同組合論が主張した「一般協同組合法制」には、わが国の協同組合制度への重要な問題提起が含まれていたと思う。戦後の協同組合制度は、職能別に協同組合を分断し、農林漁協は農林省に、信用組合は大蔵省に、生協は厚生省にそれぞれ管轄させ、結果としてタテ割行政に組みこんだからである。協同組合法を一本化して独立の協同組合省がそれを管轄するやり方は、外国にも先例があり、制度改革の本格的な論点になりうるのではないか。
 しかし、その後の地域協同組合論からは、こうした論点は忘れられていった。それは現実の都市農協の現場で脱農業、農外事業依存がますます進み、バブル経済の沸騰の下でそれが都市農協を超えて広がった実情と関係している。農業協同組合として存立することへの自信喪失が、なしくずし的な地域組合化となり、地域協同組合論はそうした傾向への免罪符として支持されるようになる。それに応じて理論の方もなしくずしに俗流化していった。
 このような実態をかかえて准組合員が増える一方の都市農協は、間違いなく政府の農協改革の主要な攻撃目標になるだろう。これに対して地域協同組合論は、准組合員の権利を拡大することで逃れようとしているように見えるが、こうした非農協化の方向にはどのみち展望はない。都市農協問題の解決のためには、当面は都市農協と周辺の農協との合併を進めて農協らしさを取り戻し、さらに合併農協の力で都市農業の持続的な展開を図ることが必要であるが、この問題については後ほどあらためて検討しよう。

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