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男女共同参画は家庭、地域から【「すし工房なばな」代表・元JA全国女性協会長 伊藤さなゑさん】2019年1月21日

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 伊藤さなゑさんの仕事は、早い時には朝2時に起き、3時、4時から始まる。昭和11年生まれの83歳。「すし工房なばな」の代表であり、いまもグループのリーダーとして第一線で活動する。このエネルギーを探ると、30代前半から今日までのJA女性部の活動に行き当たる。平成13年、JA全国女性組織協議会の会長を努め、男女共同参画運動に情熱を傾け、女性の地位向上に取り組んだ伊藤さんに聞く。

◆農家の厳しさが原点

 ――JAの女性部との関わりを聞かせてください。

「すし工房なばな」代表・元JA全国女性協会長 伊藤さなゑさん 私は、当時の三重県桑名郡長島村(現在桑名市長島町)の農家の二人姉妹の長女として生まれました。父が戦死し、2.4haの田畑を守って働く祖父と母をみて育ち、いつしか一人前に農作業の手伝いをするようになりました。そのころ田んぼの作業は全て人力で、鍬で起こしていました。懸命に働く母を少しでも早く楽にさせたい思い、高校進学をあきらめて家業の農業に専念しました。
 夫は元特攻隊員でしたし、戦争は父を奪いました。そして農業をやっていても食べられない当時の農家の暮らし、これらがその後の私の女性部や男女共同参画、さらには社会福祉、人権擁護活動などの原点となりました。女性部活動は、昭和43年、31歳のとき長島町農協婦人部の副部長になり、翌年部長に選ばれたことが始まりです。
 その後、JAみえ女性連絡会議会長に選ばれ、県が企画した「三重県女性の海外研修アイリスの翼」で、スウェーデン、スイス、ドイツに派遣され、ホームスティや交流に参加しました。これが男女共同参画の重要性を認識するきっかけになりました。
 ホームステイしたスウェーデンでは、主食のジャガイモは皮ごと食べるのですが、それを知らず皮を剥いて注意されるなど文化の違いも勉強になりましたが、男女平等はまず家庭から学校、地域へ、そして国へと広げていくことが大事だということを学びました。
 平成8年、JA全国女性組織協議会の副会長に選ばれ、その後理事と副会長を1期務め、平成13年会長に選ばれました。そのころJAグループが取り組んでいたFAO(国連食糧農業機関)による飢餓撲滅・食料自給の取り組みを支援するテレフード・プロジェクトを視察する機会があってタイを訪問しました。
 そこには、幼いころに体験したのと同じような農業が行われており、私も裸足になって現地の人と一緒に田植えをしました。あらためて世界の食料と経済格差の問題に目を開かされました。
 JA全国女性協の役員のころは、東京を中心に出張が多く、1年に130日くらい家を空けていた年もあります。この間、男女共同参加の運動で、農林漁業団体の女性組織と一緒にJA全国女性組織の代表として当時の小泉首相に女性の管理職を増やすよう要請したことも勉強になりました。また三重県の市町村長、市町村農業委員会、JAのすべてを2日かけて、男女共同参画の意義を訴えて回ったこともあります。

(写真)「すし工房なばな」代表・元JA全国女性協会長 伊藤さなゑさん

 

◆各地の活動が刺激に

 ――平成17年までJA全農の経営管理委員会の委員を務め、退任した後、すぐ「すし工房なばな」を立ち上げられました。その動機はどこにありますか。

日本農業賞を受賞したときのメンバー(平成27年) JA女性協の活動のなかで、全国各地で頑張っている女性たちのことを知りました。また一度火を付けたものは消してはならないという思いがあり、JA女性部の役員のときに言ったことはやらなければならないという気持がありました。
 農産物の直売や農家レストランなど、経済的自立を目指して全国で活躍している女性をみて、また今村奈良臣先生(東京大学名誉教授)の「女性が世の中を変える」という励ましを受けて、頑張らなくてはという思いが募りました。全国組織の役員を退任してすぐ取り組んだ「すし工房なばな」はその一つです。

(写真)日本農業賞を受賞したときのメンバー(平成27年)

 
 平成17年に、かつての長島村農協の婦人部の仲間に呼びかけて始めました。メインの寿司は「箱すし」です。この地方でそれぞれの家庭に伝えられている寿司です。いまではあまり作られなくなりましたが、米の消費が減るなかで、いかに安全で美味しいものをたくさん食べてもらうかという思いで始めました。
ピーク時には5段のすし箱を35回使う 14人でスタートし、現在のメンバーは12人です。寿司に使う米は地元の農家に委託しています。砂糖、しょうゆ、酒、みりんで味付けをして「昔なつかしい寿司」とみなさんに喜んでいただいています。ほかにいなり寿司、巻き寿司をつくっており、お陰さまで一年中忙しく、ほぼ年中無休で営業しています。
 普段は朝4時から、注文の多い日は3時、2時からと5升釜をフル回転させ、お届け希望時間に間に合うように仕上げます。
 桑名市には3と8の日に「三八市」というのがありますが、ここへも出店させていただいています。このほかAコープや、近くにある「花市場」(農産物直売所・園芸店)などのほか、注文に応じて各所に配達しています。

(写真)ピーク時には5段のすし箱を35回使う

 

◆女性が組織を変える

 ――こうした共同のグループの活動に大事なことはなんでしょうか。

「子ども体験農園すくすく」で芋掘りする子どもたち 「すし工房なばな」を始めて14年、メンバーは60~80代でかなり高齢になっています。しかし気持は年をとらないと思っています。みんな働けるうちは自分でやるという気持をもっています。しかし、やはり組織が停滞してきたと感じたら若い人の声を反映させ、新しいリーダーを育てていくことが必要だと思っています。
 そして、一人で突っ走ってはだめです。何事もそうでしょうが、みんなで目的を同じくして力を合わせることが大切です。そうした経験を重ねてきました。それがJAの女性部でソフトボールチームをつくったり、国と民間が協力して子どもの体験・読書活動などを応援する夢基金で「子ども体験農園すくすく」をつくったりしたときに生き、スムーズに実行できました。
 また、女性の参画についてですが、組織は女性が加わると変わります。JAグループでは女性理事拡大の運動を行っていますが、理事は女性部の組織代表ではなく、1人の人間として、地域選出の理事として自ら手を挙げて経営に参画してほしいものです。特にこれから女性部の活動を担うフレッシュ・ミセス(フレミズ)のみなさんには、頑張っていただきたいと思っています。

(写真)「子ども体験農園すくすく」で芋掘りする子どもたち

 

【略歴】
(いとう・さなゑ)
昭和43年三重長島町農協婦人部副部長、44年部長。57年三重県農協婦人部連絡会議副会長、平成2年会長、5年JAみえ女性連絡会議会長、8年JA全国女性組織協議会副会長、10年三重長島農協経営管理委員(旧理事)、13年JA全国女性組織協議会会長、14年全国農業協同組合連合会経営管理委員会委員。

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