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JAの活動:未来視座 JAトップインタビュー

豊かな食届ける役割胸に(1) ホクレン(北海道)会長 篠原末治氏【未来視座 JAトップインタビュー】2024年12月24日

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「農村ユートピア」を追い求める「士幌イズム」に学び、農業・農村の活性化を進めるホクレン(北海道)会長の篠原末治氏。JA事業やその方向性などを聞いた。聞き手は文芸アナリストの大金義昭氏。

「士幌イズム」で農の理想郷推進

ホクレン農業協同組合連合会(北海道)会長 (一社)全国農協観光協会会長 篠原末治氏

ホクレン農業協同組合連合会(北海道)会長 (一社)全国農協観光協会会長 篠原末治氏

大金 1961年に生まれ、帯広農業高校を卒業して就農された?

篠原 帯農卒業後、専攻科を経て、道庁がやっている中央農業学園で経営を学び、22歳で就農しました。分家の2代目です。小学生だった頃、母親が長期入院し、以来、農業の手伝いはたっぷりしました。

大金 ご先祖はいつ頃どちらから北海道に?

篠原 長野県出身の曾祖父が十勝に入植しました。農家なのか馬車追い(運送業)なのか、最終的には酪農をしていました。父親の代には10haで畑作を営み、私が後継した時は23haでした。当時の士幌町の平均ですね。畑作4品(麦、大豆、バレイショ、てん菜)の輪作で、そこに飼料作物を導入しました。

大金 その後25年余農業に専念し、経営規模を一挙に拡大しました。

感化受けた多くの先輩

篠原 20歳の時に「青年は海外を見よ!」という太田寛一さん(JA士幌町組合長、ホクレン会長、JA全農会長などを歴任)の檄(げき)に発奮し、1981年にリーダー研修生としてロサンゼルスに渡航しました。当時の米国は3年いれば永住権がもらえたので、それを目当てに願い出てみんなが帰国した後も一人残留したのですが、父親のけがで呼び戻されました。(笑)

米国の農業研修から帰国した頃、安村志朗さん(当時の組合長)の勧めもあり、JAの施設を利用した水耕栽培で切りバラに4~5年挑戦しました。バブルが弾け、本業の畑作に戻ったのですが、安村さんは毎週のようにハウスに顔を出してくれ、たくさんのことを教えてくれました。生家の農場は72年に現在地に移転しています。前にいた場所がJAの食品工場になり、父親が引っ越しをして農業を続けました。その頃、家に来た安村さんから「坊主は農業をするんか?」と尋ねられたことがあり、まだ小学生でしたが鮮明に覚えています。安村さんとは節目節目にありがたい出会いがありました。

大金 太田さんも安村さんも士幌町はもとより十勝、北海道のレジェンドですよね。傑出した二人は「二人羽織」とも言われた名コンビで、農畜産物の付加価値を高め、農家の所得増大に貢献する壮大な食品コンビナートなどを立ち上げています。JA士幌町の敷地内には立派な「農協記念館」があり、二人の記念室もあるくらいです。世代を超えた出会いがあったのですね。驚きました!

篠原 いやあ(笑)。米国の大規模農業を見て帰国すると、生家の農場はいかにも小さいなあと痛感し、「規模拡大も含め、経営をしっかりやろう!」と心に決めました。今は150~160haを耕作していますが、自有地は30ha余り。米国の「リース農業」と同じことを士幌でやってきました。親戚や友人などから頼まれて耕作を引き受けてきたから、農場を1周するのに80キロ余もある。会社を1円で立ち上げられるようになった時に「株式会社シノハラ」にしました。

大金 お子さんは3人とか。

篠原 全員娘です。長女がJA士幌町のレストランで働いていた彼と出会って結婚し、後を継いでくれました。その婿が社長をしています。「好きなようにやって! つぶさなければいいよ」(笑)と言っています。

大金 2009年に48歳でJA士幌町の非常勤理事になり、それからはとんとん拍子。

篠原 森本勝組合長(当時)から「好きなことはもう十分やってきたろう! 今度は人のため、JAのために尽くせ」と言われ、「そうだなあ!」と腹落ちしました。1期やって2期目に常務理事。高橋正道組合長(当時)からの下命で、学識経験者でなく農家出身の常務理事はJAでも初めてでしたから、私もですが職員もびっくりしたと思います。その後、1期ごとに専務から組合長に就任し、自分が組合長になった時は、常務に10歳若い後継者を据えました。私も高橋さんの10歳下になります。「3~4期やれば次が育つ」という「士幌イズム」ですね。

大金 現在の國井浩樹組合長ですか?

篠原 そうです。今は十勝地区農協組合長会で有塚利宣さん(JA帯広かわにし組合長)など大先輩の皆さんから薫陶を受けています。私自身は組合長を1期務めず、2年でホクレン会長に推され、今は亡き高橋さんから「『士幌イズム』で頑張れよ!」と励まされました。

大金 期待する若手を大胆に登用する北海道でも「衝撃」の人事でしたから注目された。5連役員の経歴もなかった。(笑)

篠原 大変でした。「シノハラって誰だ?!」と。(笑)

大金 北海道の素晴らしいダイナミズムです!(笑)

篠原 理事会は大先輩ばかりで、全道の組合長のなかには「お前のことは認めん!」と言う人もいました。1年後にはその方が「おれはあいつの一番の応援団だ!」と言ってくれたと聞き、本当にうれしかった。そういえばJA士幌町で常務理事になった時も、高橋組合長から酪農を担当させられました。「勉強しろ!」ということです。時にボコボコに怒られながら、酪農家から懸命に学びました。(笑)

大金 農業は作目が違えば、「異業種」のようなものだから。(笑)

篠原 ホクレン会長になってからの愛読書は「定款」で、何度も何度も読み返しました(笑)。トラブルが発生した時に「こう処理すれば!」と「定款」に基づく判断を下したら、ベテラン理事から「それ、一度貸してくれや!」と言われたこともあります。(笑)

文芸アナリスト 大金義昭氏

文芸アナリスト 大金義昭氏

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