JAの活動:女性協70周年記念 花ひらく暮らしと地域
【花ひらく暮らしと地域―JA女性 四分の三世紀(12)】エンパワーメント<中>「地域・社会貢献」に奔走2022年2月14日
「国破れて山河あり」と言われた飢餓の夏から、コロナ禍を乗り越えて新しい時代に挑むこの新春まで76年。その足どりを、「農といのちと暮らしと協同」の視点から、文芸アナリストの大金義昭氏がたどる。
■「相互扶助」のDNA
「地域社会の持続可能な発展に力を尽くす」と謳った協同組合の第7原則がある。「地域社会への『係わり』」とか「関与」とか「配慮」とか訳されるこの原則は、「協同組合のアイデンティティーに関するICA声明」(「95年原則」)に新しく加わった。平成7(1995)年秋に英国・マンチェスター市で開かれた国際協同組合同盟(ICA)設立100周年記念大会でのことだ。
その伏線には、カナダの協同組合運動家で教育学者でもあったアレクサンダー・F・レイドローが、昭和55(1980)年のICAモスクワ大会で報告した『西暦2000年における協同組合』がある。
この報告の中でレイドローは、協同組合が直面する「信頼・経営・思想」の三つの危機を指摘した。その折りに彼は、各種事業を兼営して組合員の期待に総合的・一体的に応える日本の農協(JA)を高く評価している。三つの危機を超克して地域社会に貢献するには、多目的で多機能のサービスや事業を展開する総合事業体こそが協同組合の「強み」であると見なしたからだ。
JAの「強み」は、災害時に際立つ。
ICAマンチェスター大会が開かれた同年1月、阪神・淡路大震災が勃発。地元で救援活動に奔走したJA神戸市西(JA兵庫六甲)の営農指導員に、旧知の友人・本野一郎がいた。本野の著書『いのちの秩序 農の力』(平成18〈2006〉年1月・コモンズ)に、震災当日から始まった「炊き出し」のくだりがある。
断水のなか井戸水を運搬し、四階までポンプアップするという困難なスタートだった。米倉庫から毎日一・五トンが精米され、神戸市役所を通じておにぎり用の米として供給。JAの生活会(旧農協婦人部)が応援に駆けつけ、毎日六〇〇〇個のおにぎりをつくった。日付けが変わることもあるような目の回る忙しさが、二二日間にわたって続いた。
緊急物資の仕分けと小口配送は困難を極めた。四トントラックは積み降ろしが大変で役に立たず、二トントラックでは狭い道路が多くて移動しにくいからだ。JA理事会はその配送を担うことを決定し、不足していた小型トラック(軽トラ)を持ち込んで、支庁舎から避難所へピストン輸送した。多くの組合員が参加して、一日一二時間にわたって一〇日間続けた。もっとも必要とされる軽トラが必ず農家に一台はあり、いつでも動かせる状態にあるという事実は、体験として記憶しておくべきだ。国民の食料に責任をもつJAグループの災害時対応のノウハウとしても、蓄積することが大切である。
JAやJA女性組織には、いざというときに起動する「一人は万人のために、万人は一人のために」というDNAがあり、こうした光景が災害のたびに被災地で繰り広げられてきた。
支援活動は国内にとどまらない。JA女性組織は、ユネスコの「国際児童年」(昭和54〈1979〉年)に呼応した「世界の協同組合の子どもにきれいな飲み水を」10円玉募金運動や、未曾有の大干ばつに見舞われた「アフリカ飢餓救済100円募金運動」(昭和60〈1985〉年)などにも取り組んでいる。
環境活動にも息の長い「粉石けん使用運動」などがあり、「地域・社会貢献」が組織・活動のミッションに据えられてきた。
■当たり前のように奮闘
本野のレポートは続く。
あのとき、おにぎりを握り続ける行為は、祈りに似ていた。
「次々に炊きあがってくるご飯を、一刻を争うようにして、冷めないままに握るものだから、手が真っ赤になって痛かった。けれど、誰も泣き言を言わず、黙々と握り続けた。ひとつでも多く、少しでも早く」(二年目の米蔵記念日シンポジウムでの発言)
神戸市内の農家の女性の手によって握られたおにぎりは、次々と避難所へ運ばれていった。当たり前だが、真っ先に避難所に到着したおにぎりは、市内のJAからだった。しかし、誰がどんな思いでおにぎりを握り続けたか避難所の人びとは知る由もなかったし、震災を話題にするほとんどの人は知らないままだ。「前年の大凶作と重なっていたらどうなっただろう」という問いも、いまでは省みられない。
阪神・淡路大震災には、ほかにも数多くの若者や市民が立ち上がった。この年は後に、この国の「ボランティア元年」と命名され、奇しくもICA大会が協同組合の「95年原則」を採択した年に重なった。
JAを定年退職した本野はいくつかの大学で教鞭をとっていたが、2017年(平成29)年秋に、有機農業運動や種子を守る活動などに取り組む仲間たちに惜しまれながら、急性の病(やまい)でこの世を去っている。70歳だった。
2011(平成23)年3月に発生した東日本大震災は、岩手・宮城・福島3県を中心に地震・津波・原発事故による壊滅的な打撃を与えた。その痛手は今も癒えない。地震発生の同年からJAいわて花巻理事を務めた高橋テツが、直後の被災地救援についてこう語っている。(本紙2014〈平成26〉年1月20日号)
JAには27支店あって、約半分が女性の支店長です。被害の大きかった釜石支店の支店長なども女性でした。組合員も職員も被災し、たいへんな思いをしましたが、女性ならではのきめ細かな心遣いやJAの協同活動がこのときほど発揮されたことはありませんでした。
「食べるものがない!」「寒い!」という悲痛な叫びがJAの本店に届きました。本店倉庫にはたくさんの玄米を保管していたのですが、停電で精米ができない。そこで対策本部は、白米1升を組合員1戸1戸から集めることにしたのです。スーパーの買い物用ビニール袋などに入った米の袋の山を見た被災地のみなさんに、組合員ひとりひとりの思いが伝わり、「農協の組合員でよかった」「広域合併をしていてよかった」という声をあとで聞くことができました。
女性部も直ちに毛布や衣類を集め、ホールにいっぱいになりました。そのまま被災地に届けるのではなく、「女性用」「男性用」「上着」「下着」「男児用・女児用」などに細かく分類して届けたために、すぐに利用していただけたということでした。
花巻と言えば、宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』にこんな言葉があった。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
二毛作の麦畑が青々としてきた。
(文芸アナリスト・大金義昭)
※高橋テツ氏の「高」の字は正式には異体字です。
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