JAの活動:インタビューで綴る全農50年
【インタビューで綴る全農50年】第1回 青木喜久彌 元JA全農専務 我が人生「男冥利に尽く」2021年7月29日
1972(昭和47)年に全購連(全国購買農協連合会)と全販連(全国販売農協連合会)が合併し、全農(全国農業協同組合連合会)が誕生して50年経過した。合併時の役員の多くは故人となっているが、生産と販売が一体となって今日のJA全農を築くために汗を流した、当時の役員や職員に聞く。第1回は元JA全農専務の青木喜久彌氏。(随時掲載。聞き手は全農OB・農協協会理事の坂田正通氏)
青木喜久彌 元JA全農専務
米国の飼料基地再建
――東京大学経済学部を卒業され、当時の全購連に入会されました。そのころの思い出は。
昭和31(1956)年、東京大学経済学部を卒業しました。生まれは長野県の3反百姓の次男坊で家計が苦しく、学生時代は、いくつもの家庭教師のアルバイトを掛け持ちして、親に仕送りしながら、5年かけて卒業しました。
とにかく貧乏学生でした。結婚するときは、父親が借金して結納金の都合をつけてくれましたが、その借金は月賦で返したので、妻は月賦でもらったようなものです。家が貧しいので中学、高校、大学と授業料はすべて免除でした。
――労働組合の活動でも知られていたようですが。
先達の薫陶を受けて
大学を出て、担当教師の紹介で当時の全購連に就職しました。入って2、3年だったでしょうか、職場でストライキがありました。私はいっぱしの活動家になっていましたが、第一波ストが終わった後、のり付けされた「スト決行中」のビラ剥がしに、若手はもちろん中堅職員までもが総がかりで取り掛かってくれました。「スト統制委員」として感激しましたが、経営者はその統制ぶりに「とんでもないやつだ」と警戒心を強めたようです。
労働組合活動を通じて、後に全農の常務として手腕を振るった倉西勉さんから多大な影響を受けました。勉強家で独特の発想力、大胆で強力な実行力の持ち主で、多いに学ばされました。倉西さんは全購販合併直後の全農の体制づくりに異能を発揮し、これまで飾りの総合企画部を文字通り全農の事業経営管理の中枢機能として体現させました。その後、抜擢人事で飼料部長に昇任しました。
未経験な部門に落下傘降下した倉西さんは、それまで個人的体制下で職人的に運営されていた飼料事業を科学的・合理的な飼料事業に転換させたのです。その手始めが米国のミシシッピー下流に全農の穀物エレベータ―を建設するという大プロジェクトです。当地には輸出エレベータ―が9カ所あって、うち8カ所は米欧の穀物メジャーが、1カ所がアメリカの穀物農協連の所有でした。
倉西さんは穀物農協連から穀物取引・輸出施設に詳しい専門家二人をスカウト。土地220haに建設費230億円をかけ、3年半の歳月を経て昭和57(1982)年に完成しました。
――「全農グレイン」の運営で活躍されました。
貸スペースより販売努力で
この年、倉西さんが常務理事昇任の後を受けて、私は飼料部長として、当初計画の、稼働後7年で単年度黒字を達成すべく「全農グレイン」運営に携わることになりました。不思議なことに飼料部には、全農グレインの運営について本気で考えている節が見当たりませんでした。倉西さんの一人仕事とみている感じでした。
全農グレイン副社長のハーパー氏が来て、全農グレインの運営について検討会がありました。全農側は経営安定のためスペース貸しを主張しました。ハーパー氏はグレインの販売努力を主張し、半日激論が続き、私は当事者の努力に期待するとの結論を出しました。
私が倉西さんの後釜を担う運命になったことは、私が本物の事業に取り組み、私の全農人生を男冥利に尽きるものにしてくれました。しかし大変な重荷でもありました。サラリーマン人生で有能な先任者の後任はあまり幸せではありません。何かと比較され大変なプレッシャーです。有能な倉西さんの後任で、とてつもない呻吟(しんぎん)を味わう羽目になったことか。
生産と販売畜産で先鞭
大卸から小売り対応に
――合併の目的である生産・販売の一貫化にも努められました。
私の所管に畜産販売部がありました。主に大卸業務が中心でしたが、小売パワーが強まるなかで、販売施設を小売業者の目につくように切り替えることを進めました。2、3年で100億円投資し、小売り対応の施設に事業転換しましが。合併以来大きな投資のなかったなかで部内の雰囲気が一変し、新しい小売業務の取り組みが始まりました。しかし長年の得意先の問屋と競合して、その領域を犯すことですから、担当者にとっては大変重荷の仕事でした
生産販売一貫体系実現
飼料と畜産の連携では「新たまご」「牛肉ピュア」など全農独自のブランドの生産・販売が実現しました。米・園芸では手もつかい生産販売一貫体系が曲りなりにも実現できました。うれしかったことは職員同士の交流・仲間意識が部の垣根を越えて醸成されたことです。
今日では鶏卵・ブロイラー・食肉ごとに株式会社化し、全農本体には畜産の政策対応機能しか残っていません。そして飼料・畜産で全農の経営の核心を担っています。
インタビューを終えて
現職のころの青木喜久彌専務の威厳を知っている。インタビューは緊張した。青木さんが話し出したら、2時間休みなし。エネルギッシで、その内容は一人で聞くのはもったいない。青木さんは全農のエサ・畜産事業の基礎を築かれた。「全農グレーン」という穀物エレベーターを故・倉西勉さんと青木さんのコンビで米国ミシシッピーに建築し、日本の農協・農家向けに安定的に飼料を船積みできるようにした。大手商社にもできないことだった。がぜん穀物メジャーから緊張をもって全農が注目され・警戒されるようになったと思う。現在まで続いている。
学生時代は貧乏だったという。祖父は地主で豊だったが父は次男、戦後の農地解放の影響もあり、家貧しく家庭教師で稼ぎ東大を卒業、逆に長野の両親に送金していたともいう。全農50周年記念のインタビュートップバッターとして快く応じていただいた。感謝。
(坂田正通)
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