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JAの活動:震災復興と協同組合

【座談会】協同の力で農業再建へ 被災地3県の取り組み2013年7月25日

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・JA仙台
テナントビル型農業で
暮らしを支えたJA共済
・JAいわて花巻
園芸振興にかける
国産利用が究極の地域支援
・福島県
放射性物質が阻む復旧
徹底した検査で安全保証

 東日本大震災から2年半。津波の被災地では夏草が生い茂り、いまだ復旧・復興に手つかずのところが少なくない。被災直後の救援活動でJAは大きな力を発揮した。いまその力をもって、農業と地域のくらしの再建を着々と進めている。JAいわて花巻の高橋専太郎組合長、JA仙台の高野秀策前組合長、そして、放射能汚染でいまだ復旧ままならない福島県南相馬市で農業を営む前JA全青協参与の遠藤友彦氏に農業の現状を語ってもらった。

復興へ向け着実な一歩

◆いままで以上の農業に――JA仙台

高野秀策 氏(JA仙台前代表理事組合長) 石田 大震災から2年半たちました。いま、農業の復旧・復興がどこまで進んでいるのか、問題は何か、そしてJAの取り組みについてお話しください。
 高野 JA仙台は、被災後、順調に復旧が進みました。冠水した管内1800haのうち1400haが復旧しました。米のほか、土壌条件の悪いところでは、地力を増進させるために大豆を植えました。農家のみなさんのアイディアです。
 残り400haは一番海寄りの土地ですが、地盤沈下で50cm程度下がってしまったので、農水省に客土をお願いしています。
 農機具は、国のリース事業を利用しました。集落営農組織や法人でなければリースできないので、農協が交付金申請手続きの支援を行い、大型トラクター、コンバイン、田植機、育苗ハウスなどを借りることができました。
 おかげさまで、この春の田植えに間に合い、農業の形態としては、だいぶ復旧したと思います。
 もうひとつ、今年の総代会で、農協が農事組合法人に出資することを承認してもらいました。農事組合法人が農業で生活でき、また担い手が就農できる環境づくりのお手伝いです。まだ1か所ですが、今後も継続的に取り組んでいきたい。
 一方、中山間地は、津波の被害はなくても、担い手がいなかったり、ほ場整備が進んでいなかったりして、作付けできないまま放棄されている土地が増えています。クマ、サル、イノシシなど野生動物による被害もある。そうした農地も、農協が支援して法人化を進めたい。
 石田 まず土地の基盤整備をし、それから営農を担う仕組みを作ったわけですね。
 高野 振り返ってみて、前へ前へと進むことができたのは、農家の方の営農への思いがあったからだと痛感します。震災後、農家の意向調査を行ったのですが、実に77%の方が「営農を再開したい」と答えておられた。
 だから、どうせやるならいままで以上のものにしたい。6次産業化も含めていろいろなことをやり、将来の担い手が就農できるような農業地帯に育てていきたい。

(写真)
高野秀策 氏(JA仙台前代表理事組合長)


◆園芸振興にかける――JAいわて花巻

 高橋 JAいわて花巻の場合、沿岸に3つの支店がありますが、釜石市唐丹町は復興組合を立ち上げました。来年の稲作の作付けが可能になっています。同時に、気候が温暖で園芸に適しているので、いま、JAでテコ入れしています。ビニールハウスで花や野菜を作り、普及させているところです。「イチゴを栽培したい」など、農家の方の思いも大事にしながら。技術指導のために、内陸部から人材を配置しました。
 それから、大槌町に復興予算をいただいているので、三陸縦貫道から国道に降りるインターの近くにあるJAの敷地にファーマーズマーケットを作り、農産物販売の拠点にしました。名前は「かあちゃんハウスだぁすこ沿岸店」。そこには食堂も作り、地元の人に雇用の働く場を提供します。
 ただ、沿岸にはいまだに宿泊施設が少ないので、JAの宿舎を来年の人事異動の季節までには整備をして、有能な職員を派遣し、農業振興をはかりたい。
 多くの沿岸部の農地は瓦礫が積まれたままで、以前の営農を再会するまでには至っておりません。


◆放射性物質が阻む復旧――福島

遠藤友彦 氏(JA全青協参与) 石田 福島は2県とは事情が異なることを承知のうえで、おもに遠藤さんがお住まいの南相馬市の話をお願いします。
 遠藤 被災3県のなかで一番復旧が遅れているのが福島です。最大の要因は放射性物質です。とくに海岸部は津波による塩害もあり、除塩と除染を同時に行う必要があり、どうしても時間がかかります。
 境界線の確認も困難です。波がかぶった場所ではヘドロを除去し、所有地の境界を調べています。しかし、これが困難を極めています。亡くなった地権者もいれば、生き残っても若い人では確認できないケースもあり、その場合、行政と協力して測量のやり直しです。海側に住む人からは「戻らないで集落ごと高台に移転する」という話も聞こえてきます。
 若い人も帰らない。戻っても農業ができるのか、その先、営農計画が立てられるかわからないからです。戻ってきた人でも、家族を養うため、除染事業で稼いでいます。農業をやりたくても、背に腹は代えられないのが現実です。
 集落営農も決して安泰ではありません。作っても売れるのか、食べてもらえるのかという心配が、いまもあります。JAが数値で「安全」をアピールはしていますが、果たして消費者に届くのか。自分自身が疑心暗鬼だから、そこをクリアしないと、若手が戻っても営農計画を立てる気にはならないと思います。
 仮設住宅の問題もあります。山側に、よい農地があったのですが、仮設住宅が建っていて使えません。地権者の方は、若い世代が外に出ていったから貸す決断をしたのかもしれない。「いずれまた農地に」と軽く考えたのかもしれない。しかし、農業を知る人間から見たら、あれだけ大量の砂利を入れて、はたして農地に戻すのに何年かかるのかと思います。
 それに、現状では撤去どころか、まだまだ仮設住宅も復興住宅も足りない状況です。南相馬市には、町の人間だけでなく、浪江町、飯館村、双葉町などからも大勢の人が入っているのですから。自分たちの家や農地を片付けるために、自宅に近い南相馬市を選んで住んだのでしょう。毎日のように農地に行き、年に何度かは除草作業をされていると聞きます。
 石田 そうであれば、県外に出た若者が農業を再開するのは相当ハードルが高いのでは。
 遠藤 何しろ水稲中心の地域でしたから。自分は野菜に転換することで再開できましたが、そういう人間は一握りでしょう。
 石田 遠藤さんのお宅では、水稲を完全に止めているのですか。
 遠藤 ええ。試験田の結果を見ると、来年あたり作付けできそうだとは思います。しかし、一つ一つデータを蓄積して、「安全」を確信してからでないと始められない。
 そういう意味では、南相馬市は遅れていますが、福島県内全体では、福島市が福島大学とJA新ふくしまなど一緒に研究を進めていますから、外へ出て何らかの形で農業している人がノウハウを蓄積して、地元に持ってきてもらえるのではないか。
 それが見えて初めて、若い人が福島で農業をやるために戻ってくると思う。だから、ただ復旧するのではなく、いかに「復興」させるかが今後の課題です。それがもっとも厳しいのが福島県だと思います。

(写真)
遠藤友彦 氏(JA全青協参与)


◆テナントビル型農業で――JA仙台

 石田 いま、復旧から復興へという話が出ましたので、高野さんに伺います。沿岸部の六郷と七郷地区では条件が違うということでした。震災後は六郷の場合は、先ほどおっしゃったような法人化が進み、七郷の場合はなかなか決まらない、と。
 高野 六郷は野菜も盛んな地区で、農家の人たちは、津波にあった直後から、営農を再開したいから農協で土地を探してくれと。それで私たちで土地を探しました。で、野菜のグループ化というのは聞いたことがないので心配でしたが、農協で土地を2haほど探し、農協の育苗ハウスも貸し出しました。だんだん人数が減り、最初は10人だったのが、いまは6人ぐらいです。ただ、その6人でハウスを建て、意欲的にやっているようです。
 石田 何歳ぐらいの方たちですか?
 高野 60代です。つまり、後継者があまり戻ってきていないという問題があります。
 七郷の荒浜地区の集落はすべて流されて、しかもまとめ役だった組合長がいなくなったので、農協で応援しています。将来的には、ここを2番目の法人にと考えています。
 石田 東北大の伊藤房雄先生の力も借りられて。
 高野 そうです。米だけではなく、園芸作物の試作をやったりしています。
 石田 テナントビル型農業を計画中とか?
 高野 「21世紀水田農業チャレンジプラン」という構想です。集落の農地を一括管理し、そこに法人、集落営農組織、個人の担い手農家、兼業農家、自給農家など、さまざまな農家やグループが生産活動をできるようにし、加工施設なども作り、テナントビルのようなものができないかという構想で、平成16年に始めました。しかし絵に描いた餅で、実現できたのは、麦豆の転作の機能だけでした。
 震災でゼロに戻りましたが、「もう一度、農協でやってみたい」と考えています。戻ってきた人たちの中には、60歳すぎの、いわゆる定年帰農のような人たちもいるものですから。荒浜地区で、もう一回華を咲かせたい。
 石田 そのための地域リーダーはおられるのですか?
 高野 リーダーはいますが、問題は高齢と農業の経験がないことです。
 石田 地域をまとめるリーダーの問題は、JAいわて花巻の場合も同じ状況ですか?
 高橋 内陸部には、人材が多く問題ありません。沿岸部は、野菜を作ってファーマーズマーケットに出す人もいますが、リーダーというより、地域を元気にしてくれる存在です。とはいえ、沿岸部の園芸には大いに期待しているので、JAも人づくり、地域づくりのお手伝いをしている状況です。
 石田 仙台と違い、集落営農に対してではなく、個別の自給的な農業者を支えるということですね。
 高橋 そうです。女性部の方々も、意欲的な方がけっこうおられますから。しかし、最大の問題はやはり高齢化による意欲の減退です。


◆暮らしを支えたJA共済――JA仙台

 石田 つぎに視点を変え、住まいや暮らしの復旧・復興についてお話を伺いたいと思います。
 高野 営農とは対照的に、住まいや暮らしの復興は遅れています。自力で家を建てている人も何人かはいますが、大半はまだ仮設暮らしです。復興住宅はこれから造成した場所に建てますから、早くても来年の暮れごろからでしょう。いずれにしても、これからは住宅ローンの需要が拡大するでしょうから、農協としてもしっかり対応していきたい。
 問題は、今後の住み方で、家族で意見が合わないことです。高齢の世帯主の組合員は、昔の場所に帰りたいという。しかし、息子夫婦やその子供たちは、恐ろしい思いをした場所には帰りたくないという。その結果、もし高齢世帯だけで家を建てることになると、農協としては貸し出しが難しい。支援はしたいが、どう対応するか、考えなければならない問題です。
 震災直後は、一時的に家族がバラバラになっても、いずれ全員で安全な場所に家を建てて、昔の暮らしに戻れると信じていましたが、そう簡単にはいかないようです。
 石田 集落も作れない、家族もバラバラのままということですね。
 高野 農協は、集落、農家組合、実行組合という組織があって成り立っています。その組織がなくなれば、農業協同組合運動は成り立ちません。今後の大きな課題です。
 石田 家を建てる場合、集落のみんながJA共済に入っていれば話がまとまりやすいのですが、入っていない人もいると思いますが。
 高野 全損して流された人は、国や自治体の支援金なり義援金が出ますし、JA共済に入っていれば、ある程度まとまったお金が出ます。問題は共済に入っていない人たちをどうするか。
 行政のほうで、自力で家を建てられない人のために復興アパートを急いで建てています。じつは、住まいの復興で一番進んでいるのが復興アパートです。そのため、高齢世帯では「子供たちが戻らないなら、おれたちはアパートでいい」と考える人も増えています。
 石田 そうなると、かつての集落が元に戻ることは難しい。
 高野 それが、はっきりしてきました。


◆地域住民の絶大な信頼――JAいわて花巻

高橋専太郎 氏(JAいわて花巻代表理事組合長) 高橋 いわて花巻の場合は、共済事業の対応がものすごく早かった。それで、地域住民の評価がいまでも非常に高い。その結果、ほかの損保をやめてJA共済に入る人も増えました。
 もちろん、共済だけではなくて、我々としては、仮設住宅で健康相談を実施したり、白米を届けるなど、できるかぎりの生活支援を行ってきました。おかげさまで、地域の方々のJAへの信頼は大変大きく強いものになりました。
 この信頼を大切にし、より絆を強くするために、全28支店で総代、各種団体の長などが中心になり、組合員に集まって頂き、私を含めた役職員がその場に行き、車座になりながら話をする機会を作りました。そこで、農協の考え方、復興の展望などを伝えました。大きな組織では、こうしたことも必要だと思ったのです。
 石田 それはすばらしいですね。では、1人暮らしの高齢者への支援は。
 高橋 女性部は4000名おり、彼女らが助け合いの会など組織して寄り添い励ます活動をしてくれています。
 石田 それもまたすばらしい。農家以外の地域の人たちは散り散りになっていませんか。
 高橋 大丈夫です。被害は大きいですが、高台にはまだ住める場所がある。そして何より、やっぱりみな「ふるさとがいい」と言っています。

(写真)
高橋専太郎 氏(JAいわて花巻代表理事組合長)


◆県外避難者に農地を斡旋――福島

 石田 福島は、まだ2県のようなレベルではないとは思いますが、いかがでしょうか。家族の分断など、深刻な問題があると思います。
 遠藤 現状では、県内・県外に避難している方がまだ大勢います。集落ごとに固まっているところもあれば、バラバラのところもある。とくに若い人たちは、職場の支店などのある場所に住むケースも多いようです。
 南相馬市はいま、福島県内でも陸の孤島になってしまった。北には仙台、南には福島がありますが、高速道路がないため遠回りで、どこに農産物を出すにしても遠い。
 石田 そういう状況では、働くにしても、地域から離れるか、除染作業などで地元で働くしかない。そういう暮らし方しかできない、と。
 遠藤 大企業も何社かはありますが、際限なく人を雇えるわけではない。交通網が分断された地域では、新たな企業誘致も難しい。
ただ、いまは県外や県内の、自分の農地以外で農業をやっている人も、お金を稼ぐためだけでなく、技術を磨くために働いているので、いずれきっと地元に戻ってくれると信じます。
 石田 農地は個人で探すのですか?
 遠藤 JAが間に入ります。JAネットワークで調べて農地を斡旋してもらったり、農業法人などに就職させていただいたり。
 石田 家族はどうなりますか?
 遠藤 農業法人のある場所で家族一緒に暮らす人もいれば、自分は県内で農業をして家族は県外に、という人もいます。国がいう安全基準と、私たちが考える安全基準に開きがあるから、不安に感じたら戻れない。それぞれの考え方しだいです。


◆徹底した検査で安全保証――福島

石田正昭 氏(三重大学招へい教授) 石田 組合員の組織活動について伺います。農家組合、実行組合、あるいは女性部や青年部の活動で、地域再生に向けた話があればお聞かせください。
 高野 今回の震災では津波による被害が甚大でしたが、農協は津波だけに全精力を傾けてきたわけではありません。地震だけで被害が大きかった地域もあるので、そうした地域の高齢者を対象に、昨年からミニデイサービスを始めました。集会所に集まっていただき、女性部が手作りの食事を出し、農協の職員がゲームをしたり、お年寄りに昔話をしていただいたり。これを契機に、地域のお年寄りを大事にし、また女性部の活動をそうした方向に誘導していきたいと思います。
 石田 仙台全域が対象ですか?
 高野 そうです。あとは、いい話ではありませんが、震災後3年近くたち、震災の風化が気になります。マスコミの取り上げ方もそうですし、今回の選挙戦でも「震災復興」の文字が消え、原発は争点にすらされない。
 高橋 我々の場合、生産者や組合員農家との絆を絶対に大事にしなければならないと考えているし、そのようにやってきました。
集落営農はもちろん、生活福祉活動でも、デイサービスなどをやっています。あるいは、温泉を掘って、沿岸部の方々をバスでお連れしています。そうした福祉活動、交流といってもいいですが、これを積極的にやっています。
 いずれにしても、「ふるさと=農業」ですから、ふるさとをどのように守るのか、397の農家組合みんなで話し合うことを、いまやっています。さらに、そこにJAがどのように関わるのか、考えていきたい。
 高野 私どもの復興住宅には、農家組合員だけでなく、一般の地域住民の方々が大勢います。組合員だけを対象に活動するわけにいきませんから、暮らしのお世話をするとなると、仙台の場合は大変です。
 石田 地域住民全体を対象にするという覚悟をもたなければならないわけですね。
 高野 そうです。ただ、住宅ローンなどは組合員以外にも貸せるので、期待も大きい。
 石田 大銀行では貸してくれません。
 高橋 いま、花巻の釜石支店には、一般のお客さんが1日に150人は来ます。ほかの銀行はまだどこも営業していないから。
 石田 南相馬では、青年部の活動はどうですか。そもそも活動自体があるのかどうか。
 遠藤 いまは自分たちのことで精一杯の人が多いのか、青年部らしい活動はできていません。そうしたなか、小学校への食育関係の活動(バケツ稲など)は継続しています。屋外で活動ができず、地域の田んぼも使えませんが、だからこそ「この地域ではこういう作物ができるんだよ」と子供たちに教えるために、青年部から講師を派遣しています。
 あとは「JAまつり」で、女性部とコラボして、自分たちで作った米や野菜、加工品などを、一緒に販売しています。
 時間はかかりますが、焦っても仕方がない。いまは土台を作る時期です。
 それに、県外で農業をやっている方は、先ほども言いましたが、きっと技術をもって戻ってきてくれると思うので、その技術を生かせる場を、いまいる人間が作らなければ。2つの力がミックスされれば、そのときこそ、本当の復興になる。
 幸い、何か大会や祭りがあれば、みなさん戻ってきます。そのときに、県外の農業の情報を聞いたり、逆に県内の安全性について伝えるなど、情報交換をしています。いま、モニタリングを徹底し、安全で安心な農産物を届けるよう全力をあげています。
 石田 重要なことですね。
 遠藤 さらにいえば、青年部、女性部だけでなく、JAの職員の方々とも密に連絡をとりあいながら、三位一体でやっていきたい。とくに福島の場合、つぎの作物を作るうえでセシウムの値が非常に重要ですし、市場の動向も気になりますから。

(写真)
石田正昭 氏(三重大学招へい教授)


◆国産利用が究極の地域支援――JAいわて花巻

 石田 最後に、地域を復興するために、協同組合だからこそできることとは何か、一言ずつお願いします。
 高橋 じつは私たち、「自ら生産したものを自ら食べよう」と、南部素麺、ヨーグルト、雑穀米、リンゴジュースなどを詰め合わせたセットを、管内で5000セットを販売しました。いわゆる地産地消運動ですが、これこそ協同組合がだからできる活動です。
 私たちの願いは、これを全国版の地産都消に広げていくことです。とくに都市部の方々に国産の農産物を食べていただければ、究極の地域支援になることに気づいてほしい。
 高野 震災を体験して、農協は組合員や地域の利用者のみなさんの生活を支える存在にならなければいけないと、再認識しました。そのために、農協はもっと門戸を開き、組合員以外の方の声も聞き、食育など地域貢献活動も積極的にやりたい。それが、地産池消や、農業の多面的な役割を評価していただくことにつながるのではないかと思っています。
 石田 今回、震災で被害を受けたのは組合員だけではない。そこに、JAが分け隔てなく入っていけば、地域の人たちはJAの温かさを肌で感じるでしょう。
 遠藤 自分はJAを使う側なので、震災直後にはJAがあってありがたかった。ただ、一般の人は、JAの活動をよく知らない。だから、JAはもっと発信力を高めないといけない。
 石田 それぞれの地域で復旧・復興のための条件は違っていても、打ちひしがれているわけではなく、つぎの芽を着実に育てておられます。むしろ、震災前よりも地域再生の意識なり気持ちが高くなっていると感じました。そしてまた、みなさんが、JA運動の後継者を作ることに心を砕いておられることが、将来へ向けての何よりの明るい希望です。本日はどうもありがとうございました。

座談会の風景


【座談会を終えて】

 地震・津波は天災であるが、原発事故は人災である。国(政府)は人災の後始末もままならないうちに、原発再稼働や原発輸出に乗り出そうとしている。人道から外れたこうした振る舞いは、被害者はもとより、一般市民の共感を呼び起こさないのでないか。毎日を必死にこらえて生きている被災者・被害者たちのことを想うとき、人間は自らの行いに対して謙虚にならなければいけない。間違いなく、地震・津波・原発事故のダメージからの、復旧・復興のスピードは異なっており、同列に論じられるものではない。そうした難しさを承知の上で座談会に出席された高野・高橋・遠藤の各氏に深く感謝申しあげたい。いうまでもなく、復旧・復興に対する国民の受け止め方は、さまざまである。「共感」のレベルに留まる場合もあれば、「関与」のレベルにすすむ場合もある。現場の生の声が届けば届くほど、人間の思考と行動は「共感」から「関与」へと移行していくはずである。農業者の生の声を継続的に届けるのが本紙の役割と思うし、そうすることによって農協人の情報・認識・理念の共有化が進み、ひいては「地域に根ざし、地域社会に責任を持つ協同組合」としての役割を農協が果たしていくことを期待したい。(石田)

 

【特集 震災復興と協同組合】

【提言・震災復興と協同組合】福島第一原発事故・県民と協同組合の苦闘続く 小山良太・福島大学経済経営学類准教授、うつくしまふくしま未来支援センター・産業復興支援部門長 (13.07.25)

【現地ルポ】JAいわて花巻(岩手県) 沿岸部の園芸産地化に全力 (13.07.31)

【現地ルポ】JA仙台(宮城県) 「農」のコミュニティ再建へ (13.07.31)

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