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JAの活動:未来視座 JAトップインタビュー

人材を育て結束を力に JA宮城中央会 佐野 和夫会長【未来視座 JAトップインタビュー】2023年11月16日

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今年6月に就任したJA宮城中央会の佐野和夫会長は米農家の出身。青年団、農協青年部活動に力を入れ仲間と切磋琢磨(せっさたくま)して農業と農協への考えを深めたという。その歩みをたずねるとともに未来をどう開くか聞いた。聞き手は文芸アナリストの大金義昭氏。

中途半端が嫌い お互い切磋琢磨

JA宮城中央会会長 佐野 和夫氏JA宮城中央会会長 佐野 和夫氏

大金 農家のご長男ですか。

佐野 戸籍上は次男です。幼くして兄が亡くなって。兄が生きていたら、今頃はあこがれの「七つの海」を駆け巡っていました。長年苦労してきた父は、早く後を継がせたかった。1952年に生まれ、敷かれたレールで農業高校に進みましたが、「七つの海」には未練があった(笑)。農地は3haで、農閑期になると日銭を稼ぐために土方、電話工事、設備屋などをしました。お蔭で技術が身につき、たくさんの出会いがありました。農業は父から1年間、徹底的にたたき込まれ、2年目からは自由にやらせてもらった。ずい分ぶつかったけれど、父親は尊敬する「師匠」です。

大金 ご結婚は見合いですか、恋愛ですか。(笑)

佐野 愛された!(笑)。南方町青年団で出会って。先輩・後輩関係なく議論をふっかけたものだから最初は煙たがられたけど、中途半端が嫌いで徹底的にやろうと腹を決め、1年320日、青年団活動をしました。そこで出会ったのが今の女房と「演劇」です。

青年部独自に米価で直談判

大金 「花形役者」でしたか!(笑)。青年団で出会って結ばれる、というケースは多かった。

佐野 いや、私は「人生役者」ですから(笑)。「役者よりも下支えを」と大道具をするうちに、仲間から分かってもらえるようになりました。女房とは青年団を辞める75年に結婚し、その後青年団の仲間と「青年会議」を作ったんです。当時の農協青年部は先輩の「絶対君主制」だったので「打倒」しようと考えた(笑)。後に農協青年部に入り、米価闘争でも独自の行動をとった。全体の行動を抜け出し、東京・永田町の自民党本部に行って政治家と直談判しました。8・5豪雨があった86年には、党の幹部が「この青年たちは大雨で大変なのに、帰らないで米価決定を見守っている」と泣かせる演説をした光景が記憶にあります。

大金 米の主産地である宮城県の当時の農協青年部は突出して全国に名を馳せていた。後にJAで初めてお会いした時の佐野さんは、職員のベテランのような印象を受けたのですが。

佐野 一貫して「農家」組合員です!(笑)。ただ、職員に間違えられるくらいJAには出入りしていました。職員からみれば、うるさい組合員の典型(笑)。それと、付き合った職員は後年みな重責を担っています。米価闘争で人が育った。だからBSE(牛海綿状脳症)の時も東日本大震災の時も、一緒に乗り切れたんですね。

宮城県で稲わらから最初にセシウムが検出されたのも我が家でした。肉用牛部会長をしていたので、「出ないだろうから測れ」って周囲に言われ、測定したら出ちゃった。検出されたら「何で測った」と激しいバッシングを受け、1日で腹をくくった。「出荷自粛」と言われたけれど、「ダメだ、停止にしろ!」と迫って停止を実行し、結局はそれが良かった。出荷していて肉から検出されたら大変でした。私を非難した人たちも手の平を返して「良いことをした」と称賛してくれました。

大金 お宅は何代目ですか。

佐野 分家の6代目です。肉用牛は父親が始めました。「仙台牛」の先駆けです。受け継いだ12頭を90頭に増やし、息子が後を継ぎました。今は自有地が11~12ha、利用権設定している農地を含めて計20ha。肉用牛は160頭前後です。

町議落選機に肉用牛部会長

佐野 2003年から町会議員を1期やりました。2期目に臨んだ頃、息子を含めた5戸の農家の畜産振興に牛舎を建てたんですけど、「権力を使って建てた」と他候補から非難され、トップ当選という下馬評がふたを開けたら50票差で落選。もう辛くてね。3日寝込みました。布団被っても寒い。「負けてはいられない」と4日目に起きた時には、体がポカポカほてってきた(笑)。そんな時に「肉牛部会長をやれ!」と仲間たちから声をかけられ、農業の道に戻って組織をまとめようと決心し、3期務めました。さらに周囲から励まされ、13年前にJAの非常勤理事になったんです。

大金 役員キャリア13年には見えない。半世紀くらいやってそうな!(笑)

佐野 南方町農協の青年部時代には農協役員と協議して「農民大学」を作りました。学長になってもらった岩手大学教授の石川武男さんが言われた「憤の一字、これ進学の機関なり」は、私の柱になり指針になりました。

専務理事から組合長になる時には、かなりの反発がありました。農協管内に8町ありましたが、当時の組合長は南方町出身で私も同じ町ですし、そのうえ鬼より怖い女房が猛反対(笑)。4回断ったのですが、家に押しかけてきた仲間たちに頭を下げられた。それで女房に「組合長を断るなら、理事も辞めるよ」と言い、ポロリと涙をこぼした。女房には「息子の意見を聞いてみて!」と言われた。恐らく反対すると思ったんでしょう。息子は「引き継いだ経営には口出しをしないこと」を条件に背中を押してくれ、何とか就任しました。

大金 「新国劇」(笑)のような話ですね。やっぱり「なりたい人」より「させたい人」です。JAでは何をめざしましたか。

佐野 「職員力をいかに引き出すか」を考えました。職員は個々にすばらしいものを持っている。きっかけを与え、互いに切磋琢磨することで、時代の変化に対応していけるようにしたかった。

大金 変化に対応できる職員とは。

佐野 太鼓と同じで「打てば響く」ようにと、職員には積極的に声をかけました。「すぐやる、必ずやる、確実にやる」という座右の銘を繰り返した。そうしたら職員が「SKK by SKK」と言い換えて各部署に貼ってくれた。最初のSKKが「すぐ(S)、必ず(K)、確実に(K)」で、次のSKKが「佐野(S)、和夫(K)、組合長(K)」だって!(笑)

大金 それは嬉しい!(笑)。人事制度を「能力主義」から「職能貢献主義」にも切り替えています。

佐野 配置した部署に職員がマッチングすれば力になるけれど、そうでないこともある。難しい課題だけど、経験したことが次につながる人材育成はJAの喫緊のテーマです。

農地引き継ぐ担い手協議会

大金 農業の「担い手」については。

佐野 その頃、集落座談会をしたら、「もう担い手がいなくなる。農協で経営してくれないか」という話が出た。農協で農業経営の考えも出ましたが、制度上難しく、議論を重ねた結果「農地集約担い手協議会」を立ち上げました。集落で田んぼをまとめ、次世代に引き継ごうとしたのです。沿岸部は東日本大震災で大規模化や法人化が進みましたが、JAみやぎ登米は家族農業が中心です。亡くなった方や引退する方から農地を引き継ぎ、分配して耕作してきました。今は新しい組合長に後事を託し、中央会に来ています。

大金 広く知られる「環境保全米」については。

佐野 JAみやぎ登米の阿部長壽元組合長が始めました。登米市は7000haほどやっています。国の施策で転作もあるけれど、米は基幹だから、しっかり守ってきました。その米を私たちは輸出しています。前組合長が言い出した時には「何でそんなことを!」と反対したんですが、家に帰ってよくよく考えてみると「攻められっぱなしの農業が、輸出でアメリカに一矢報いられるかもしれない」と思い直しました。翌日「やりましょう!」と伝え、1000t弱でしたが、JA全農の県本部長も呼んで大々的な出発式をしました。NHKの全国放送にもなりました。

耕畜連携の歴史 環境と銘柄共存

環境保全米が輸出日本一に

佐野 現在は3500tを香港、シンガポール、オーストラリア、米国に輸出しています。あの時のみんなの目の輝きは忘れられない。成功したのは「環境保全米」だからこそで、輸出量も価格も日本一です。「赤とんぼが乱舞する産地をめざす」運動で、環境にやさしい米作りに励み、付加価値がついてきたのです。「みどり戦略」への挑戦も、少子・高齢化のなかで難しいけれど知恵を出し合っていきたい。住友商事などと戦略的に提携し、スマート農業にも着手しています。

大金 畜産も盛んです。

佐野 7割の田んぼに堆肥を還元しているのが、私たちの登米地方です。「耕畜連携」は地域の歴史と伝統ですし、県全体に波及しています。

大金 ラムサール条約登録湿地もあります。

佐野 保護されるマガンが多数飛来するので、稲刈りをした後の田んぼが糞(ふん)だらけになるなど、正直大変ですが、マガンとも共存していかなくちゃなんない。(笑)

1県1JAも視野に模索中

大金 次世代に地域農業やJAを継承していく上で、危機の時代をどう突破していくのか、最後にひとことだけどうぞ。

佐野 地域農業の特性を生かす優秀な職員を確保していくためにも、避けて通れないのがJA合併でしょうね。先行して合併したJAが盤石になるためには時間がかかりますが、そう遅くない時期に宮城県も「1JA」にしなければ生き残れないのではないか。農家もJAも捨てたものじゃない。県内全域で、あぜ道の声を大切にしっかり交わしながら、協同組合としての連携と結束を段階的に積み重ね、みんなで情報を共有することで同じ方向を向いて動いていけるのではないかと思っています。

文芸アナリスト 大金 義昭氏【インタビューを終えて】
初めてお会いしてから20余年。一家言を持った闊達(かったつ)な印象が鮮やかな風景としてよみがえってきた。伊達藩でも有数の肥よくな穀倉地帯で「仙台牛」の産地づくりをけん引してきたパワフルな来歴は「波瀾(はらん)万丈」という言葉がふさわしい。それを包み隠さず披瀝(ひれき)する「男のダンディズム」が佐野さんの魅力である。頂いた名刺には「これぞ天下をとる旨さ だて正夢」とある。「伊達男」の神髄に触れる痛快感が心に深く残った。

(大金)

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