JAの活動:インタビューで綴る全農50年
【インタビューで綴る全農50年】第3回 中澤邦春 元全農畜産販売部次長 『菌耕農法』普及へ2021年9月22日
「インタビューで綴る全農50年」の3人目は、JA全農の園芸部門で活躍した、元園芸部野菜課長の中澤邦春氏(88)に登場してもらう。全農発足後の最初の野菜課長で、畑違いの購買部門の肥料部から転身し、現在のJA全農の園芸事業の基を築いた。退職後、微生物の会社を設立し、現在も「菌耕農法」(yahooで検索してみてください)の普及で忙しい。(聞き手はJA全農OB・農協協会理事の坂田正通氏)
中澤邦春
元全農畜産販売部次長
――北大の学生時代どのような思い出が。
長野県松代町(現在長野市)で、リンゴ農家の長男に生まれ、地元の更科農学校から北海道大学農学部へ進学しました。当時の農家の貧しさを実感していたので、なんとかしなければとの思いがありました。
母親は、地元の信州大学へ行って、教師をしながら家のリンゴ園を継いでくれたらと願っていましたが、当時、北大出身の更科農学校の校長が、自宅の近くに住んでいたこともあり、クラーク博士の「Boys be ambitious」(ボーイズ・ビー・アンビシャス)の精神に共感するところがあったのかも知れません。
大学2回生だった1954(昭和29)年、青函連絡船の洞爺丸が台風で沈没し、1155人の死者・行方不明者を出した大きな海難事故がありました。帰省のたびに利用していたので、わがことのように感じました。
また大学のクラブで英語研究会にいたとき、バーナード・ショーの英語劇をやることになり、主役を務めましたが、その時の相手役が評判のマドンナで、ラブシーンもあり、演技が真に迫っていたのか、彼女の恋人が嫉妬して、あわや『決闘』という騒ぎもありました。
――購買から販売への転身は大変だったでしょう。
全購連に入り、本所の肥料部に所属。カリ、リン鉱石の輸入業務を担当し、新潟東港が新規開設されたのを機会に、米国、カナダからの加里、リン鉱石輸入原料基地と5万tの専用船第5全購連丸の設計に着手、東港に新東バース(株)を設立した頃です。当時は三井、三菱などの大手商社が約300万tのリン鉱石をほとんど独占輸入していたので、そこに新規参入をするのは大変でしたが、「農家の肥料を少しでも安くしたい」との思いで、全購連の直接輸入に取り組み、3ヶ年で約130万t(ほぼ40%強)をシェアしました。
1972(昭和47)年に全販連と合併し、全農となった交流人事の第1号として東京の神田市場にあって、青果物を扱う「マルA」に配属されました。青果市場は朝が早く、午前5時には出勤です。
毎日、早朝から産地の生産者が大勢きます。「マルA」は、全国で唯一の農協直営(生産者直売)の青果市場だという話をしたり、集荷した青果物の見学や場内の案内をした後、とてもきれいとはいえない地下の食堂で、みんなと一緒に朝食をとったりしました。見学者に肥料の輸入原料のことを話していたら、野菜部長から「おいおい、ここは青果物の市場だよ」と皮肉られたこともありました。
その後、本所の園芸部野菜課長になり、全農が群馬県の嬬恋村で、農水省の重要野菜の需給調整対策事業をバックアップしており、標高600~1200mで作付けしていたキャベツをさらに増産するため、標高2000mまでの1000haの国有地を払下げてもらいました(妻恋村の組合長や群馬県経済連のトップ等と一緒に陳情に大変苦労しました)。
また全国の主産県の担当者を集め、キャベツの需給調整会議をおこない、豊作の年には、圃場でキャベツの廃棄処分をせざるを得なくなり、消費者団体の反発を受けたり、NHKから全農の野菜課長席へ取材を受けテレビに放映されたりしました。
――中澤さんが野菜課長時代につくったロゴマークが今も使われています。
今、全農で使っている赤の楕円に白抜きの「全農」のロゴマークは、野菜課長のとき作ったものです。名刺に刷り込んだのも私が第1号です。当時、全農の会長はホクレン会長の太田寛一氏でしたが、ホクレンの柏の苗をあしらった緑のロゴマークは産地で「青果物を作るホクレン」と、園芸用に作った全農の赤のロゴマークは、『青果物を売る全農』」だという苦しいPRで切り抜けました。
太田会長が全農の会長を兼務しており、当時6000億円のホクレン扱いの青果物を全量全農経由にしろとの至上命令で、帯広や富良野などの主要産地(組織的にも大変な力をもっていました)を説得するためにホクレンの青果部長と一緒に主要産地を巡回したり、強力なトップダウンの中、4苦8苦して何とか一気に6000億円の青果物を全農を通すことになりました。
その後、野菜課長から畜産部次長になり、定年前に全農バース(新東バースから改名)に出向し、専務を務めました。
――退職後もお忙しいようですが、どのような仕事を。
全農バースの専務時代に、当時、畜産部に所属していた日比野進氏(東大農学部農芸化学科卒業で微生物専攻)が専務室に訪ねてきました。畜産部の牧場で牛の腸内細菌を研究していたら、ある菌を餌に混ぜて給餌すると牛糞の悪臭が消える菌を発見したというのです。
そんな馬鹿なことがあるかと、畜産部内部で誰からも相手にされないので、畑違いの私のところに来たのです。当時、化学肥料を多く使うと土が劣化するため、土壌改良が必要だというように感じていたので私は興味を持ちました。その菌は好気性菌の納豆菌(Bacillus属)と嫌気性菌のクロストリジウム菌(Clostridium属)で、この二つを組み合わせると、嫌気性菌があるので、酸素のないところでも発酵するのです。
全農バース退職後、これをアスカマン菌と名付け、(有)アスカを設立しました。生協の生ごみ処理剤や、「菌耕農法」として長野県川上村のレタスなどで大量に使われています。マイペースで好きなことをやってきましたが、微生物によって、一般市民が農業への関心を持ってもらえるよう、橋渡しができたと思っています。
【インタビューを終えて】
中澤さんは北海道大学の構内にある恵迪寮に住んでいた。英語クラブに属し、ある時、英語劇を上演し、主役に抜擢され北大体育館の舞台に立った。ノーベル賞作家バーナード・ショウの劇だ。相手役は文学部の女子学生。ラブシーンやキスするような場面も当然ある。ところが公演が終わったら、大観衆の中で見物していた彼女のボーイフレンドが「彼女にキスしたのはけしからん」と決闘を申し込んできました」(演技があまりにうまかったので本当にしたように見えたのでしょうか)。中澤さんは翌日、それぞれしっかりした立ち合い人をつけで体育館裏手の決闘広場へ行く。本来なら、ぼこぼこにされかもしれないところを、立会人が上手に和解させてくれて別れたというエピソードを話してくれました(88歳男の70年も前の青春話である)。
野菜などの販売のための、全農のロゴマーク。アイデアは当時の中澤園芸課長らが考えた。最近、全農がスポンサーの卓球やカーリングの放映でこのマークが映る。「JA」マークができたのは30年前。しかし、この全農マークは廃止されずに生き残った。中澤さんの購買から販売へ移った証しとしても、このマークが全農のPRに寄与している。
(坂田)
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